新旧の「汐路丸」とともに
(『10月24日の内部河川…12』のつづき)
●隅田川→隅田川派川経由で、朝潮運河に入りました。まず目に留まった豆曳船を一枚。詰所と電源設備を載せた台船にもやっていたので、通船代わりといったところでしょうか。
フロントグラスやハードトップがなく、姿勢の低い質実剛健な好みのスタイル。椅子すら見えない操舵席は、ビットにでも腰をかけるのでしょうか。船名は「つるかわ」、船籍は神奈川でした。
●朝潮運河に入ったのは、新しい「汐路丸」が就航し、従来の「汐路丸」と並んでもやっている、という報を受けてのこと。
運河南口近くの定繋地、いつものバースに近づくと‥‥おっ、いましたいました。一段と大きな新「汐路丸」が! 旧「汐路丸」はバースを譲ってその向こうに移動しており、岸壁へじかに接岸しているようです。

●新「汐路丸」を左舷前方から。船首楼船型、船橋構造物の後ろにファンネルが独立して立ち上がっているなど、レイアウトは先代を踏襲しているところがあるものの、ぐっと大型になり、乾舷も高く頼もしい感じが。
建造所は護衛艦「いずも」も造られたJMU横浜磯子。全長60.73m、775総t、航海速力12㏏(『練習船"汐路丸"引渡』JMUプレスリリースより)。この10月20日に竣工披露式を終えたばかりのピカピカです。

●少し進んで先代「汐路丸」をほぼ正横から。寂しさを漂わせていると思いきや、美しく整備された変わらぬ姿で、凛とした雰囲気に満ち満ちた表情。乗組みの方々の愛情が想われたものです。
昭和62年から35年の長きにわたり、海を志す若人たちを育ててきた三代目。どこか大戦時の英国で活躍したコルベットを思わせる、簡潔で好ましくまとまった船影が見られなくなるのは寂しいですが、お疲れさまでした、といってあげたいです。

●南側から改めて2隻の「汐路丸」を眺めて。伝統を引き継いで、朝潮運河の新しい“ヌシ”となる四代目、これからの活躍とご安航をお祈りしています。
(令和3年10月24日撮影)
(『「海洋」の帰港風景』につづく)

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フロントグラスやハードトップがなく、姿勢の低い質実剛健な好みのスタイル。椅子すら見えない操舵席は、ビットにでも腰をかけるのでしょうか。船名は「つるかわ」、船籍は神奈川でした。

運河南口近くの定繋地、いつものバースに近づくと‥‥おっ、いましたいました。一段と大きな新「汐路丸」が! 旧「汐路丸」はバースを譲ってその向こうに移動しており、岸壁へじかに接岸しているようです。

●新「汐路丸」を左舷前方から。船首楼船型、船橋構造物の後ろにファンネルが独立して立ち上がっているなど、レイアウトは先代を踏襲しているところがあるものの、ぐっと大型になり、乾舷も高く頼もしい感じが。
建造所は護衛艦「いずも」も造られたJMU横浜磯子。全長60.73m、775総t、航海速力12㏏(『練習船"汐路丸"引渡』JMUプレスリリースより)。この10月20日に竣工披露式を終えたばかりのピカピカです。

●少し進んで先代「汐路丸」をほぼ正横から。寂しさを漂わせていると思いきや、美しく整備された変わらぬ姿で、凛とした雰囲気に満ち満ちた表情。乗組みの方々の愛情が想われたものです。
昭和62年から35年の長きにわたり、海を志す若人たちを育ててきた三代目。どこか大戦時の英国で活躍したコルベットを思わせる、簡潔で好ましくまとまった船影が見られなくなるのは寂しいですが、お疲れさまでした、といってあげたいです。

●南側から改めて2隻の「汐路丸」を眺めて。伝統を引き継いで、朝潮運河の新しい“ヌシ”となる四代目、これからの活躍とご安航をお祈りしています。
(令和3年10月24日撮影)
(『「海洋」の帰港風景』につづく)

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