旧加茂川周辺を歩く…2
(『旧加茂川周辺を歩く…1』のつづき)

●対岸、建物の下の護岸は、その多くが石垣。しかも各戸で石の組み方に個性があり、建物ごとに微妙に凹凸もあったりするのを見ると、橋同様沿岸の家々が私的に組んだ石垣のようですね。基礎護岸がなければ、河水は直接、石垣を洗っていたのでしょう。
ちなみに、水は意外と澄んでいて、水草の生えた浅い河底が透けて見えました。水深はもちろん浅いようでしたが、ベカやカヤックなら大丈夫そう。実用されていたころは、小伝馬くらいは入ってきていたのでしょうね。
●上の写真の橋の手前、基礎護岸の際に一対立っている電灯、何でしょう? 水路幅を示す航路標識のように見えなくもありませんが、通船はよもやないでしょうから、橋を下から照らすためのものでしょうか。
右写真、橋を正面から見ると、ビルの入口に「すえよし通り」の看板が。どうやらこのビルは、飲み屋さん街のようですね。通路はアーケードまで貫通しているのかしら。

●さらに川沿いの道を下流へ歩いてゆくと、古そうなRC橋が架かっていました。あっ、この橋の手前にも、「航路標識」っぽい電灯が立っていますね。
しかし、橋脚から右手前に鋼桁が渡され、橋の鑑賞にはまことに具合の悪い状況。こりゃ一体何だろうと、橋詰に回ってみると…。
●立派なお地蔵様をまつった、祭壇ともいうべきものでした。これは失礼。このお地蔵様「咲い地蔵」と書いて「わらいじぞう」と読むそう。アーケード「笑い通り商店街」の名前も、ここから採られたのでしょうか。
左側にある額には、沢山のお札が貼られて、篤い信仰を集めていることが感じられました。この他にも、川沿いにまつられたお地蔵様がいくつかおわしたので、あるいは水と関係の深い由来があるのかもしれません。
●橋詰からのぞいた道が、またいい雰囲気。ウチの近所も、ついこの間までこんな路地があったなあ…。里心がついた(?)のを理由に90度変針、南西へ。
ちなみに、橋の名前は覚證院橋、竣工年はわかりませんでした(反対側の親柱に書いてあったかも…撮り忘れました。)が、全体の雰囲気から、昭和20年代は下らないのではないでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(23年11月9日撮影)
(『旧加茂川周辺を歩く…3』につづく)

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●対岸、建物の下の護岸は、その多くが石垣。しかも各戸で石の組み方に個性があり、建物ごとに微妙に凹凸もあったりするのを見ると、橋同様沿岸の家々が私的に組んだ石垣のようですね。基礎護岸がなければ、河水は直接、石垣を洗っていたのでしょう。
ちなみに、水は意外と澄んでいて、水草の生えた浅い河底が透けて見えました。水深はもちろん浅いようでしたが、ベカやカヤックなら大丈夫そう。実用されていたころは、小伝馬くらいは入ってきていたのでしょうね。

右写真、橋を正面から見ると、ビルの入口に「すえよし通り」の看板が。どうやらこのビルは、飲み屋さん街のようですね。通路はアーケードまで貫通しているのかしら。

●さらに川沿いの道を下流へ歩いてゆくと、古そうなRC橋が架かっていました。あっ、この橋の手前にも、「航路標識」っぽい電灯が立っていますね。
しかし、橋脚から右手前に鋼桁が渡され、橋の鑑賞にはまことに具合の悪い状況。こりゃ一体何だろうと、橋詰に回ってみると…。

左側にある額には、沢山のお札が貼られて、篤い信仰を集めていることが感じられました。この他にも、川沿いにまつられたお地蔵様がいくつかおわしたので、あるいは水と関係の深い由来があるのかもしれません。

ちなみに、橋の名前は覚證院橋、竣工年はわかりませんでした(反対側の親柱に書いてあったかも…撮り忘れました。)が、全体の雰囲気から、昭和20年代は下らないのではないでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(23年11月9日撮影)
(『旧加茂川周辺を歩く…3』につづく)

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タグ : 旧加茂川
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