「関東舟運構想」で大妄想

記事を読むと、茨城の鹿島港から利根川・利根運河・中川などを経て、一部を新規に開鑿、既存河川も浚渫するなどして、東京まで数百t級の艀が通れる航路に整備する構想があることを、簡単な地図とともに伝えていました。
●この記事には、言うまでもなくずいぶん興奮させられて、切抜きを長い間壁に貼ってあったものの、残念ながら何かの拍子に無くしてしまったのですが、「この計画が実現すれば、いよいよオレの時代が来るな!」と、カン違いを熟成させつつ、「あそこを浚渫すれば、ずいぶん楽になる」「ここは閘門が必要だな」など、あれこれ妄想にふけったものでした。
【「続きを読む」をクリックしてご覧ください。うんざりするほど長いです】
●まあ、「新川が昔のように可航河川なら、江戸川と荒川との行き来が楽になるんだが」とか、「多摩川が浚渫されていたら、調布堰の閘門が通れて楽しいだろうなあ」…むにゃむにゃと、妄想は趣味の一環として、日々絶え間なくしているのであって、別に水路の現状に不満を渦巻かせているわけではありません、ハイ。今のままでも、お腹いっぱいになれるほど楽しいです。単純に、舟行きできる水路が増えるのは、嬉しいということですね。
格好良く言い換えれば、心象航行ということになりましょうか。もともと可航河川が好きということもあり、自分でほじくるわけにもいかないとなれば、想像の世界で楽しむほか、ないわけであります。
●で、先週になって、何気にまた新聞記事のことを思い出したとき、ふと、「そういえば、新聞と同時期の『世界の艦船』でも、このことを書いた記事があったような…」と、どういうわけだかピンと来るものがあり、積んであった本をかき回してみると、果たして、あったのです!
月刊「世界の艦船」2003年11月号、「首都圏物流に河川舟運を! 日本プロジェクト産業協議会(JAPIC)の提唱」石渡幸二・前編集長の書かれた記事でした。実質6年3ヶ月前ですか、10年前は記憶違いだったかな。まあ、新聞報道とこの記事が同時期だったか、記憶が定かではないのでわかりません。
●この計画、JAPICの提唱した関東・近畿・九州の3つの舟運構想のうちのひとつで、別名を「関東ウォーターハイウェイ構想」。ひとことで言えば、江戸時代の「内川回し」ルートの現代版、ということになりましょうか。
かつて、東北方面から銚子までやって来た回米輸送を、海難の多い房総半島沖ルートを避け、高瀬舟によって利根川~江戸川を経由し、江戸まで輸送したのがいわゆる「内川回し」ルート。明治半ばには、これに利根運河が加わり、距離がぐっと縮まりました。
関東舟運構想は、利根川・利根運河を利用するまでは同様ですが、始点を臨海工業地帯の要・鹿島港に置いたこと、新開鑿の運河によって、江戸川を経ずに中川へ直結し、首都圏の可航河川に連絡する2点が、かつてとは大きく異なります。

荒川を下る独航艀。舟運構想では、このクラスの船の3倍近い能力を持つ、載貨重量600t級の通航を前提として計画が進められていた。
●ほぼ7年ぶりに記事を読んで、当然ながらコーフン気味となり、読んでいるだけでは気持ちが収まらなくなってきました。せっかくなので、この勢いに乗じて妄想のオカズを作っておこうと、石渡氏の記述に従い、Googleマップ上に「関東舟運構想ルート図」を再現してみたのが、この(↓)地図。
以下、記事を引用しながらお話ししますので、しばらく船頭の妄想、心象航行にお付き合いいただければ幸いです。
大きな地図で 関東舟運構想ルート図 をご覧ください。各ポインタの説明もあります。
●記事から要約すると、JAPICは、①モーダルシフト(輸送方式の転換)により環境に配慮した社会の実現が可能。 ②河川舟運を通じて豊かな水辺環境が実現できる。 ③都市防災能力が向上する。…という3つの視点から、平成13年度より調査を進め、上に触れた3つの地域での具体的なルートを選定、平成14年にマスタープランの作成を行なったのだそう。
ちなみに、事業費は約1500億円と算定され、長さ50m、幅8m、満載喫水2m、載貨重量600tの船を、運航可能な航路を整備する計画だったとのこと。
現在、JAPICのサイトを拝見しても、この件については残念ながら触れられていませんが、当時の新聞に採り上げられたくらいですから、内外に向けて、これらの構想を広く提言したことでしょう。
●ルートのディテールについて、いくつかかいつまんで説明しましょう。なお、記事掲載の地図はごく小さいもので、細かい部分は想像するしかありませんでした。地図上にルートを描くにあたり、私の想像(いや、妄想)で補った部分は、ポインタの説明に「経路推定」と注記してあります。

