関宿再訪…5
(『関宿再訪…4』のつづき)

●背割堤の上から、閘門の上流側ゲートを見たところ。遊歩道の橋は簡素な鋼桁橋ですが、下端を浅いアーチ状に造って、硬い雰囲気を和らげています。ゲート側壁の角には、石材が使われているのが見えますね。
写真中央、水面近くにある縦長の凹みは、閘室に水を入れるバイパス管の注水口です。形からすると、スライドゲートが備えられていたように思えますが、撤去されたのでしょうか。
●遊歩道から背割堤の上流側を見ると、バイパス管のスライドゲート操作用のものと思しき、ラックとハンドルが見えました。錆びついてはいるものの、まだ動かせそうな雰囲気です。
上の写真で見た注水口からは、かなり離れた位置にあったので、この装置がゲート操作のためのものとすれば、スライドゲートはバイパス管の途中にあるのでしょう。まだ機能は失っていないのでしょうか。
●橋の上から下流側、閘室を眺めたところ。
法面に桟橋状の張り出しが造りつけられていることから考えても、現役時代の満水時水位は、今より1mかそれ以上は高かったに違いありません。現在は仮に下流側ゲートを閉めたとしても、そんなに水位は上がらないように感じられました。平常時の流量自体が、かつてより減ったということなのかも知れません。

●下流側ゲートに、ズームでぐっと寄って。こちらも水管橋(?)と、その向こうには鋼製の管理橋が渡されています。もちろん竣工時には、ゲートの上には何もありませんでした。通航船の高さを制限しない、マイタゲートの長所を捨て去ってしまうようなものだからです。
●同じく橋の上から、振り返って上流側ゲートの間の水面を。激しく泡を噛んで水が流れ下り、その水面を透かして、緑色の藻が生えた底が見えています。
格子状のパターンらしきものが見られるところから考えて、この時代の他の閘門同様、竿が底によくかかるように、わざと凹凸をつけたのかもしれません。
●以前来たときも同じことを考えたのですが、この、底が見えてしまう水深の浅さを目の当たりにすると、やはり「あ~あ」とタメ息が出てしまいます。まあ、昔と違って、自艇で関宿を越え、利根川を下ることへの執着は薄れたので、そんなにイヤな気持ちというほどでもないのですが…。
もう、その機能を止めているとはいえ、閘門と名のつくものが、水を湛えつつも、もはや船を通せない状態にあるのを目の当たりにすると、やはり、やはり残念でたまらなくなるのです。
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…6』につづく)

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●背割堤の上から、閘門の上流側ゲートを見たところ。遊歩道の橋は簡素な鋼桁橋ですが、下端を浅いアーチ状に造って、硬い雰囲気を和らげています。ゲート側壁の角には、石材が使われているのが見えますね。
写真中央、水面近くにある縦長の凹みは、閘室に水を入れるバイパス管の注水口です。形からすると、スライドゲートが備えられていたように思えますが、撤去されたのでしょうか。

上の写真で見た注水口からは、かなり離れた位置にあったので、この装置がゲート操作のためのものとすれば、スライドゲートはバイパス管の途中にあるのでしょう。まだ機能は失っていないのでしょうか。

法面に桟橋状の張り出しが造りつけられていることから考えても、現役時代の満水時水位は、今より1mかそれ以上は高かったに違いありません。現在は仮に下流側ゲートを閉めたとしても、そんなに水位は上がらないように感じられました。平常時の流量自体が、かつてより減ったということなのかも知れません。

●下流側ゲートに、ズームでぐっと寄って。こちらも水管橋(?)と、その向こうには鋼製の管理橋が渡されています。もちろん竣工時には、ゲートの上には何もありませんでした。通航船の高さを制限しない、マイタゲートの長所を捨て去ってしまうようなものだからです。

格子状のパターンらしきものが見られるところから考えて、この時代の他の閘門同様、竿が底によくかかるように、わざと凹凸をつけたのかもしれません。
●以前来たときも同じことを考えたのですが、この、底が見えてしまう水深の浅さを目の当たりにすると、やはり「あ~あ」とタメ息が出てしまいます。まあ、昔と違って、自艇で関宿を越え、利根川を下ることへの執着は薄れたので、そんなにイヤな気持ちというほどでもないのですが…。
もう、その機能を止めているとはいえ、閘門と名のつくものが、水を湛えつつも、もはや船を通せない状態にあるのを目の当たりにすると、やはり、やはり残念でたまらなくなるのです。
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…6』につづく)

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