山の下閘門の筏…2
(『山の下閘門の筏…1』のつづき)
●ゆっくりと閘室を出てきた曳船と筏に、もう1隻の曳船が寄り添うように近づいて、もやいを取る作業を始めました。
作業の様子を見ていると、どうやら筏の曳航をバトンタッチするようです。理由はわかりませんが、曳船はそれぞれ新潟西港から閘門までと、通船川内部専門という分担が決まっているようでした。
【↓「続きを読む」をクリックしてご覧ください】

●もやいが渡されると、曳船は爆音を高めて、筏を曳きにかかります。ちなみに、帰宅後に写真を拡大して判読したところでは、閘門から出てきた曳船が「しんこう」、後から来た曳船が「峯月(みねづき?)」でした。間違っていたらごめんなさい。
ところで、閘門から出てきた方の曳船「しんこう」ですが…。

●これ、ロータリーボートじゃないですかね?
最近まで朝潮運河にいた「第十一あかつき」の兄弟、独特の愛くるしい外観とドライブ機構を持つ、筏作業専門の超小型曳船です(過去ログ『ロータリーボートだった! 第十一あかつき』を参照)。
そんなにすごい動きをしたわけではなかったので、気づくのが遅くなったのですが、サイドビューを見るに至って、そのタライのような丸々っちさと、船首から側面に及ぶスパイクの列から「これはロータリーボートに違いない!」と確定。いや、またも「東京では見られなくなってしまった」ものを目の当たりにして、嬉しさもひとしおです! キャブを取りつけていないところを見ると、橋が低いとか、上空高を制限される区間でもあるのでしょうか。

●「峯月」の爆音はさらに高まり、白いウェーキが尾を引きはじめると、筏は長々と伸びてその後をついてゆきました。ヘルメット姿の川並さんが、筏に立っているのが見えます。

●筏の受け渡しが終わった「しんこう」は、いま一人の作業員さんを載せて、きびすを返し閘門へ戻ります。初めて見た、現役のロータリーボートの作業風景! 末長く頑張っていただきたいものですね。

●おっと、せっかく出会えたのですから、筏の曳航風景もばっちり記録しておきたい! 砕石の山から駆け降りてふたたび土手を登り、焼島橋の上から「峯月」と曳かれる筏のカッコイイところを。
ついこの間までは、隅田川や綾瀬川でも、この風景が日常的に眺められたんですよねえ…。

●閉まりゆく山の下閘門と、曳かれる筏のステキなツーショット。
筏と閘門! ああ、新潟に来て本当によかった(涙)。

●近づくにつれて、組まれた筏がいかに大きく、また長いものかが改めて実感できますね。
ウェーキには、プロペラの後流で河底から巻きあげられた黒い泥が混じり、水深が決して深くないことを物語っています。

●ゆっくりと橋をくぐりゆく筏を眺めていると、原木の組み方が気になりました。引張力のかかる中央に長い原木を配し、両舷の外側に行くにつれて、それぞれ短い原木をバランス良く組んでゆくやり方です。
以前読んだ「桴」(日本いかだ史研究会・編)によると、同じ長さの原木を四角く組み、それを何連かつなげた筏は「縦組み平がき筏」と呼ばれたそうですが、その変形のように思えました。今回見たこの方式なら、急な屈曲のある水路も自在に曲がることができ、また閘室のような狭いところに入った際は、折りたたむようにして長さを圧縮することもできるでしょう。
(『桴』については、過去ログ『水運関連の本、三題』参照)

●しつこいようですが、感動が深かったのでもう一枚。自分の影を映した筏が、荒れた原木の肌を陽にさらしながら、焼島橋をくぐって去ってゆきました。
そうだ、貯木場に行ってみよう! そこでもまた、東京では失われてしまった、素晴らしい水路風景が待っているに違いありません。
【撮影地点のMapion地図】

ホンモノのGoogleマップで山の下閘門を表示
●筏やロータリーボートに意識を吸い取られて、すっかりお留守になってしまいましたが、山の下閘門のGoogle航空写真と、説明板にあった諸元(一部)を掲げます。上から見ると、セクターゲートの形がよくわかりますね。
ちなみに通船川・新栗の木川の水位はT.P-1.65mで、T.P+0.6mの信濃川との水位差は2.25mになるそうです。
閘室全長:102.3m 全幅:14m/22.5m(扉体格納部) 前扉高:6.9m 後扉高:5.8m 前扉・扉体重量:40t(×2) 後扉・扉体重量:32t(×2) 扉体電動機:10kw(×4) 昭和42年1月竣工。
(23年8月10日撮影)
(『通船川の貯木場』につづく)

