羽田周辺の船溜めぐり…4
(『羽田周辺の船溜めぐり…3』のつづき)
●ふたたび平和島運河に出て、どんより曇った空の下を北上。前方には、「大森ふるさとの浜辺公園」の砂浜が、白く見えてきました。
次に目指す船溜は、あの砂浜の南端近くにあります。

●貴船水門前に到着。…同じような水門ばかり見せられて、そろそろウンザリしてきたころかもしれませんが、アンテナのあるなしとか、階段のつけどころとか、細かい部分の違いを、よろしくお楽しみいただきたく…。
●ここ貴船堀も、大部分が埋め立てられたという点では、他の船溜と変わりありませんが、かつての形はなかなか個性的でした。
国土変遷アーカイブの航空写真に、かつての堀の形が写っています。昭和22年撮影の「USA-M376-44」(200dpiでご覧ください)の写真左上、弓なりに反った防波堤の右端近くが、貴船堀の入口です。
かぎの手に、東京ガスの敷地を囲むようにして奥に伸び、さらに丁字流で2本の支堀を分かつ、まるで迷路のような水路形…。ミニ水郷と言ってもよい情景が、展開されていたに違いありません。
もし、今も残っていたとしたら、支堀の奥まで走ってみたくなるような、魅力的な水路になっていたことでしょう。イヤ、ビッシリともやわれた海苔舟に恐れをなして、入口付近で逃げ出す公算が高いかな?
●お邪魔してみると、こちらは縦列繋船ですか、これなら奥までいけるかな…。
ちなみに、この右(北西方)には、幕末に徳川家の大筒丁打場(大砲の試射場)が設けられ、岸に沿って南東方向を射界としていたとのこと。今でも遺跡は残っているのでしょうか。もしかしたら、昔、運河の底を浚渫したとき、当時の円弾(丸い大砲のタマ)が掘り出された、なんてこともあったかもしれませんね。
【撮影地点のMapion地図】
●水門を入ってすぐのところにもやっていた、この漁船にハートわしづかまれた! 傾斜前面2枚窓の、やたらとスリムなキャブが格好良すぎます。アンカーも古風なストックアンカーと、ダンフォースにしないあたり、硬派の雰囲気濃厚。
惜しむらくは、だいぶくたびれているところですが、船体は健全のようですから、ガンネルを張り替えて、化粧直しをすれば見違えるでしょう。
●護岸は、旧呑川のそれより、さらに星霜を経た風に見える、石組みの法面。
埋立が進む戦後しばらくまで、風向きによっては、直接外海の波が堀を洗うこともあったでしょうから、早い時期に堅固な護岸が組まれたと見てよいでしょう。
(21年12月13日撮影)
(『羽田周辺の船溜めぐり…5』につづく)

にほんブログ村

次に目指す船溜は、あの砂浜の南端近くにあります。

●貴船水門前に到着。…同じような水門ばかり見せられて、そろそろウンザリしてきたころかもしれませんが、アンテナのあるなしとか、階段のつけどころとか、細かい部分の違いを、よろしくお楽しみいただきたく…。
●ここ貴船堀も、大部分が埋め立てられたという点では、他の船溜と変わりありませんが、かつての形はなかなか個性的でした。
国土変遷アーカイブの航空写真に、かつての堀の形が写っています。昭和22年撮影の「USA-M376-44」(200dpiでご覧ください)の写真左上、弓なりに反った防波堤の右端近くが、貴船堀の入口です。
かぎの手に、東京ガスの敷地を囲むようにして奥に伸び、さらに丁字流で2本の支堀を分かつ、まるで迷路のような水路形…。ミニ水郷と言ってもよい情景が、展開されていたに違いありません。
もし、今も残っていたとしたら、支堀の奥まで走ってみたくなるような、魅力的な水路になっていたことでしょう。イヤ、ビッシリともやわれた海苔舟に恐れをなして、入口付近で逃げ出す公算が高いかな?

ちなみに、この右(北西方)には、幕末に徳川家の大筒丁打場(大砲の試射場)が設けられ、岸に沿って南東方向を射界としていたとのこと。今でも遺跡は残っているのでしょうか。もしかしたら、昔、運河の底を浚渫したとき、当時の円弾(丸い大砲のタマ)が掘り出された、なんてこともあったかもしれませんね。
【撮影地点のMapion地図】

惜しむらくは、だいぶくたびれているところですが、船体は健全のようですから、ガンネルを張り替えて、化粧直しをすれば見違えるでしょう。

埋立が進む戦後しばらくまで、風向きによっては、直接外海の波が堀を洗うこともあったでしょうから、早い時期に堅固な護岸が組まれたと見てよいでしょう。
(21年12月13日撮影)
(『羽田周辺の船溜めぐり…5』につづく)

にほんブログ村
- 関連記事
-
- 羽田周辺の船溜めぐり…6
- 羽田周辺の船溜めぐり…5
- 羽田周辺の船溜めぐり…4
- 羽田周辺の船溜めぐり…3
- 羽田周辺の船溜めぐり…2
コメント
コメントの投稿