荒川、秋ヶ瀬橋から秋ヶ瀬取水堰を望む。構想が実現すれば、ここから鹿島港まで、全長150kmにおよぶ内水航路が出現するはずであった。
●東京近郊側の起点は、荒川の秋ヶ瀬とされています。近隣の戸田・和光市などには、倉庫など物流業や印刷・紙工業などの工場も多いので、これは充分うなずけますね。ただし物流拠点とするには、高水敷をかさ上げしてスーパー堤防とし、その上にトラックヤードや上屋を設ける必要があると思います。(地図上のポインタを西岸にしたのは、特に根拠はありません。)
記事によると、「大規模な舟運基地(リバー・ターミナル)を霞ヶ浦の土浦付近と北浦の鹿行大橋付近に建設し、小規模な舟運基地(リバー・ステーション)を秋ヶ瀬、柏、我孫子などに設ける」とありましたから、構想では秋ヶ瀬の重要度は、それほど高くなかったのかもしれません。
また、記事にもあるように、ルートから外れた内水域各地にも、舟運の恩恵を及ぼそうという計画であったことがわかります。

中川、大場川水門付近より上流を望む。構想では、江戸川にくらべて河床勾配が緩く、可航距離も長い中川を中盤のメインラインとして考えていた。
●実用面はさておき、個人的に最も興味深いのが、既存河川のルート選定と、新規開鑿される水路のこと。まず興味をそそられたのが、江戸川でなく、中川をルート中盤のメインラインとして選択した部分でした。
想像するに、結構な排水量を持つ油槽船(独航艀)が、今でも八潮市の三愛石油まで通っていることが、大きな理由になったのではないでしょうか。
旧ブログでも触れましたが、中川は江戸川にくらべて、現状では安全な可航域がはるかに長く、水深も比較的安定しており、中流域には危険な洲もほとんどありません。
ただし、記事にも「中川、新中川の分岐点までは川幅、水深とも十分であるが、その上流部は渇水時に所要の水深(2.7メートル)を確保できない」とあるように、小型船舶ならともかく、独航艀の航行を考えると、それなりの改良が必要とは思います。

中川西岸、八潮市にある油槽所の揚搭設備。独航艀の定期便が走る、現役の実用舟航河川であったことも、中川が選ばれた理由のひとつであったと思われる。
●次に、もっとも夢がふくらんだのが、中川~江戸川間に新規開鑿される運河のくだり!
中川畔の地名を冠して、仮にせよ「川藤運河」と名付けられているのも、泣かせるじゃないですか! 長くなりますが、記事を引用すると、
「(前略)既設の農業水路を利用して、これを拡幅するかたちで開削を行ない、農業水路のない部分は全面的に掘削する。長さは約4キロである。(中略)この運河は片側航路幅とし、中央部に2隻が反航可能な離合所を設ける。中川と江戸川では水位差が約3.2メートルあり、通船にあたってはかなりの水量を必要とする。」
ちなみに、中川口には閘門を設けるとのこと。両河川の水位差が3.2mもあるとは驚きで、河床勾配の違いを感じさせる下りですね。中川が走りやすいのも道理です。なお、地図のルートはもちろん想像で、記事に従い、用水路のあるところはそれに沿わせ、県道326号線東端から利根運河までは、直線ルートを採りました。

