汐留川に昔、可航暗渠があった?

去る7月10日の、江東ドボクマッピング・水路ツアーに参加させていただいたときのこと。参加者の方から「(水道橋・お茶の水分水路のように)ボートで通れる暗渠って、他にはないのですか?」というご質問をいただきました。

話の流れから、私の艇と同クラスの艇で、しかも都内の水路限定という意味でお話ししてよいかな、と思ったので、「おそらく水道橋・お茶の水分水路の他にはないと思います」とお答えしましたが、さらに小型の機付き和船やインフレータブル、ローボートにカヤックと、小さい艇種を選ぶなら、通り抜けられないにせよ、江戸川橋分水路も範疇に入るでしょう。
カヤックやカヌーで通れる暗渠なら、私が知らないだけで、それこそ、全国いたるところにあるに違いありません。

帰宅してから、ひとつ思い出したことがありました。昔読んだ本の中で、都内の、カヌーで通れる暗渠のことを書いた下りがあったなあ…。

探してみたら、ありました! 「路地裏の文明開化 新橋ロマン物語」(竹内宏著・実業之日本社・平成5年)という、明治から戦後に至るまでの、新橋を中心にした界隈の変遷を描いた本です。

気になる部分を抜き書きしてみましょう。「水の都の消滅」という一節、界隈を縦横に走っていた掘割群が、次々と埋め立てられ、また首都高に造り替えられてゆくことを書いたくだりですが、その中に、

また、溜池から第一ホテルの地下にかけては、雨水等を流すための巨大な地下水道があり、それは運河とつながっていた。子どもたちは、カヌーに乗って、地下水道の中を遊んでいたという。

とあったのです。他に関連する記述はなく、「えっ、それだけ?」と、物足りない感じもしましたが、これは地元にながく住んだ方でなくては、出てこない話であることを思うと、少ないとはいえ貴重な証言に思えたものです。

溜池から出ていた水路といえば、汐留川の旧流路に他なりません。おおむね現在の外堀通りの北側を流れ、線路をくぐった後は東京高速道路のカーブ区間に沿い、浜離宮の北側角で現存の流路に接続していました。Googleの航空写真でいうと、このあたりですね。

記事の中では、暗渠があった年代については、特に触れられてはいませんでしたが、首都高ができるまでの、水路群や橋の様子を描写していた前後の文脈から判断すると、昭和戦前から20年代といったところでしょうか。

オールで漕ぐローボートを貸す貸しボート屋が、都心の堀割や川にも結構な数の店を開いていたというこの時代、カヌーというのも少し妙な感じがしますが、当時「貸しカヌー屋」なるものがあったのか、またはベカやローボートをカヌーと間違えたのか、そのあたりはわかりません。
今でも、子どもたちが探検した当時の暗渠が、そのまま下水として使われているのでしょうか。

ともあれ、機会があったら、水路跡をたどったり、文献をあさって調べてみたくなりました。また、詳しいことをご存じの方がおられたら、ぜひご教示いただきたいものです。




(水道橋1号分水路呑口付近、22年9月19日撮影)

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タグ : 汐留川 水道橋分水路 分水路 暗渠

コメント

No title

ご存知かもしれませんが、浜離宮には汐留川の暗渠口がありますよ。

http://yfrog.com/1aic2j

見たところ、お茶の水分水路と同じぐらいの大きさのポータルですよね。
潮目がよければ中に入れるかも?

Re: No title

ありがとうございました! ここの写真を撮っていなかったんですよ。
ここは突入できそうな感じですよね。

ここから今の高速の下、線路の横までが、戦後も残っていた区間ですね。そのさらに上流、溜池~第一ホテル~外濠の、戦前すでに川としては消滅した区間が、小舟が通れるような大暗渠として残っていた事実にコーフンしたわけです。今でもつながっていたら面白いですね。

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