通船川の貯木場
(『山の下閘門の筏…2』のつづき)
●山の下閘門から東へ約3.5kmにある、東区河渡の貯木場を訪ねました。
およそ37000坪に及ぶ広大な水面には、期待にたがわず原木がところ狭しと並べられ、雲ひとつない夏空とあいまって、素晴らしい景色を楽しませてくれました。
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●このあたりがよさそうだと、見当をつけて本道から折れ、入った水際の道は貯木場を眺めるには絶好のスポットでした。もっとも、岸に沿った公道は、この道1本のようでしたが。
陽射しに白く輝く原木の肌がまぶしく、また見渡す限りの原木の物量に圧倒される思い。低い法面の下にはコンクリート護岸と柵があり、柵の造作から見ると、いずれテラスでも整備するのかもしれません。

●北側を見たところ。通船川には東西二つの貯木場があり、こちらは県営第二貯木場(ニイガタカラ『県営第一・第二貯木場』参照)というそうです。なるほど地図を見ると、貯木場の北側には、新潟木材倉庫第二貯木場現場事務所(Mapion地図)なる施設がありますね。
【撮影地点のMapion地図】

●はるか向こうに、作業中の曳船が一隻見えました。船名は「春月」。先ほど閘門で見た曳船は「峯月」でしたから、どうやらこの船社は「~月」という船名を好んでいるようです。旧海軍の駆逐艦を思わせるネーミングですね。
遠くから見ても、船首のスパイクのギザギザがあるのがわかり、筏作業専門の曳船であることが見て取れます。

●対岸近くにびっしりと浮かされた巨木の上にも、川並さんの姿が。
周囲の土地の低さと、キラキラ光るさざ波の向こうに並ぶ原木群は、まさに「木場」の風景。東京では失われてしまった川景色が、ここ新潟では日常の眺めとして見られるというだけでも、感動ものでありました。

●水際まで降りてみました。南側、通船川のある方に目をやると、ところどころ草が生えてしまっている原木もあり、いかにものどかです。

●近くにある原木を眺めていると、切り口に何か札を打ち付けてあるものが、いくつかあるのに気づきました。何か書いてあるようですが、逆光で陰になってよく見えません。

●目を凝らすと、薄くなった字が何とか読めるものがありました。「沈木」です。ははあ、原木を水中に何年か沈めて、樹液を抜いているのでしょうね。札が付いている木は、水上に浮いていますから、「沈木」ではないでしょう。この木は単なる目印で、この下に「沈木」があるよ、という意味なのでしょうか。
水中に沈めて「ヤニ抜き」をし、引き揚げて製材してからさらに陰干しし、完全に乾燥させるという一連の工程については、鈴木理生氏の「江戸の橋」(三省堂)に、能楽師・片山九郎右衛門氏(九世)が、能舞台を張り替えられた際の経験を語られた一文に、詳しく述べられています。
それによると、木曽檜を入手してから原木の「ヤニ抜き」に3年、製材後の陰干しに7年、計10年もの時間をかけられたとのこと。建材としての木の扱いの難しさを、垣間見たような気になったものです。

●草が生えてしまっているのは、こちら側の原木群が、「ヤニ抜き」などの理由で、いわば長期預かりのものが多いことを示しているのかもしれません。
しかし、はるか遠くに薄っすら山並みの見える静かな貯木場、想像以上に素敵な水辺風景でした。写真でしか見たことのない江東区の旧木場にも、このようにさぞ素晴らしい川景色が広がっていたことだろうと、岸に立ってしばし妄想。

●乾いた原木の肌、赤錆びてヒョゴヒョゴにちぢれた番線、しゃがんで顔を近づけ眺めていると、すべてが愛おしくなってくるのですから不思議なものです。
そういえば、名古屋にも貯木場があったんですよね…。各地の現役貯木場を訪ねたら、筏やスパイク付き曳船たちの元気な姿に、まだまだ出会えそう。機会があったら訪ねてみたいものです。
(23年8月10日撮影)
(『津島屋閘門…1』につづく)

