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船越といっても


…英一郎ではありません、などというお約束はさておいて。
これ、ずいぶん前に手に入れた絵葉書なんですが、隠岐諸島の島前にある、船越運河(Googleマップはこちら)を俯瞰したものです。キャプションには「隠岐風景 舟越舟引運河」とあります。検索してみると、どちらかというと船曳の方がヒットするようですね。船越は地名で、運河の名前は船曳、ということでしょうか。

まあ、可航水路バカとして、この手のものが気にならないはずもなく、吸い寄せられるように買ってしまったのですが、この運河、矢野剛の「運河論」にも掲載されており、また「船越」という地名にもちょっと関心を引かれていたこともあって、以前から気になっていたのです。
せっかくなので、開鑿の経緯やスペックを「運河論」から抜き書きしてみましょう。

第二十款 船越運河
本運河は島根縣木村・浦郷村の漁船が浦郷半島を迂廻して漁場に出入りする不便を除去せんが為に開鑿せられたもので、即ち木村の有志相謀り、組合を設立し縣費補助五九〇〇圓を得て總工費一五二四〇圓を投じ大正三年起工、翌四年竣工したものである(中略)。
最近一ヶ年間に於ける出入船舶は小漁船二〇〇〇艘、日本型及び発動機船各六〇〇餘艘を算し、附近一帶の漁船の避難所ともなって居る(後略)。
延長・一八七間、幅員・四間、通過船舶最大頓数・五頓、通航料・徴収せず。


島前北岸を往来する漁船の避航路として、地元から待ち望まれていた存在であったことが伝わってきます。
山がちな地形で、昔は陸上交通が不便だったことが容易に想像できますから、漁船だけでなく、舟運による人や物の行き来にも、大いに役立ったことでしょうね。

さて、地名や地形に関心のある方はよくご存じと思いますし、ウェブ上にもたくさんの記事があるようなので、今さらの感もありますが、船越という地名は、全国の至るところにある(あるいは、あった)わけです。
そのうちのいくつか、例えば対馬や愛知の由良半島の船越には、隠岐の船越と同様に運河が開鑿されているあたり、いかにも興味をそそられますよね。

私にとって最も身近な船越は、英一郎(しつこい)…ではなくて、横須賀の船越町でしょう。
艦船ファンなら、海上自衛隊の地方総監部がある場所として、知らぬ人はいない地名ですが、かつては幕府の置かれた鎌倉が、前面が砂浜で良港に恵まれず、関東一円からの物資の受け入れにも不便なため、三浦半島の根元を越え、東京湾側の六浦(横浜市金沢区)に外港を求めたといいます。
地名から察して、あるいは船越も、そういった外港のひとつだったのかもしれません。

ちなみに、六浦に着いた舶載物は、既存の河川(侍従川)を改良して船をギリギリまで遡らせ、山を切り開いた緩勾配路・朝比奈切通しを通って鎌倉を目指したとのこと。
鎌倉に入れば、滑川とその支派川を水路として利用できたそうですから、中間に陸路を挟みこそすれ、機能としては、現在の各船越運河と、全く同じだったことがわかります。

書き散らしてまとまりがなくなりましたが、船越とは、フネを利用したい側からの視点から見た、いかにももどかしい、あとちょっとでイケるのにという、歯がみをして悔しがるような、切実な気持ちに満ちた地名のように感じられるのですが、いかがでしょうか。
今なら「地峡」という、ある種オカ側目線の言葉で済んでしまう地勢に、このような地名がいくつも伝わっている事実は、太古から長きにわたり、水運が最強であったことを思わせて、何とはなしに愉快になるのです。


参考文献:江戸・東京の川と水辺の事典(鈴木理生 編著)柏書房


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タグ : 船越運河船曳運河隠岐船越

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