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旧毛馬第一閘門を訪ねて…8

(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…7』のつづき)

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旧毛馬第一閘門の周辺にある、記念物についてまとめてみました。世紀の大工事であった淀川改修事業、その目玉となる毛馬洗堰・閘門が設けられた新淀川との分流点だけあって、さまざまな記念物が閘門とともに時を過ごしています。写真の淀川改修紀功碑から見てゆきましょう。

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淀川改修紀功碑は、明治29年に始まり、同42年に一応の完工を見た、瀬田から河口に至る淀川改修工事の終了を記念して、42年6月に建立されたものです。台座にはめ込まれた碑文の撰は、当時の大阪朝日新聞主筆、西村時彦。「淀川旧分流施設」として、他の構造物とともに、平成20年より国の重要文化財に指定されたそう。

盛土の上に建てられた塔型の碑は高さ10.6m、基部の造作も重厚で、まことに威風堂々たるもの。残念だったのは、周りの木々が茂りすぎていて、光線の具合もありましたが、正面からの全体像が見づらかったこと。先ほどの眼鏡橋もそうですが、見通しがよくなるように、もう少し剪定していただけるとありがたいですね。

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淀川の川蒸気を眺めて」で紹介した絵葉書、「(大阪名所)毛馬閘門」からトリミングしたもの。碑の表面が白く輝き、盛土もまだ芝が生えていないと思われる、真新しい感じの淀川改修紀功碑が写り込んでいました。

葉書の宛名・通信欄比率が2:1であることから、明治40年4月~大正7年3月の発行と推定できますが、碑があることで少なくとも、明治42年後半以降に撮影されたことがわかります。

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こちらは「毛馬閘門の絵葉書」より、「大阪毛馬閘門」からトリミングしたもの。植え込みの中に「紀念×××」と書かれた木柱が立てられていますが、もしかしたらこれが淀川改修紀功碑の前身なのか、それとも碑の建立予定地を示したものなのか‥‥いかがでしょう。

ともあれ、碑の建立前であることは明らかですから、撮影時期は閘門が竣工した明治40年から、碑の完成年である42年の間にしぼられますね。

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碑と同じく、閘室の北側にある旧毛馬基標。土木工事に不可欠な、高さの基準となるいわば基準点です。毛馬閘門の竣工を機に、複数あった基準点の一つが閘室近くに移設され、O.P.(オオサカ・ペイル)+15.5尺‥‥つまり、天保山で明治7年に観測された最低潮位より、4.697m高いことを示す基標となったもの。

設置後、地震や地盤沈下により高さが変動したため、昭和41年に基準点の役目を他に譲り、記念物となりました。石材の表面には「BM.OP.15.50/4.697M」と、現役時の高さが刻まれています。

305039.jpg旧閘門の前扉室側、淀川畔の土手上にある、工学博士沖野忠雄像と石碑2基。淀川改修を中心に、多くの河川・港湾土木に携わった、著名なシビルエンジニアを顕彰しての銅像で、彼が手掛けた淀川本流を望む形で立っています。

昭和10年建立、昭和54年復元。復元というのは、戦時中に金属供出でいったん撤去されたためです。中央にある方形の石碑に、昭和18年2月に銅像を撤去し、帝国海軍に献納した旨が記されていました。

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最後に変わったものとして、「毛馬の残念石」を。幕府による大阪城再築の際、伏見城より取り外した石材を運搬中に、船から河中に転落したものと推測されるものが、淀川改修工事の際に発見されました。

図示された公園内10か所に置かれた石は、材質や刻印からその際のものと推測されるそう。大阪城にあと少しのところでたどり着けなかったことから、「残念石」と呼ばれるようになったとのことです。

(令和5年9月30日撮影)

(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…9』につづく)

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タグ : 旧毛馬第一閘門淀川改修紀功碑