利根運河、利根川口にある運河水門。構想によれば、ここと江戸川口の二ヶ所に閘門を設け、河床の高い運河内の水深を維持する計画であったという。
●いにしえのメインラインだった江戸川は、横断するだけですぐに利根運河へ。江戸川、利根川とも、可航水深確保のため、運河下流に可動堰を設け、しかも利根運河両端には閘門を設けるという念の入れよう。イヤ~、いくつ閘門を通れるんだ! 万が一実現したら、嬉しさのあまり狂うかもしれんです(笑)。
ご存知のように、現在の利根運河は江戸川・利根川より河床が高くなっているため、両端に閘門を設けることによって水深を保つのでしょう。浚渫に言及されていないのは、ちょっと意外でしたが、この場合、運河内の水源をどこに求めるのか、気になるところではあります。

利根川~常陸利根川間の背割堤にある、小見川閘門。ここも構想が実現すれば、独航艀が通航可能な、大型閘門に改築されたことだろう。
●洲の多い利根川中流部は、念入りに浚渫していただくとして、やはり気になるのは最終コースのあたり。
利根川から小見川閘門(構想が実現すれば、当然改築・拡大されるでしょう)を通り、常陸利根川~外浪逆浦~鰐川と、水郷の東端をかすめて、いよいよ鹿島港へ。鰐川(北浦)~鹿島港北航路間の水路は、既存の堀割川を一部活用した新規開鑿の水路で、港への出口には、防潮を兼ねた閘門を設置するとのこと。
秋ヶ瀬から実に、延長約150km! ここに至るまで、少なくとも5つの閘門(しかも艀が通ることを前提とするのですから、どれも立派な大型閘門になるでしょう)を経て、この最終閘門を抜けると、ドドンと視界いっぱいに、鹿島臨海工業地帯の雄大な風景が広がるという寸法。長い水路の旅のフィナーレとしては、魅力的過ぎる、感動的な光景に違いありません!

外浪逆浦から、対岸はるかに鹿島臨海工業地帯の煙突群を望む。内水といっても結構な面積がある湖沼なので、風が強くなれば激しい波に悩まされる。
●長々と妄想を垂れ流してきましたが、足かけ8年を経て、今に至るも着工の報道すらなされていないということは、当然ながら実現のめどは立たないまま、今日を迎えてしまったのでしょう。
挫折したとすれば、まことに残念ではあります。しかし、あの新聞記事を読んで以来、私の脳内には、日本一の大可航水路を、自ら走る妄想風景が消えたことはありませんでした。それは、たまらなく楽しいひとときでもあったのです。
あこがれの利根運河を、大利根を、そして水郷を自艇で訪ねる長距離可航水路の旅!
例え実現にははるかに遠くとも、艇とともに水に浮いているかぎり、夢見続けていたい水路風景であります。

北浦南端の鰐川。ここから鹿島港は指呼の間で、既存河川の拡幅と新規開鑿を併せて運河を造り、防潮閘門を介して鹿島港に接続する計画であった。
【22年2月14日追記】2枚目写真のキャプションを訂正しました。

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格好良く言い換えれば、心象航行ということになりましょうか。もともと可航河川が好きということもあり、自分でほじくるわけにもいかないとなれば、想像の世界で楽しむほか、ないわけであります。
●で、先週になって、何気にまた新聞記事のことを思い出したとき、ふと、「そういえば、新聞と同時期の『世界の艦船』でも、このことを書いた記事があったような…」と、どういうわけだかピンと来るものがあり、積んであった本をかき回してみると、果たして、あったのです!
月刊「世界の艦船」2003年11月号、「首都圏物流に河川舟運を! 日本プロジェクト産業協議会(JAPIC)の提唱」石渡幸二・前編集長の書かれた記事でした。実質6年3ヶ月前ですか、10年前は記憶違いだったかな。まあ、新聞報道とこの記事が同時期だったか、記憶が定かではないのでわかりません。
●この計画、JAPICの提唱した関東・近畿・九州の3つの舟運構想のうちのひとつで、別名を「関東ウォーターハイウェイ構想」。ひとことで言えば、江戸時代の「内川回し」ルートの現代版、ということになりましょうか。
かつて、東北方面から銚子までやって来た回米輸送を、海難の多い房総半島沖ルートを避け、高瀬舟によって利根川~江戸川を経由し、江戸まで輸送したのがいわゆる「内川回し」ルート。明治半ばには、これに利根運河が加わり、距離がぐっと縮まりました。
関東舟運構想は、利根川・利根運河を利用するまでは同様ですが、始点を臨海工業地帯の要・鹿島港に置いたこと、新開鑿の運河によって、江戸川を経ずに中川へ直結し、首都圏の可航河川に連絡する2点が、かつてとは大きく異なります。

