続・川蒸気のイメージを求めて

ええ、例によって川蒸気見たさの古絵葉書探しなんですが、ご縁があって、ここしばらくでだいぶ面白い(その道の蒐集家から見れば、それほどではないのかもしれませんが、まあ、私的にはね)ものが入手できたので、正直、今回は
コーフンしてます

とは言うものの、船頭もまだまだ勉強不足で、突っ込んだ解説もできないのが痛いところ。あわよくば、その道の研究家のご指摘が得られれば、との淡い期待もあるので、お気づきの点はお気軽にコメント欄または、右下のメールフォームよりご連絡をいただければ幸いです。

(過去ログ「永島丸の写真」、「川蒸気のイメージを求めて」、「通運丸の先っぽ?」もご覧ください。)

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(陸前石巻)北上川内海橋より本町河岸を望む(福來館寫眞所製)

現在の旧北上川河口近く、石巻の河岸風景。内海橋は、中瀬を挟んだ東西二本からなる橋で、「内海橋(石巻Wiki)」によると、明治15年7月に架けられた、宮城県内の北上川最初の橋とのこと。川の屈曲や地形から見て、旧北上川西岸、現在の石巻市中央から門脇町(Mapion地図)を見た写真と思われます。

舷を接してもやうフネブネ、汽船ばかりでなく洋式帆船らしい船影も見られ、左には出港してゆく船も写っているなど、河岸の賑わいが聞こえてくるような素晴らしい写真ですが、中でも気になったのはもちろん右の川蒸気!

川蒸気の部分を拡大したものです(小さな写真は、クリックすると大きな写真が表示されます。以下同じ)。
トップに柱を立ててオーニングを張り、臨時に二階建てとしたらしい外輪川蒸気船です。柱には、紅白の布が巻きつけてあるようです。よく見ると、船首操舵室の前に「清×(判読困難『交』か?)會御用舩」と書いた札が立てられており、団体貸切のようですね。スプラッシャー側面には船名が見えますが、残念ながら判読できません。

手前の船は一見曳船風ですが、後部には客室らしい窓が見えます。舷側の低さからして、これも川船のなのかもしれません。船首ブルワークに書かれた船名は、「松島丸」のようです。


新潟萬代橋(橋長四百卅間)

信濃川河口部に架かる萬代橋は、現在も新潟市を代表する橋として有名ですが、これは方杖型の橋脚を持った木造橋時代、明治19年に竣工した初代橋か、大火によって焼け落ちた初代橋を改築した二代目(明治42年竣工)でしょう。
キャプションにもあるように、430間(約780m)の長さを持つ木造桁橋は実に壮観で、絵葉書の題材としても多く取り上げられています。(現萬代橋のMapion地図

信濃川の川蒸気は初見なので、それだけでも嬉しいのですが、ディテールも鮮明で興味深いですね。

ご覧のとおり外輪船ではなく、暗車(スクリュープロペラ)船で、川蒸気としてはかなりの大型船です。機関室を含めて全ての窓を開け放っており、恐らく莚敷きらしい客室や、汽缶のシルエットも覗き見られます。

船首に積まれた錨は和式の四つ爪錨、操舵室の上に掲げられた旗は国旗でしょうか。機関室の屋根は、明り取りと通風を兼ねたモニタールーフで、川蒸気では定番の、キセルの雁首タイプのベンチレーター(エントコック)がないのも珍しい感じですね。


新潟万代橋

こちらも同じく、萬代橋を主題とした写真で、手前に見える荷の山や和船群から、河岸で荷役をしている蒸気船を写したもののようです。おそらく上流側から写したものと思われます。

これも暗車船で、屋根の上には荷が積まれており、後部には自転車も見えます。屋根の上や甲板には4人の人影が見え、やはり荷役をしているようです。人の背とくらべて、船室が意外と低いのがわかりますね。

ちなみに信濃川流域は、利根川、淀川、北上川各流域と並び称されるほど、越後平野全域にわたって大規模な河川舟運が行なわれたところで、明治7年には早くも外輪蒸気船が就航、一部は昭和初期まで運航を続けていました。

信濃川流域の舟運については、「報告(5) 『川蒸気船の活躍』加藤 功 氏」(『81万人の港町・新潟』(平成18年8月19日)記録)、「歴史的形成過程からみた新潟県の産業構造」(松田宣治氏HP)に詳しい記事があります。ご参考まで。


銚子名所 利根川の桟橋(朝陽堂製)

さて、いよいよ真打ち、利根川川蒸気の登場です!
この写真、関東川蒸気の百科全書、「川の上の近代」(『川蒸気のイメージを求めて』参照)80ページにも同じカットのバージョン違いが載っているのですが、こちらは残念なことに周囲にボカシがかかっており、さらにご覧のとおりハンコべったりというありさまながら、桟橋にもやう外輪船のディテールははっきりわかり、小躍りしたくなりました。

「川の上の近代」によると、大正7年時点での銚子の船着場は、銚子と本銚子町飯沼にあったとのこと。写真がどちらかは判じかねますが、桟橋は柵を備えた鉄製で、街灯や荷役用の軽軌道まで設けられた立派なものですから、恐らく街の中心に近い場所だったのではないでしょうか。


ディテールを楽しもうと、桟橋の川蒸気を拡大してみると…。
煙突の3本の白線が、いかにも修正くさい。特に下の2本、筆か何かでレタッチされたように見えるのですが、気のせいでしょうか。

修正かどうかはさておき、今までのように、風景の一部として写っていたのと違い、さすが蒸気船を主題とした写真とあって、情報も豊富で楽しい写真です。両舷にもこりと張り出す外輪が、いかに船体の幅を占めているかが見て取れますね。煙突の左側屋根上に、汽笛が見られたのも大きな収穫でした。こういった細かい艤装の配置は、遠景ではなかなか判別できない部分です。

右遠方の川蒸気は、ボカシ部分にかかってしまっているので、拡大してもご覧のとおり。しかし、ここには重要な情報が隠されていました。煙突の白線が1本です

「川の上の近代」によれば、煙突の白線が1本の船は、内国通運の通運丸船隊で、白線3本は銚子汽船の銚子丸船隊が用いていた塗装とのこと。

とすると…(以下妄想)、銚子汽船に気を遣ったとか何らかの理由で、写真師が種板を作成した際、通運丸を銚子丸に見えるよう、目立つ手前の船のみ、修正をかけてしまった…のかもしれません。

以前も触れましたが、何分川蒸気の写真は少なく、もちろん実物が残っているわけではないので、遠景に写っている程度でも貴重で、こうしてまみえたことをありがたく思ったものです。蒸気船の走る、かつての川景色をあれこれ想像して、楽しいひとときを過ごさせてもらえました。

ちなみに、撮影年代の判定は難しいので、あえて触れませんでしたが、葉書の通信面の体裁から、最初の石巻のものを除いた3枚は、昭和8年以前の印刷と推定しました。
なお2枚目、万代橋と河岸の絵葉書は、今回の4枚で唯一使用済みのもので、消印は判読できなかったものの、切手が1銭5厘だったので、少なくとも、昭和12年4月以前に出されたものと推定しました。

参考文献
日本百名橋 松村博 著 鹿島出版会
東京今昔散歩 原島広至 著 中経の文庫


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タグ : 通運丸 銚子丸 利根川 北上川 信濃川 川蒸気船 水郷 絵葉書・古写真

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