第三芭蕉丸の船旅…5
(『第三芭蕉丸の船旅…4』のつづき)
●しばらく暖を取りながら、船室の雰囲気を楽しもうと、白いカバーのソファーに腰かけながら、物見高く周りをキョロキョロ。
木目化粧板張りの壁、茶色い絨緞…ドアや窓枠のアルミ色を除けば、どこから見ても昭和30年代風味。昔の応接室と違うのは、椅子もテーブルも床にガッチリ固定されていることと、テーブルのフチが高く盛り上げてあること。いずれも船の揺れに備えてのことです。
●こういう注意書きの看板、何だかアナクロな感じがして、吸い寄せられるものが。この書体、注意書きに独特のフォント(?)のように思えるのですが、何ていう書体なんでしょう?
国鉄の駅名板とか、首都高の案内表示とか、それぞれの業種独特の書体というのがありますが、これもそのたぐいなのでしょうね。この「注意書き書体」をPCで打てるようにしてくれたら、職場や学校で、すんごく説得力のある看板が、気軽に作れるようになるのですが…。
●船室の入口、デッキの壁に備わっていたこの電話も、上と同様の理由で惹かれるなあ…。電話のある一角は、ちょうど車掌室のように引っ込んでいて、竣工当時は、一等船室専属のボーイさんがいたのでは、と思わせる造りでした。
この薄緑色、ある種の工作機械などにもよく塗られていた色ですが、最近見かけなくなりましたね。ちなみに電話は沖電気製でした。
●こちらは帰りしなに撮った、2階のグリーン船室の様子。リクライニングしない椅子、背もたれにはこれまた懐かしい、パッカンと開くテーブル付き。子供のころに一度だけ乗せてもらった、横須賀線のグリーン車を思い出させるものが。
ううむ、本当にこの船、昭和末製なのか? 20年ちょっと前には、電車ではすでに、この手のシートをつけた車輌は絶滅していたような。何だか泣けてきた…。
丸文の社長は、頑固一徹な人だったに違いないと、確信する船頭。
●ふと我に帰ると、第三芭蕉丸はさらなる狭水道へ。うひゃ、こんな狭いところを通るのか…。ここはえ~と、小藻根島だっかな?
大時代な(失礼)船室がすっかり気に入ってしまい、ほとんど外を見ていなかった…。
(21年12月3日撮影)
(『第三芭蕉丸の船旅…6』につづく)

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木目化粧板張りの壁、茶色い絨緞…ドアや窓枠のアルミ色を除けば、どこから見ても昭和30年代風味。昔の応接室と違うのは、椅子もテーブルも床にガッチリ固定されていることと、テーブルのフチが高く盛り上げてあること。いずれも船の揺れに備えてのことです。

国鉄の駅名板とか、首都高の案内表示とか、それぞれの業種独特の書体というのがありますが、これもそのたぐいなのでしょうね。この「注意書き書体」をPCで打てるようにしてくれたら、職場や学校で、すんごく説得力のある看板が、気軽に作れるようになるのですが…。

この薄緑色、ある種の工作機械などにもよく塗られていた色ですが、最近見かけなくなりましたね。ちなみに電話は沖電気製でした。

ううむ、本当にこの船、昭和末製なのか? 20年ちょっと前には、電車ではすでに、この手のシートをつけた車輌は絶滅していたような。何だか泣けてきた…。
丸文の社長は、頑固一徹な人だったに違いないと、確信する船頭。

大時代な(失礼)船室がすっかり気に入ってしまい、ほとんど外を見ていなかった…。
(21年12月3日撮影)
(『第三芭蕉丸の船旅…6』につづく)

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