帷子川ほんの少し…0
(『払暁に出航して…3』のつづき)
●今回の横浜行きの目的の一つは、横浜港の北側、みなとみらいに河口を開く都市河川、帷子川を訪ねることにありました。
赤灯台のある防波堤の突端をかわした後面舵に当て、瑞穂埠頭‥‥米海軍のノースドックを右舷に見ながら北西に進むと、ゆるく反った青い桁橋が。第一橋のみなとみらい橋です。橋の右手は横浜市中央卸売市場のある山内埠頭、左手はみなとみらい1丁目ですね。
【▼「続きを読む」をクリックしてご覧ください】

●ホンモノのGoogleマップで帷子川下流部を表示(Googleマップのスクリーンショットを加工して使用)
●横浜駅をかすめるようにして海にそそぐ、帷子川とその支派川は、こんな形をしています。図の右上端の曲がった橋が、これからくぐるみなとみらい橋です。
何と表現したらよいのか、鉄道の待避線を思わせるような形で、帷子川本流から二つの派川が分流し、わずかな距離でまた合流しているのがわかります。南側が延長1.6㎞の石崎川、北側が1.4㎞の新田間川。その東端、たった0.3㎞が幸川と、独立した名前を持っているのも面白いですね。
●まあ、話せば長くなり恐縮ですが、お付き合いください‥‥。
●流路の形や河川名だけでも、川走り者にとって興味のわかぬはずはない、実に魅力的な水路群ですが、実をいうとここを訪ねるのは初めて。十数年に渡り、何度も横浜周辺の水路をめぐってきたのに、まるで敬遠しているかのように、正直、長らく訪ねるのをためらわせるものがあったのでした。
例によって、何か"呼ばれていない"感覚があったのもそうですが、今を去ることン十年前、このあたりを歩いていて、橋桁が水面に浸らんばかりの低さだったことに驚き、トラウマ(?)となったことが大きいでしょう。江東の水路ですっかりすり抜けになじんだ後も、それを上回りそうな禍々しい低さに怖気づき、袋小路に閉じ込められたらことと、腰が引けていたのですね。
●そんな小心者が、最近になってようやくこの界隈に食指を動かすようになったのは、好物である震災復興橋世代の、魅力的な橋がいくつか生き残っていることに気づかされたのが挙げられます。SNSで土木ファンの皆さんが発信される橋たちの写真、またGoogleマップ・ストリートビューの機能と精度向上にも背中を押されて、自艇で訪ねてみたい欲望が湧き上がってきたのです。

●国土変遷アーカイブ「MKT667-C7-2」より (昭和41年7月28日:国土地理院撮影)
●ここで国土変遷アーカイブ・空中写真を拝借して、昭和41年の4河川の状態を見てみましょう。、艀荷役も衰え、舟航路としては末期の姿とみてよいこの写真を選んだのは、大干潮時の撮影なのか、新田間川西部に瀬がすっかり露出して細流のようになっているのがわかり、もやわれたまま座洲しているらしい船も見られたことから。
半世紀以上前、すでにこの状態だったとしたら、今はなおさら可航環境は荒廃していそうだな‥‥船がぽつぽつもやっているところは、そこそこ水深がありそう‥‥などと、鮮明なこともあり、現状を推測できる資料性がある一枚であったからです。
●ヤル気が出てきて行きたい気持ちが募り、少し調べ始めたのはいいものの、年末は日中の潮位が高止まりしている時期です。まず横浜駅以西に入れるかどうか、仮に入れたとしても、4河川をくまなくめぐることはかなわないのは明らか。
しかし、ほんの一部の区間だけでもいい、入口を突っついたくらいに終わろうとも、とにかく一度雰囲気だけでも味わいたい! ‥‥とまあ、かつての及び腰はどこへやら、年の瀬の湾奥に艇を乗り出したのでありました。

●お話を水上に戻して、第一橋、みなとみらい橋をくぐります。幹川流路延長、約 17.3 ㎞の二級河川、帷子川への初進入。どうかお手柔らかにお願いしますと、川の神様に念じつつ、嬉しさと緊張感の入り混じった航走を開始。
ここはシーバスの航路でもあるので、進入前にいったん行き足を落とし、行逢船がないかよく確認してから再び前進。冬らしく水も澄んだ川面、第一印象は実に穏やかな、いい表情です。
●初めての川とて、やはり水深は気になるもの。さっそく魚探の感目を落とすと、6.2mと十分。まだ河道というより、埋立地の間ですからね。
【撮影地点のMapion地図】
(各河川の延長については、『帷子川水系河川整備計画』を参考にさせていただきました。)
(令和3年12月12日撮影)
(『帷子川ほんの少し…1』につづく)