荒川を下る独航艀。舟運構想では、このクラスの船の3倍近い能力を持つ、載貨重量600t級の通航を前提として計画が進められていた。
●ほぼ7年ぶりに記事を読んで、当然ながらコーフン気味となり、読んでいるだけでは気持ちが収まらなくなってきました。せっかくなので、この勢いに乗じて妄想のオカズを作っておこうと、石渡氏の記述に従い、Googleマップ上に「関東舟運構想ルート図」を再現してみたのが、この(↓)地図。
以下、記事を引用しながらお話ししますので、しばらく船頭の妄想、心象航行にお付き合いいただければ幸いです。
大きな地図で 関東舟運構想ルート図 をご覧ください。各ポインタの説明もあります。
●記事から要約すると、JAPICは、①モーダルシフト(輸送方式の転換)により環境に配慮した社会の実現が可能。 ②河川舟運を通じて豊かな水辺環境が実現できる。 ③都市防災能力が向上する。…という3つの視点から、平成13年度より調査を進め、上に触れた3つの地域での具体的なルートを選定、平成14年にマスタープランの作成を行なったのだそう。
ちなみに、事業費は約1500億円と算定され、長さ50m、幅8m、満載喫水2m、載貨重量600tの船を、運航可能な航路を整備する計画だったとのこと。
現在、JAPICのサイトを拝見しても、この件については残念ながら触れられていませんが、当時の新聞に採り上げられたくらいですから、内外に向けて、これらの構想を広く提言したことでしょう。
●ルートのディテールについて、いくつかかいつまんで説明しましょう。なお、記事掲載の地図はごく小さいもので、細かい部分は想像するしかありませんでした。地図上にルートを描くにあたり、私の想像(いや、妄想)で補った部分は、ポインタの説明に「経路推定」と注記してあります。

荒川、秋ヶ瀬橋から秋ヶ瀬取水堰を望む。構想が実現すれば、ここから鹿島港まで、全長150kmにおよぶ内水航路が出現するはずであった。
●東京近郊側の起点は、荒川の秋ヶ瀬とされています。近隣の戸田・和光市などには、倉庫など物流業や印刷・紙工業などの工場も多いので、これは充分うなずけますね。ただし物流拠点とするには、高水敷をかさ上げしてスーパー堤防とし、その上にトラックヤードや上屋を設ける必要があると思います。(地図上のポインタを西岸にしたのは、特に根拠はありません。)
記事によると、「大規模な舟運基地(リバー・ターミナル)を霞ヶ浦の土浦付近と北浦の鹿行大橋付近に建設し、小規模な舟運基地(リバー・ステーション)を秋ヶ瀬、柏、我孫子などに設ける」とありましたから、構想では秋ヶ瀬の重要度は、それほど高くなかったのかもしれません。
また、記事にもあるように、ルートから外れた内水域各地にも、舟運の恩恵を及ぼそうという計画であったことがわかります。

中川、大場川水門付近より上流を望む。構想では、江戸川にくらべて河床勾配が緩く、可航距離も長い中川を中盤のメインラインとして考えていた。
●実用面はさておき、個人的に最も興味深いのが、既存河川のルート選定と、新規開鑿される水路のこと。まず興味をそそられたのが、江戸川でなく、中川をルート中盤のメインラインとして選択した部分でした。
想像するに、結構な排水量を持つ油槽船(独航艀)が、今でも八潮市の三愛石油まで通っていることが、大きな理由になったのではないでしょうか。
旧ブログでも触れましたが、中川は江戸川にくらべて、現状では安全な可航域がはるかに長く、水深も比較的安定しており、中流域には危険な洲もほとんどありません。
ただし、記事にも「中川、新中川の分岐点までは川幅、水深とも十分であるが、その上流部は渇水時に所要の水深(2.7メートル)を確保できない」とあるように、小型船舶ならともかく、独航艀の航行を考えると、それなりの改良が必要とは思います。

