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関屋分水を走る

(『信濃川水門…4』のつづき)

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信濃川水門を離れて、関屋分水の東岸を北上、目指すは新潟大堰(と、もちろん併設の閘門)。およそ1.7㎞の道のりです。

さっそく行き当たった「関屋分水路」の看板。う~ん、「分水」と「分水路」、どちらがより親しまれているんだろう? 現地で集めた資料やサイトを拝見していると、どうも「分水」のほうに分がありそうなので、そちらでいかせていただきます。

70092.jpg県道16号線、関屋大橋をくぐる下り坂で気持ちよくスタート。後で考えてみると、この橋、廃止された新潟交通の線路が渡っていた橋だったんですよね。西岸には築堤も残っているとのこと、惜しいことをしました。

関屋分水は、信濃川最下流部一帯の洪水被害を軽減するために開鑿された放水路で、昭和47年に竣工しました。構想は江戸時代からあり、明治43年には地域の排水のため、すでに関屋分水と一部ルートが重なる掘割が造られていたというのも興味深いですね。

「関屋堀割町」「堀割町」という地名や、東岸の街割りに掘割のあったことをしのぶことができます。「会津と越後を結ぶ、水の街道 関屋分水路」(おいでなされまし)に堀割のルートや経緯が詳しく書かれています、ぜひご覧ください。

70093.jpgJR越後線の鉄道橋と、有明大橋が見えてきました。東岸橋詰のあたり、橋の名前をそのままとった「有明大橋町」があるのですね。

地元の方ならではの貴重な写真が盛りだくさんのサイト、「関屋分水のできる前」(新潟街角今昔)によると、東岸の文京町や信濃町一帯は、かつて関屋競馬場(新潟競馬場)があり、関屋分水の開鑿区域にかかる住宅などの代替地として、昭和39年に廃止、現在の新潟市北区に移転したとのこと。

かつての関屋駅前一帯は「競馬町」という地名だったようですから、「有明大橋町」は分水開鑿後、新たに付けられた地名なのでしょう。

70094.jpg堀割橋を遠くに望むあたりで、早くも新潟大堰の堰柱が見えてきました。

ここから河口近くを眺めると、砂丘がつくった地形でしょうか、西岸に緑の丘がもこりと出っ張っており、なかなかの景勝地です。


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堀割橋から北を眺めたところ。新潟大堰を間近に眺めるなら、一本下流の浜浦橋を渡ればよかったのですが、そこはそれ。

堰の向こうは、久しぶりの日本海。すじ雲が堰を中心に放射状に広がって、どこか爽快な眺めでした。
撮影地点のMapion地図

(23年8月9日撮影)

(『新潟大堰…1』につづく)

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タグ : 関屋分水新潟大堰

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