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新井郷川閘門…5

(『新井郷川閘門…4』のつづき)

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管理橋の上から西側を見ると、これまた素晴らしい水路風景。草深い岸辺を枕にするかのごとく、河岸棒を突いたフネブネがずらりともやい、低い家並が水際近くまで迫る眺めは、まさに水郷そのものです。

かつて、ここが新井郷川の本流だったころ、川蒸気が走っていた時代は、川幅ももっと広かったことでしょう。分水路が海まで通じ「派川」になってこそ、このひなびた佳さが醸し出されたのかもしれません。

70252.jpgゲートの撤去跡。肉厚でごつい角落としの戸溝はそのまま、堰柱を取り去った部分もきれいにコンクリートで埋められています。こうなってから何年が経過したのでしょうか。

ゲートを片方撤去して、閘門から水門に用途転換されたものとしては、水郷の旧扇島閘門(『さようなら、扇島閘門…1』ほか参照)が思い出されます。国内には他にも、同じような例がありそうですね。


70253.jpg管理橋を渡り、閘室の北岸をのぞいてみると、児童遊園を兼ねた公園になっていました。廃墟というわけではなさそうですが、あまり手を入れていないのかずいぶん草ぼうぼうで、人気もなく寂しげです。

おや、左手に石碑のようなものが見えますね、閘門や水路に関するものかしらと期待して、見てみることにしました。


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70255.jpg石碑の題は「新井郷川治水碑」やはり、水路に関する記念碑でした。まだ新しい説明板が設けられていて、碑文の内容が解説されています。

閘門のある派川新井郷川分水路がかつて本流だったこと、洪水に悩まされたことから、大正9年から昭和9年の15年に及ぶ大改修が行われ、水門・閘門と分水路が造られたこと、そして本工事の功労者として、濁川村村長・近藤耕太の名が挙げられていました。

砂丘に育まれた大小の河川と潟湖を縫って、越後平野に航路を広げた舟運の時代は、すでに遠く去りましたが、閘門のゲートと治水碑をしのぶよすがとして、かつての賑わいが末長く伝えられてゆくことを願っています。
撮影地点のMapion地図

(23年8月10日撮影)

(『新井郷川水門の周辺…1』につづく)

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タグ : 新井郷川閘門 派川新井郷川分水路

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