蹴上インクライン…3
(『蹴上インクライン…2』のつづき)
●小公園と取水施設の周りをうろついてから、インクラインの軌道敷に戻りました。坂の頂上のあたりには、ご覧のとおり踏切があって、ちょっと驚き。
エンドレスワイヤーを避ける溝がないことから、もちろん、現役当時のものではないのでしょうが、レールはきちんと露出させてあるため、あたかも、昔からあったかのような感じがします。

●サミットを少し過ぎて、蹴上船溜に至る短い下り坂に、今ひとつの台車がありました。背後に見える鉄輪は、かつて蹴上船溜りの水中にあり、エンドレスワイヤーを反転させるために用いられていた、プーリーを展示したもの。
台車に載せられた舟は、先ほど伏見で見た十石舟同様、琵琶湖で用いられた、マルコブネ系の舟でした。江戸時代以来、高瀬川で活躍していた、四角い船首を持った備前系の高瀬舟は、明治になってマルコブネに押され、衰退してしまったのでしょうか。このあたり資料がないので、詳しい方のご教示を給わりたいものです。
●台車のかたわらにあった説明板。近代化産業遺産の指定を受けているのですね。
本やサイトなどの、インクラインについての説明を見るにつけ、少々残念に思うのは、挿絵が簡単な縦断面図で済まされている例が少なくなく、インクラインを知らない人に構造を理解してもらうのは、難しいのではないかということでした。
いや、かく言う私も、細部を理解するには、かなり時間がかかりましたので…。ある一枚の絵に出会うまでは…。
●ええ…以前、旧ブログで、ドイツのヴッパータールにある河上モノレールの表紙画の件で、引っ張り出した月刊「子供の科学」、昭和7年6月号なんですが。
本誌の記事で、「インクラインとは何か」と題した、見開きの彩色図解に出会ったのですが、簡にして要を得た、もう涙が出そうな美しい解説図で、頭の鈍い私にも、一発で細部の構造が飲み込めたほど。
もちろん差し障りがあるのでできませんが、かなうならご覧に入れて、インクラインファンの数を、急上昇させてみたいと思うくらいです。
●図解の作者は、大正末から戦後すぐにかけて、少年向け科学図解を多数著された、本間清人氏。氏の図版に魅せられて、古書を蒐集していた部分もあっただけに、水運趣味の横溢する図解の出現は、特に印象深かったのだと思います。
●船溜を渡る人道橋、大神宮橋の上から、赤レンガの護岸が美しい、蹴上船溜を眺めて。水面を透かして、底に敷かれたレールを見ることができます。
ここで台車は水中に没し、ふたたび水に浮かんだ…いや、ここは昔風に、泛水(はんすい)した、と言いたいですね…舟は、棹差して隧道をくぐり、琵琶湖に向かったわけですね。
●私、艇でインクラインに載ったことがあります…と書くと、妙に思われるかもしれませんが、以前、夏の間だけ世話になっていた三浦半島のマリーナに、上架設備として、短いインクラインがあったのです。
ほんの短距離ながら、サスペンションのない車輪がレールを噛む、ゴロン、ゴロンという硬い振動はかなりのものでしたから、蹴上インクラインのように長距離ともなれば、その乗り心地はスパルタン極まりないものだったでしょう。運ばれているだけとはいえ、船頭さんたちの苦労も、並大抵ではなかっただろう…などと、想像してしまうのです。
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月12日撮影)
(『南禅寺水路閣』につづく)

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エンドレスワイヤーを避ける溝がないことから、もちろん、現役当時のものではないのでしょうが、レールはきちんと露出させてあるため、あたかも、昔からあったかのような感じがします。

●サミットを少し過ぎて、蹴上船溜に至る短い下り坂に、今ひとつの台車がありました。背後に見える鉄輪は、かつて蹴上船溜りの水中にあり、エンドレスワイヤーを反転させるために用いられていた、プーリーを展示したもの。
台車に載せられた舟は、先ほど伏見で見た十石舟同様、琵琶湖で用いられた、マルコブネ系の舟でした。江戸時代以来、高瀬川で活躍していた、四角い船首を持った備前系の高瀬舟は、明治になってマルコブネに押され、衰退してしまったのでしょうか。このあたり資料がないので、詳しい方のご教示を給わりたいものです。

本やサイトなどの、インクラインについての説明を見るにつけ、少々残念に思うのは、挿絵が簡単な縦断面図で済まされている例が少なくなく、インクラインを知らない人に構造を理解してもらうのは、難しいのではないかということでした。
いや、かく言う私も、細部を理解するには、かなり時間がかかりましたので…。ある一枚の絵に出会うまでは…。

本誌の記事で、「インクラインとは何か」と題した、見開きの彩色図解に出会ったのですが、簡にして要を得た、もう涙が出そうな美しい解説図で、頭の鈍い私にも、一発で細部の構造が飲み込めたほど。
もちろん差し障りがあるのでできませんが、かなうならご覧に入れて、インクラインファンの数を、急上昇させてみたいと思うくらいです。
●図解の作者は、大正末から戦後すぐにかけて、少年向け科学図解を多数著された、本間清人氏。氏の図版に魅せられて、古書を蒐集していた部分もあっただけに、水運趣味の横溢する図解の出現は、特に印象深かったのだと思います。

ここで台車は水中に没し、ふたたび水に浮かんだ…いや、ここは昔風に、泛水(はんすい)した、と言いたいですね…舟は、棹差して隧道をくぐり、琵琶湖に向かったわけですね。
●私、艇でインクラインに載ったことがあります…と書くと、妙に思われるかもしれませんが、以前、夏の間だけ世話になっていた三浦半島のマリーナに、上架設備として、短いインクラインがあったのです。
ほんの短距離ながら、サスペンションのない車輪がレールを噛む、ゴロン、ゴロンという硬い振動はかなりのものでしたから、蹴上インクラインのように長距離ともなれば、その乗り心地はスパルタン極まりないものだったでしょう。運ばれているだけとはいえ、船頭さんたちの苦労も、並大抵ではなかっただろう…などと、想像してしまうのです。
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月12日撮影)
(『南禅寺水路閣』につづく)

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