10月24日の内部河川…10
(『10月24日の内部河川…9』のつづき)
●清水橋、ご覧のとおり桁がすっかり撤去され、橋脚のみとなっていました。震災復興橋世代の橋が、また一つ消え去ったことは正直、結構なショックです。お疲れさまでした。
以前から傷みが目立ってきて、修繕か改架か、気にはなっていましたが‥‥。こちらの西側橋脚、補強されたのかエポキシ塗装か何かが施されていて、表面はきれいですね。

●東側の橋脚は、どうやら竣工時のままのようで、ザラッとした肌に感潮河川のころ、そして第一次水位低下化と、時代なりの湛水線が跡を見せていて、過ごしてきた星霜が思われます。
9月3日にリリースされた「清水橋架替工事」(江東区)によると、工期は令和2年10月23日から同5年1月13日まで。「昭和2年(1927年)に架設され、現在までの約90年、交通を支えるため補修・補強を繰り替えしてきました」とありました。

●南側から、既製桁「ランドクロス」にて架けられた仮橋とともに現場を眺めて。
橋は一度建造すれば、100年近くは使えるインフラです。その存在感と重要性は橋の街・江東においておや。次世代の清水橋も、長く地元に在って、親しまれる橋になることを願っています。
●テラス、法面、橋と、進むたびに工事の船団や建機が現われては消える横十間川、見どころが盛りだくさんといえばそうですが。
こちら本村橋も足場がかかり、塗装か何か補修中のよう。向こうではテラスを造成していて、台船が出ていますね。この台船の横を通ったときに、ちょっとふるったものがあって、思わず2度見してしまったのです!

●こっこの端舟の船名‥‥かすれていて読みづらいでしょうが、
「王様と私」
チラッとしか見えないので恐縮ですが、船首寄りの舷側だけでなく、舷内の隔壁にも書いてあるのが何とも強烈。命名された方が、よほど気に入ったのでしょうか。インパクトからいうと、平成22年に中川で出会った「後進丸」以来かも。
このあたり、どんな小さな船でも動力船であれば、船検証に船名欄があり、名前を付けられるというのが、自動車との大きな違いではあるなあと改めて感じさせるものが。この艇も変わった名前ですが、それだけに名付け親のこだわりや愛着も想われますよね。
(令和3年10月24日撮影)
(『10月24日の内部河川…11』につづく)

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以前から傷みが目立ってきて、修繕か改架か、気にはなっていましたが‥‥。こちらの西側橋脚、補強されたのかエポキシ塗装か何かが施されていて、表面はきれいですね。

●東側の橋脚は、どうやら竣工時のままのようで、ザラッとした肌に感潮河川のころ、そして第一次水位低下化と、時代なりの湛水線が跡を見せていて、過ごしてきた星霜が思われます。
9月3日にリリースされた「清水橋架替工事」(江東区)によると、工期は令和2年10月23日から同5年1月13日まで。「昭和2年(1927年)に架設され、現在までの約90年、交通を支えるため補修・補強を繰り替えしてきました」とありました。

●南側から、既製桁「ランドクロス」にて架けられた仮橋とともに現場を眺めて。
橋は一度建造すれば、100年近くは使えるインフラです。その存在感と重要性は橋の街・江東においておや。次世代の清水橋も、長く地元に在って、親しまれる橋になることを願っています。

こちら本村橋も足場がかかり、塗装か何か補修中のよう。向こうではテラスを造成していて、台船が出ていますね。この台船の横を通ったときに、ちょっとふるったものがあって、思わず2度見してしまったのです!

●こっこの端舟の船名‥‥かすれていて読みづらいでしょうが、
「王様と私」
チラッとしか見えないので恐縮ですが、船首寄りの舷側だけでなく、舷内の隔壁にも書いてあるのが何とも強烈。命名された方が、よほど気に入ったのでしょうか。インパクトからいうと、平成22年に中川で出会った「後進丸」以来かも。
このあたり、どんな小さな船でも動力船であれば、船検証に船名欄があり、名前を付けられるというのが、自動車との大きな違いではあるなあと改めて感じさせるものが。この艇も変わった名前ですが、それだけに名付け親のこだわりや愛着も想われますよね。
(令和3年10月24日撮影)
(『10月24日の内部河川…11』につづく)

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