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羽田周辺の船溜めぐり…5

(『羽田周辺の船溜めぐり…4』のつづき)

20066.jpg船溜の例に漏れず、各船のオーナーが、思い思いに桟橋をあつらえてもやっているのですが、ほとんどは価格・耐久性の点からでしょうか、工事の足場に使われるような鉄パイプ組みのもの。

この桟橋、主構造(?)は鉄パイプながら、手すりや歩み板は木製で、なかなかの雰囲気。一見、やっつけたような造作に見えますが、個人で桟橋を組み上げるのは、結構大変なのでしょうね。
私が桟橋を持てる身分になったら…。木製の簡易トラス構造に、チェーンブロックで上下するドルフィンが釣ってあるとか、マニアな桟橋にしてみたい…、などと、妄想してしまいました。

20067.jpg
縦列繋船のお陰か、はたまた貴船堀に歓迎されているのか、すんなりと奥まで来ることができました。堀の周りは、意外に人通りが多く、また北側には木立があって、悪くない雰囲気です。

もやうフネブネは、漁船とプレジャー型が、半々くらいでしょうか。

20068.jpg旧呑川船溜では、最奥部の写真がブレブレでお見せできなかったので、ここでようやくご覧に入れられます。砂地のままのスロープに、インクライン式船台の線路が一組設けてあるのは、北前堀、旧呑川と同様です。

手前の水面にフェンスが張られているのは、ゴミの漂着を防止するためでしょうか。船台の背後も金網で囲まれて、陸上からも、自由に出入りできる感じではなさそうですね。

20069.jpg貴船堀を出て、みたび平和島運河に戻り、最後の目的地へ。フェンスと澪標に囲まれた、「ふるさとの浜辺公園」の水面に沿って進みます。

前回触れた国土変遷アーカイブの航空写真、「USA-M376-44」を見ると、写真右に見えるコンクリート堤は、防波堤として造られたものだったことがわかります。現在の大森グラウンドに、かつて東京ガスの工場があった際、この防波堤の内側を、横付けする船舶の船溜としていたのですね。今は堤内側に砂洲ができて、トリさんの社交場になっているようです。

そうそう、京浜運河と、この平和島運河をつなぐ水路、「ガスミオ運河」なる変わった名前がついていますが、これも東京ガスの工場に出入りする船のために、浅瀬を浚渫して造った澪筋(ガス澪)が、その由来のようですね。
これも先の航空写真で、澪筋を確認することができます。いや~、昔の写真を見ていると、埋め立ての歴史が髣髴されて、興味が尽きないなあ…。

20070.jpg昭和島西岸では、クレーン船が出て、護岸工事中のようです。水辺を見ると、真新しい石積みの法面護岸を構築中。

浜辺公園の対岸と言うこともあり、公園からの視界に入るここを、体裁よく修景するための工事なのでしょう。風波から守られた広い水面であることも手伝って、プレジャーボートの皆さんにも、眺めのよい泊地として、いずれ人気が出るかもしれません。


(21年12月13日撮影)

(『羽田周辺の船溜めぐり…6』につづく)

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タグ : 貴船堀平和島運河貴船水門

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