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変貌した石神井川を眺めて

(『令和4年度川走り納め・石神井川…4』のつづき)

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15年ぶりに石神井川可航区間を再訪してみて、その変貌ぶりを目の当たりにし興味をそそられ、ざっとまとめておきたくなりました。何分手元に資料があるわけではないので、わかる範囲の備忘録的なものですが、お目汚しまで。

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USA-M324-425 昭和31(1956)年3月、米軍撮影。

まずは国土変遷アーカイブ・空中写真閲覧サービスを利用して、上空から眺めた河道の変化を見てみることに。

上掲、昭和31年の特筆事項は、やはり河口付近、現堀船3丁目の旧河道が健在なことと、新柳橋付近から別れ道路に沿い、現王子6丁目・豊島公園付近の船溜に至る堀割の存在(先端のポンド、すでに埋立が始まっているように見えますが)でしょう。

明治初期すでに、河川の水力を利用した火薬製造所が設けられたこのあたりは、旧陸軍の関連施設が多くあったことで知られており、この堀割も軍施設との関係が思われます。

【2月5日追記】
「帝都地形図 第一集」(之潮・平成17年年3月)の188~189ページ、昭和18年1月補正の「豊島」によると、堀割のポンドがあった現在の王子6丁目の区画には「王子火薬製造豐島分工場」と明記されていました。ここは昭和15年に、東京第二陸軍造兵廠板橋製造所王子工場と改称(Wikipedia『東京第二陸軍造兵廠』)されたようなので、補正の際も改められなかったのでしょう。

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CKT992X-C3-24 平成4(1992)年10月、国土地理院撮影。

堀割も旧河道も埋立てられ、現在の流路となった平成初期の状態。飛鳥山の下を貫き直流する、飛鳥山分水路は第一期が昭和43年、さらに第二期工事が昭和58年に竣工し現在の姿となっており、上流部の洪水解消に大きく前進した姿でもあります(参照:PDF『飛鳥山分水路』)。

昭和31年の写真と見くらべてみると、全体的に河道が拡幅され、屈曲も幾分滑らかに改修されているのがわかりますね。溝田橋以西では両岸に更地が出現、すでに首都高工事用地の確保が始まっていたのでしょうか。

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CKT20015X-C3-21 平成13(2001)年12月、国土地理院撮影。

首都高の工事が進み、すでに一部の高架が姿を現わした平成13年末の状態。西端部はほとんど河道を蓋をした状態で足場が組まれているのが目立ち、南岸も立ち退きが進んでトンネル入口のスペースが確保されています。

河道自体にも、大きな変化があったことが見てとれる写真でもありますよね。河畔のテラスがある、あすか緑地のあたりは南へ、溝田橋の前後ではぐっと東に、それぞれ河道を振る工事中であることがよくわかります。

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ホンモノのGoogleマップで石神井川を表示

そして現在の姿。沖積地をうねるいにしえの川の雰囲気を残しつつも、滑らかな屈曲となりある種すっきりとした、河水の流下第一のスタイルに。

ちなみに首都高中央環状線のこの区間‥‥通称「王子線」は、平成14年12月25日に開通。王子南出入口は平成27年3月19日に供用されたとのこと(Wikipedia『首都高速中央環状線』)。

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15年ぶり2回の訪問で、変化が比較できる写真がいくつかあったので、その中から3組を選び、それぞれ平成19年の初回、昨年12月の今回という順で掲げてみます。

溝田橋下流の屈曲から上流を望んで。高架の直下から見ると、溝田橋は右手の護岸の陰に隠れていますが‥‥。

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15年後、おおむね同位置から。改架された溝田橋の全貌がほぼ見えるうえ、屈曲は緩やかになり、護岸の表面も化粧板が施され、面目を一新しました。以前は奥にあった高架の橋脚が、護岸の近くに来ているのも河道の変化を感じさせます。

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溝田橋のすぐ上流から振り返ったところ。中央に見える、高架橋脚の片割れは錆色の整流覆をまとって河中にあり、王子北出入口に至る高架がその左手上空に見えますが‥‥。

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ここは変化が大きすぎて、近い場所からの視点を得ることができませんでした。何しろ河道上空にあった高架が左手の陸上になってしまうほど、流路が東(画面右手)に振られたのですから。左手に見える橋脚が、前回訪問時写真の中央にある2本のうち、右手の橋脚です。

溝田橋はいわば、南東にずれた形で改架されたことになります。いやまあ、凄まじいといってもいい過ぎではない変化ですね。近年の都内では珍しい、大規模な「瀬替え」といって差し支えないでしょう。

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こちらは間違いなく、同位置であることが確認できる一枚です。架設途中だった王子南出入口の高架、左手の持ち送り状に張り出した梁が目印になりました。ちょっと暗く撮れてしまいましたが、右手の円柱状橋脚と、鋼管矢板の列にも注目。

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鋼管矢板の列が新たな河岸となって、円柱状橋脚は護岸の外にあることから、ここでも河道が振られたのがわかります。持ち送り状の梁のおかげで、左右の誤差はともかく位置もほぼドンピシャ(死語)だと判明、定点写真といってよかろうと、一人鼻息を荒くしたのであります、はい。

いやしかし、首都高建設とともに、実に大きな変貌を遂げた石神井川の面白さ! 東京の可航水路として稀に見るこの変化、河畔整備に留まらず、「瀬替え」までともなった大規模な変身ぶりを目の当たりにできて、やはり嬉しいものがありました。

(令和4年12月28日撮影)

(『令和4年度川走り納め・隅田川…3』につづく)

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タグ : 石神井川