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「道の駅あきた港」にて…2

(『「道の駅あきた港」にて…1』のつづき)

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北東方向には、扇状に広がる広大なヤードが。貨物駅・秋田港駅ですね。何分貨物列車が入らなくなっているので、車輌も見られずがらんとして寂しいものですが、コロナ禍前まではクルーズ客船が入港するたび、短い区間列車ながら、いわゆる"ポート・トレイン"が運行されていたとのこと。

かつては八橋油田ほか、国内でも有力な油田を後背地に控えていたこと、周辺工業地帯への枝線も各所に通じていたことから、さぞ賑わったことでしょう。

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港の眺めを賑わいあるものにしているのが、この南西側に見える日本製紙の工場と、その手前に接岸していた撒積船。

工場の煙突は盛んに白煙をたなびかせ、撒積船は3本ある自らのクレーンをニョキニョキ動かして、忙しそうに荷役していました。動きのある港湾風景! 生き生きと躍動するさまを目の当たりにできたのは、嬉しいことでした。

302023.jpg展望台南側の説明板。「秋田運河(旧雄物川)」! キチンと書いてくれていて、泣けてきますわ(涙)。

江戸時代、北国七港の一つにまで数えられた土崎港も、河口港の宿命である土砂の堆積が災いし衰微。近代港湾への脱皮は明治18年、古市公威の名を冠した古市波止場築造からですが、飛躍を決定的にしたのはやはり、大正6年の雄物川放水路竣工でしょう。歴史ある土崎港の名が秋田港になったのは昭和16年、土崎港町が秋田市に合併されてからです。

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302025.jpgフネブネの姿を拾ってみましょう。対岸、貯木場のある向浜埠頭に接岸していたクレーン船。船橋前にちょこんと載せた豆曳船がいいですね。船名はわかりませんでしたが、(株)肥前建設の看板を掲げていました。

こちらも同じく対岸、少し沖合の岸壁にいた、テトラポッドを荷役中のプッシャーバージタイプのクレーン船。本体のなりにくらべて、押船がずいぶん小さいように見えるんですが、どうでしょう。ジブの社名は、(株)加藤建設とありました。

(令和5年7月25日撮影)

(『「道の駅あきた港」にて…3』につづく)

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タグ : 旧雄物川秋田港