fc2ブログ

干拓博物館とカタブネ…2

(『干拓博物館とカタブネ…1』のつづき)

302106.jpg
左舷から見たところ。この角度からだと、舷縁のラインが反っているので割と普通の印象ですが、ほぼ垂直に立ち上がった舷側、船首もこれまた、半ばまでバーチカルステムといってよい形で、小型和船ではかつて目にしなかった異様さに息を呑んだものでした。

さて、説明板もないこの舟が、なぜカタブネだとわかったかをお話ししておかなくてはならないでしょう。丸木舟の項でも参考にさせていただいた出口晶子氏の「丸木舟」に、このカタブネが一項目を設け、写真・図面も併載の上詳述されていたからです。

302107.jpg
船首部分のアップ。垂直に立ち上がったミヨシ(船首材)は鉄板を巻いて補強されており、その上に開きをつけた上棚がぐっと突き出し、さらにそこへフタをするようにして厚みのある三角形の材がはめ込まれている構造。

プレートに書かれた船名「白第13号」、出口氏の著書に掲載された写真の舟にも「白第25号」というプレートが貼ってあったので、この地域の漁業組合の取り決めなどで、通し番号を振ってあったのかもしれません。

しかし‥‥船首からして直線的なこの造作、真横からのシルエットだけ見ると、前大戦時の米軍艦のようで、とても和船には思えません。これも八郎潟という水域なりの事情や、材の取り方などわけがあってこうなったものなのでしょうが、こうして実見した後でも、何か信じられない気持ちがぬぐい去れませんでした。

302108.jpg舷側を観察。胴の間の平行な部分と、船首に向かってテーパーがついた舷側材の境目は、接合にカスガイが使ってあるのが目立ちました。

ところどころに逆台形の埋め木が見られるのは、船釘(落とし釘)を打ち込んだ箇所。平たく湾曲した釘で、縫い合わせるように板を接合し大きな平面をつくる技法は、他地域の和船と変わりません。かつてはチキリ(鼓型の木片)やタタラ(端面にダボとしてはめ込む木栓)で接合し、接着・防水には漆を使っていたそうです。

302109.jpg
胴の間をのぞき込んで。ほとんど開きのない、まことに四角い断面に、驚かされるばかり。梁はここに見えるたった2本で、これで形を維持しているのもまた驚きです。

そうそう、なぜカタブネが、「丸木舟」に詳述されていたかに触れていませんでした。このカタブネ、四角張った船型からは信じがたいでしょうが、オモキ(船底材)が左右2材から成る刳舟構造、複材刳舟なのです。

もっとも、今回拝見したこの舟は、胴の間の舷側底部にも、釘穴と見られる埋め木がいくつか見られ、内外から観察しても、板を突き合わせた構造に見受けられたので、後年修繕の際に板材に入れ替えたか、あるいは材の不足などで、元から板組みとして造られたのかもしれないですね。ご存じの方、この点ご指摘をいただきたいところであります。

302110.jpg
胴の間には、エンジンの架台がありました。一見華奢な板組みの和船に、馬力の割に大きく重かった当時の内燃機関を載せた際の造作が、こうしてつぶさに見られるとは。オモキに接した太い2本の角材で前後が補強され、手前にはプロペラシャフトが入る樋状の箱組みも見られ、さらに左舷には機関の長さだけ垣立で舷側高さを補いと、まあ興味深いこと。

架台の角材とその直下には、油が沁みたように黒くなっているところも見られ、現役時代を髣髴させるものが。ちなみにカタブネは漁のほか、収穫した稲や肥えとして刈った草の運搬にも活用されたそうで、いわば水郷のサッパに近い、農舟だったといってよいのでしょう。

浅く広大な八郎潟と、その流入河川を活動の場とした古様かつ異形の舟。今回実見して、自分の和船観に新たな一項目が加わった気分ではありました。

【参考文献】 丸木舟(ものと人間の文化史 98) 出口晶子著 法政大学出版局

(令和5年7月26日撮影)

(『干拓博物館とカタブネ…3』につづく)

にほんブログ村 マリンスポーツブログ ボートへ
にほんブログ村
クリックお願いします
関連記事

タグ : 大潟村干拓博物館カタブネ