中川西岸、八潮市にある油槽所の揚搭設備。独航艀の定期便が走る、現役の実用舟航河川であったことも、中川が選ばれた理由のひとつであったと思われる。
●次に、もっとも夢がふくらんだのが、中川~江戸川間に新規開鑿される運河のくだり!
中川畔の地名を冠して、仮にせよ「川藤運河」と名付けられているのも、泣かせるじゃないですか! 長くなりますが、記事を引用すると、
「(前略)既設の農業水路を利用して、これを拡幅するかたちで開削を行ない、農業水路のない部分は全面的に掘削する。長さは約4キロである。(中略)この運河は片側航路幅とし、中央部に2隻が反航可能な離合所を設ける。中川と江戸川では水位差が約3.2メートルあり、通船にあたってはかなりの水量を必要とする。」
ちなみに、中川口には閘門を設けるとのこと。両河川の水位差が3.2mもあるとは驚きで、河床勾配の違いを感じさせる下りですね。中川が走りやすいのも道理です。なお、地図のルートはもちろん想像で、記事に従い、用水路のあるところはそれに沿わせ、県道326号線東端から利根運河までは、直線ルートを採りました。

利根運河、利根川口にある運河水門。構想によれば、ここと江戸川口の二ヶ所に閘門を設け、河床の高い運河内の水深を維持する計画であったという。
●いにしえのメインラインだった江戸川は、横断するだけですぐに利根運河へ。江戸川、利根川とも、可航水深確保のため、運河下流に可動堰を設け、しかも利根運河両端には閘門を設けるという念の入れよう。イヤ~、いくつ閘門を通れるんだ! 万が一実現したら、嬉しさのあまり狂うかもしれんです(笑)。
ご存知のように、現在の利根運河は江戸川・利根川より河床が高くなっているため、両端に閘門を設けることによって水深を保つのでしょう。浚渫に言及されていないのは、ちょっと意外でしたが、この場合、運河内の水源をどこに求めるのか、気になるところではあります。

利根川~常陸利根川間の背割堤にある、小見川閘門。ここも構想が実現すれば、独航艀が通航可能な、大型閘門に改築されたことだろう。
●洲の多い利根川中流部は、念入りに浚渫していただくとして、やはり気になるのは最終コースのあたり。
利根川から小見川閘門(構想が実現すれば、当然改築・拡大されるでしょう)を通り、常陸利根川~外浪逆浦~鰐川と、水郷の東端をかすめて、いよいよ鹿島港へ。鰐川(北浦)~鹿島港北航路間の水路は、既存の堀割川を一部活用した新規開鑿の水路で、港への出口には、防潮を兼ねた閘門を設置するとのこと。
秋ヶ瀬から実に、延長約150km! ここに至るまで、少なくとも5つの閘門(しかも艀が通ることを前提とするのですから、どれも立派な大型閘門になるでしょう)を経て、この最終閘門を抜けると、ドドンと視界いっぱいに、鹿島臨海工業地帯の雄大な風景が広がるという寸法。長い水路の旅のフィナーレとしては、魅力的過ぎる、感動的な光景に違いありません!

外浪逆浦から、対岸はるかに鹿島臨海工業地帯の煙突群を望む。内水といっても結構な面積がある湖沼なので、風が強くなれば激しい波に悩まされる。
●長々と妄想を垂れ流してきましたが、足かけ8年を経て、今に至るも着工の報道すらなされていないということは、当然ながら実現のめどは立たないまま、今日を迎えてしまったのでしょう。
挫折したとすれば、まことに残念ではあります。しかし、あの新聞記事を読んで以来、私の脳内には、日本一の大可航水路を、自ら走る妄想風景が消えたことはありませんでした。それは、たまらなく楽しいひとときでもあったのです。
あこがれの利根運河を、大利根を、そして水郷を自艇で訪ねる長距離可航水路の旅!
例え実現にははるかに遠くとも、艇とともに水に浮いているかぎり、夢見続けていたい水路風景であります。

北浦南端の鰐川。ここから鹿島港は指呼の間で、既存河川の拡幅と新規開鑿を併せて運河を造り、防潮閘門を介して鹿島港に接続する計画であった。
【22年2月14日追記】2枚目写真のキャプションを訂正しました。

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