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およそ37000坪に及ぶ広大な水面には、期待にたがわず原木がところ狭しと並べられ、雲ひとつない夏空とあいまって、素晴らしい景色を楽しませてくれました。
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●このあたりがよさそうだと、見当をつけて本道から折れ、入った水際の道は貯木場を眺めるには絶好のスポットでした。もっとも、岸に沿った公道は、この道1本のようでしたが。
陽射しに白く輝く原木の肌がまぶしく、また見渡す限りの原木の物量に圧倒される思い。低い法面の下にはコンクリート護岸と柵があり、柵の造作から見ると、いずれテラスでも整備するのかもしれません。

●北側を見たところ。通船川には東西二つの貯木場があり、こちらは県営第二貯木場(ニイガタカラ『県営第一・第二貯木場』参照)というそうです。なるほど地図を見ると、貯木場の北側には、新潟木材倉庫第二貯木場現場事務所(Mapion地図)なる施設がありますね。
【撮影地点のMapion地図】

●はるか向こうに、作業中の曳船が一隻見えました。船名は「春月」。先ほど閘門で見た曳船は「峯月」でしたから、どうやらこの船社は「~月」という船名を好んでいるようです。旧海軍の駆逐艦を思わせるネーミングですね。
遠くから見ても、船首のスパイクのギザギザがあるのがわかり、筏作業専門の曳船であることが見て取れます。

●対岸近くにびっしりと浮かされた巨木の上にも、川並さんの姿が。
周囲の土地の低さと、キラキラ光るさざ波の向こうに並ぶ原木群は、まさに「木場」の風景。東京では失われてしまった川景色が、ここ新潟では日常の眺めとして見られるというだけでも、感動ものでありました。

●水際まで降りてみました。南側、通船川のある方に目をやると、ところどころ草が生えてしまっている原木もあり、いかにものどかです。

●近くにある原木を眺めていると、切り口に何か札を打ち付けてあるものが、いくつかあるのに気づきました。何か書いてあるようですが、逆光で陰になってよく見えません。

●目を凝らすと、薄くなった字が何とか読めるものがありました。「沈木」です。ははあ、原木を水中に何年か沈めて、樹液を抜いているのでしょうね。札が付いている木は、水上に浮いていますから、「沈木」ではないでしょう。この木は単なる目印で、この下に「沈木」があるよ、という意味なのでしょうか。
水中に沈めて「ヤニ抜き」をし、引き揚げて製材してからさらに陰干しし、完全に乾燥させるという一連の工程については、鈴木理生氏の「江戸の橋」(三省堂)に、能楽師・片山九郎右衛門氏(九世)が、能舞台を張り替えられた際の経験を語られた一文に、詳しく述べられています。
それによると、木曽檜を入手してから原木の「ヤニ抜き」に3年、製材後の陰干しに7年、計10年もの時間をかけられたとのこと。建材としての木の扱いの難しさを、垣間見たような気になったものです。

●草が生えてしまっているのは、こちら側の原木群が、「ヤニ抜き」などの理由で、いわば長期預かりのものが多いことを示しているのかもしれません。
しかし、はるか遠くに薄っすら山並みの見える静かな貯木場、想像以上に素敵な水辺風景でした。写真でしか見たことのない江東区の旧木場にも、このようにさぞ素晴らしい川景色が広がっていたことだろうと、岸に立ってしばし妄想。

●乾いた原木の肌、赤錆びてヒョゴヒョゴにちぢれた番線、しゃがんで顔を近づけ眺めていると、すべてが愛おしくなってくるのですから不思議なものです。
そういえば、名古屋にも貯木場があったんですよね…。各地の現役貯木場を訪ねたら、筏やスパイク付き曳船たちの元気な姿に、まだまだ出会えそう。機会があったら訪ねてみたいものです。
(23年8月10日撮影)
(『津島屋閘門…1』につづく)

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