新井郷川閘門…3
(『新井郷川閘門…2』のつづき)
●扉体の上下は、ワイヤーでなくチェーンで行う方式でした。チェーン式のゲートを見るのは三栖閘門(『三栖閘門…1』ほか参照)以来ですが、三栖は引退した静態保存の閘門。今でも可動状態を保っている現役ゲートとなると、ここが初めてです。
三栖閘門同様、この下にはカウンターウェイトがぶら下がっていると見て、カメラを突っ込んだりとあれこれ悪あがきしてみたのですが、うまく撮れませんでした。

●さて、前々回に「戸溝の左右からチラリとのぞくアレは?」と触れた件ですが、裏側から戸溝をのぞき込んで、やはり! と嬉しくなりました。戸溝の中に、チェーンのような恰好のものが、半分水に浸かってはまっているのが見えますね。これ、ストーニーゲートの梯子状ローラーだ!
●右の写真は、正面から撮った扉体の戸溝部分をアップにしたものです。動滑車に吊られて、梯子状ローラーの先端が、戸溝から顔を出していますね。動滑車を吊るワイヤーの一端は堰柱の梁に、もう一端は扉体の上端につながれており、扉体と戸溝に挟まれながら2分の1のストロークで上下します。
これも三栖閘門と同じ方式で、やはり現役ゲートとしては数少ないタイプですから、大切にしていただきたいものですね。
●柵に取り付けられていた説明板。閘門は昭和6年の竣工。あれ、分水路の竣工が昭和8年となっている…まあ、年度の関係などで、1年程度の差が文献によって生じるのは、よくあることではあります。
写真が小さいので、竣工時の扉体や動力装置の様子がわからないのが残念ですが、通航を待つ和船の数から、盛んに利用されていたことが感じられる写真ですね。
閘門の径間の狭さと低さは、いかにも和船専用で、川蒸気など大型船の通航は不可能な寸法です。恐らく、計画が持ち上がった大正半ばから末の時点で、明治以来の川蒸気はすでに衰えており、考えに入れなくともよい状況だったのでしょう。
●赤錆びた柵の柱は鉄鋳物で、簡素ながら意匠が施されており、閘門の雰囲気とぴったり。もちろん竣工当時からのものでしょうね。
陽射しでカンカンに焼けた鋳物の肌に触れながら、昭和一桁生まれのゲートが現役でいるありがたさを、実感したことでした。
【撮影地点のMapion地図】
(23年8月10日撮影)
(『新井郷川閘門…4』につづく)

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三栖閘門同様、この下にはカウンターウェイトがぶら下がっていると見て、カメラを突っ込んだりとあれこれ悪あがきしてみたのですが、うまく撮れませんでした。

●さて、前々回に「戸溝の左右からチラリとのぞくアレは?」と触れた件ですが、裏側から戸溝をのぞき込んで、やはり! と嬉しくなりました。戸溝の中に、チェーンのような恰好のものが、半分水に浸かってはまっているのが見えますね。これ、ストーニーゲートの梯子状ローラーだ!

これも三栖閘門と同じ方式で、やはり現役ゲートとしては数少ないタイプですから、大切にしていただきたいものですね。

写真が小さいので、竣工時の扉体や動力装置の様子がわからないのが残念ですが、通航を待つ和船の数から、盛んに利用されていたことが感じられる写真ですね。
閘門の径間の狭さと低さは、いかにも和船専用で、川蒸気など大型船の通航は不可能な寸法です。恐らく、計画が持ち上がった大正半ばから末の時点で、明治以来の川蒸気はすでに衰えており、考えに入れなくともよい状況だったのでしょう。

陽射しでカンカンに焼けた鋳物の肌に触れながら、昭和一桁生まれのゲートが現役でいるありがたさを、実感したことでした。
【撮影地点のMapion地図】
(23年8月10日撮影)
(『新井郷川閘門…4』につづく)

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