福地運河の水門…2
(『福地運河の水門…1』のつづき)
●巻上機室の脚部に掲げられていたプレート。
今回、この表示に従い「梨ノ木水門」としたのですが、前回触れた北上川下流河川事務所のサイトには「梨木水門」とあり、どちらが正式名称なのかはわかりません。まあ、読み方は同じだと思うのですが…。
そうそう、呼び名については、もうひとつ気になる発見があったのです。
●堤防道から水門に入る道の角に、ご覧のような壊れかけのバス停があったのですが、停留所名をよく見ると…「梨ノ木閘門」!
イヤ、閘門じゃないでしょう!とツッコミたくなりながらも、はて、これは本当に間違いなのだろうか、と、ある疑いを抱くに足るモノを、実は出発前に見てきたのです。
そのモノとは、梨ノ木水門周辺を写した、このGoogle航空写真…。水門の右手に、分流している短い水路が写っていますね。
●右の写真が、その水路を管理橋の上から見たところ。旧流路の跡にしては、形がはっきりし過ぎています。Google航空写真には、取り付け道路の土手を隔てて、旧北上川の側にも、水路の痕跡のような澪筋が写っている…。
バス停の名前、怪しげな水路の痕跡…。まあ、もうおわかりとは思いますが、この「水路跡」に昔、閘門があったのではと妄想させるには、充分過ぎる材料があったわけです。
●補強だらけの管理橋の上から、改めて、初めての福地運河にご挨拶。
ここはまだ、かつての追波川の河道をそのまま利用した区間ですから、河川敷もいにしえの大河相応に広いのですが、狭められた流れは運河らしい雰囲気。晴れた日に、山並みを眺めながらの航行は、さぞ楽しいことでしょうね。

●幸いにして、雨脚も少し弱まってきました。
管理橋が渡す道は、格好の抜け道になっているようで、交通量が多く、クルマがひっきりなしに通るので、ちょっと気圧される場所ではありましたが、雨雲をバックにしたトタン小屋水門・梨ノ木水門との逢瀬は、予想以上に楽しいひとときでした。
(21年12月3日撮影)
【追記】妄想しているだけでは収まらず、国土変遷アーカイブの航空写真で、昭和23年と36年の梨ノ木水門付近を閲覧してみたのですが…。23年は水門の姿は全くなく、36年も梨ノ木水門のみで、この場所に閘門はなかったことがわかり、ちょっとがっかり。昔から、水門を閘門と呼んでしまう例は各地にあったので、まあ、ここもその伝であったということです。
(『福地運河の水門…3』につづく)

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今回、この表示に従い「梨ノ木水門」としたのですが、前回触れた北上川下流河川事務所のサイトには「梨木水門」とあり、どちらが正式名称なのかはわかりません。まあ、読み方は同じだと思うのですが…。
そうそう、呼び名については、もうひとつ気になる発見があったのです。

イヤ、閘門じゃないでしょう!とツッコミたくなりながらも、はて、これは本当に間違いなのだろうか、と、ある疑いを抱くに足るモノを、実は出発前に見てきたのです。
そのモノとは、梨ノ木水門周辺を写した、このGoogle航空写真…。水門の右手に、分流している短い水路が写っていますね。

バス停の名前、怪しげな水路の痕跡…。まあ、もうおわかりとは思いますが、この「水路跡」に昔、閘門があったのではと妄想させるには、充分過ぎる材料があったわけです。

ここはまだ、かつての追波川の河道をそのまま利用した区間ですから、河川敷もいにしえの大河相応に広いのですが、狭められた流れは運河らしい雰囲気。晴れた日に、山並みを眺めながらの航行は、さぞ楽しいことでしょうね。

●幸いにして、雨脚も少し弱まってきました。
管理橋が渡す道は、格好の抜け道になっているようで、交通量が多く、クルマがひっきりなしに通るので、ちょっと気圧される場所ではありましたが、雨雲をバックにしたトタン小屋水門・梨ノ木水門との逢瀬は、予想以上に楽しいひとときでした。
(21年12月3日撮影)
【追記】妄想しているだけでは収まらず、国土変遷アーカイブの航空写真で、昭和23年と36年の梨ノ木水門付近を閲覧してみたのですが…。23年は水門の姿は全くなく、36年も梨ノ木水門のみで、この場所に閘門はなかったことがわかり、ちょっとがっかり。昔から、水門を閘門と呼んでしまう例は各地にあったので、まあ、ここもその伝であったということです。
(『福地運河の水門…3』につづく)

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