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作業の様子を見ていると、どうやら筏の曳航をバトンタッチするようです。理由はわかりませんが、曳船はそれぞれ新潟西港から閘門までと、通船川内部専門という分担が決まっているようでした。
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●もやいが渡されると、曳船は爆音を高めて、筏を曳きにかかります。ちなみに、帰宅後に写真を拡大して判読したところでは、閘門から出てきた曳船が「しんこう」、後から来た曳船が「峯月(みねづき?)」でした。間違っていたらごめんなさい。
ところで、閘門から出てきた方の曳船「しんこう」ですが…。

●これ、ロータリーボートじゃないですかね?
最近まで朝潮運河にいた「第十一あかつき」の兄弟、独特の愛くるしい外観とドライブ機構を持つ、筏作業専門の超小型曳船です(過去ログ『ロータリーボートだった! 第十一あかつき』を参照)。
そんなにすごい動きをしたわけではなかったので、気づくのが遅くなったのですが、サイドビューを見るに至って、そのタライのような丸々っちさと、船首から側面に及ぶスパイクの列から「これはロータリーボートに違いない!」と確定。いや、またも「東京では見られなくなってしまった」ものを目の当たりにして、嬉しさもひとしおです! キャブを取りつけていないところを見ると、橋が低いとか、上空高を制限される区間でもあるのでしょうか。

●「峯月」の爆音はさらに高まり、白いウェーキが尾を引きはじめると、筏は長々と伸びてその後をついてゆきました。ヘルメット姿の川並さんが、筏に立っているのが見えます。

●筏の受け渡しが終わった「しんこう」は、いま一人の作業員さんを載せて、きびすを返し閘門へ戻ります。初めて見た、現役のロータリーボートの作業風景! 末長く頑張っていただきたいものですね。

●おっと、せっかく出会えたのですから、筏の曳航風景もばっちり記録しておきたい! 砕石の山から駆け降りてふたたび土手を登り、焼島橋の上から「峯月」と曳かれる筏のカッコイイところを。
ついこの間までは、隅田川や綾瀬川でも、この風景が日常的に眺められたんですよねえ…。

●閉まりゆく山の下閘門と、曳かれる筏のステキなツーショット。
筏と閘門! ああ、新潟に来て本当によかった(涙)。

●近づくにつれて、組まれた筏がいかに大きく、また長いものかが改めて実感できますね。
ウェーキには、プロペラの後流で河底から巻きあげられた黒い泥が混じり、水深が決して深くないことを物語っています。

●ゆっくりと橋をくぐりゆく筏を眺めていると、原木の組み方が気になりました。引張力のかかる中央に長い原木を配し、両舷の外側に行くにつれて、それぞれ短い原木をバランス良く組んでゆくやり方です。
以前読んだ「桴」(日本いかだ史研究会・編)によると、同じ長さの原木を四角く組み、それを何連かつなげた筏は「縦組み平がき筏」と呼ばれたそうですが、その変形のように思えました。今回見たこの方式なら、急な屈曲のある水路も自在に曲がることができ、また閘室のような狭いところに入った際は、折りたたむようにして長さを圧縮することもできるでしょう。
(『桴』については、過去ログ『水運関連の本、三題』参照)

●しつこいようですが、感動が深かったのでもう一枚。自分の影を映した筏が、荒れた原木の肌を陽にさらしながら、焼島橋をくぐって去ってゆきました。
そうだ、貯木場に行ってみよう! そこでもまた、東京では失われてしまった、素晴らしい水路風景が待っているに違いありません。
【撮影地点のMapion地図】

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●筏やロータリーボートに意識を吸い取られて、すっかりお留守になってしまいましたが、山の下閘門のGoogle航空写真と、説明板にあった諸元(一部)を掲げます。上から見ると、セクターゲートの形がよくわかりますね。
ちなみに通船川・新栗の木川の水位はT.P-1.65mで、T.P+0.6mの信濃川との水位差は2.25mになるそうです。
閘室全長:102.3m 全幅:14m/22.5m(扉体格納部) 前扉高:6.9m 後扉高:5.8m 前扉・扉体重量:40t(×2) 後扉・扉体重量:32t(×2) 扉体電動機:10kw(×4) 昭和42年1月竣工。
(23年8月10日撮影)
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