7月9日の水路風景…6
(『7月9日の水路風景…5』のつづき)

●最後に、高架撤去の様子をちょっと見ておきたくなり、日本橋の近くを徘徊。左手、野村ビルの解体がほぼ片付いてクレーンの姿もなくなったことも手伝い、まあ視界が広いこと。
首都高江戸橋ランプは桁のみならず、橋脚の撤去に移ってきました。右の写真は北岸、江戸橋出口の桁を支えていた橋脚です。

●今回注目したのは、ランプの末端である橋台(?)部分。首都高の出入口は、橋詰広場のすべてか、一部のスペースを転用した例がいくつか見られますが、ここ江戸橋もそうでした。
こうして桁が外されてみると、こんなに狭かったのかと改めて驚かされますが、限られた場所を巧みに活かし、現役時は2車線の料金所ゲートまで設けられていたのですから、時代を感じさせるものがありますよね。
●上の写真が南岸の入口、右写真は北岸の出口があった跡。護岸の石張り風装飾から、橋と連続した構造物であったことがわかります。
震災復興橋梁に併設された橋詰のスペースは、首都高ランプに限らず、小児童公園などに転用された例が見られましたが、ここ江戸橋はランプ撤去後、どうなるのでしょう。昭和初期の竣工時そのままに、橋詰広場が復元されたら面白いと思うのですが、いかがでしょう?

●今回の真打(?)はこれ。「4月1日のお花見…5」の一枚目に写っていた江戸橋入口の橋脚、水面近くで切断され、丸い舞台状の基礎を残して撤去されていたのです。
ブイと4本柱で囲われ、水面上にようやく顔を出しているその姿、哀れな中にもどこかユーモラスで、まじまじと眺めてしまったのでした。
(令和5年7月9日撮影)
(この項おわり)

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首都高江戸橋ランプは桁のみならず、橋脚の撤去に移ってきました。右の写真は北岸、江戸橋出口の桁を支えていた橋脚です。

●今回注目したのは、ランプの末端である橋台(?)部分。首都高の出入口は、橋詰広場のすべてか、一部のスペースを転用した例がいくつか見られますが、ここ江戸橋もそうでした。
こうして桁が外されてみると、こんなに狭かったのかと改めて驚かされますが、限られた場所を巧みに活かし、現役時は2車線の料金所ゲートまで設けられていたのですから、時代を感じさせるものがありますよね。

震災復興橋梁に併設された橋詰のスペースは、首都高ランプに限らず、小児童公園などに転用された例が見られましたが、ここ江戸橋はランプ撤去後、どうなるのでしょう。昭和初期の竣工時そのままに、橋詰広場が復元されたら面白いと思うのですが、いかがでしょう?

●今回の真打(?)はこれ。「4月1日のお花見…5」の一枚目に写っていた江戸橋入口の橋脚、水面近くで切断され、丸い舞台状の基礎を残して撤去されていたのです。
ブイと4本柱で囲われ、水面上にようやく顔を出しているその姿、哀れな中にもどこかユーモラスで、まじまじと眺めてしまったのでした。
(令和5年7月9日撮影)
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