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赤灯台のある防波堤の突端をかわした後面舵に当て、瑞穂埠頭‥‥米海軍のノースドックを右舷に見ながら北西に進むと、ゆるく反った青い桁橋が。第一橋のみなとみらい橋です。橋の右手は横浜市中央卸売市場のある山内埠頭、左手はみなとみらい1丁目ですね。
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●ホンモノのGoogleマップで帷子川下流部を表示(Googleマップのスクリーンショットを加工して使用)
●横浜駅をかすめるようにして海にそそぐ、帷子川とその支派川は、こんな形をしています。図の右上端の曲がった橋が、これからくぐるみなとみらい橋です。
何と表現したらよいのか、鉄道の待避線を思わせるような形で、帷子川本流から二つの派川が分流し、わずかな距離でまた合流しているのがわかります。南側が延長1.6㎞の石崎川、北側が1.4㎞の新田間川。その東端、たった0.3㎞が幸川と、独立した名前を持っているのも面白いですね。
●まあ、話せば長くなり恐縮ですが、お付き合いください‥‥。
●流路の形や河川名だけでも、川走り者にとって興味のわかぬはずはない、実に魅力的な水路群ですが、実をいうとここを訪ねるのは初めて。十数年に渡り、何度も横浜周辺の水路をめぐってきたのに、まるで敬遠しているかのように、正直、長らく訪ねるのをためらわせるものがあったのでした。
例によって、何か"呼ばれていない"感覚があったのもそうですが、今を去ることン十年前、このあたりを歩いていて、橋桁が水面に浸らんばかりの低さだったことに驚き、トラウマ(?)となったことが大きいでしょう。江東の水路ですっかりすり抜けになじんだ後も、それを上回りそうな禍々しい低さに怖気づき、袋小路に閉じ込められたらことと、腰が引けていたのですね。
●そんな小心者が、最近になってようやくこの界隈に食指を動かすようになったのは、好物である震災復興橋世代の、魅力的な橋がいくつか生き残っていることに気づかされたのが挙げられます。SNSで土木ファンの皆さんが発信される橋たちの写真、またGoogleマップ・ストリートビューの機能と精度向上にも背中を押されて、自艇で訪ねてみたい欲望が湧き上がってきたのです。

●国土変遷アーカイブ「MKT667-C7-2」より (昭和41年7月28日:国土地理院撮影)
●ここで国土変遷アーカイブ・空中写真を拝借して、昭和41年の4河川の状態を見てみましょう。、艀荷役も衰え、舟航路としては末期の姿とみてよいこの写真を選んだのは、大干潮時の撮影なのか、新田間川西部に瀬がすっかり露出して細流のようになっているのがわかり、もやわれたまま座洲しているらしい船も見られたことから。
半世紀以上前、すでにこの状態だったとしたら、今はなおさら可航環境は荒廃していそうだな‥‥船がぽつぽつもやっているところは、そこそこ水深がありそう‥‥などと、鮮明なこともあり、現状を推測できる資料性がある一枚であったからです。
●ヤル気が出てきて行きたい気持ちが募り、少し調べ始めたのはいいものの、年末は日中の潮位が高止まりしている時期です。まず横浜駅以西に入れるかどうか、仮に入れたとしても、4河川をくまなくめぐることはかなわないのは明らか。
しかし、ほんの一部の区間だけでもいい、入口を突っついたくらいに終わろうとも、とにかく一度雰囲気だけでも味わいたい! ‥‥とまあ、かつての及び腰はどこへやら、年の瀬の湾奥に艇を乗り出したのでありました。


ここはシーバスの航路でもあるので、進入前にいったん行き足を落とし、行逢船がないかよく確認してから再び前進。冬らしく水も澄んだ川面、第一印象は実に穏やかな、いい表情です。
●初めての川とて、やはり水深は気になるもの。さっそく魚探の感目を落とすと、6.2mと十分。まだ河道というより、埋立地の間ですからね。
【撮影地点のMapion地図】
(各河川の延長については、『帷子川水系河川整備計画』を参考にさせていただきました。)
(令和3年12月12日撮影)
(『帷子川ほんの少し…1』につづく)

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