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3月14日の弁天橋

(『3月14日の大横川…2』のつづき)

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弁天橋北側面に正対。おなじみの姿ながら、閑静な街場の水路にたたずむこの質実剛健なスタイル、よいものです。干潮のピークを控えている時間帯とて、南下する流速がそこそこあり、舵を当てながら慎重に進入。

「東京の橋」(石川悌二著)によると、創架年には言及されていなかったものの、当初は深川冬木町入堀橋と呼ばれていたとありました。現在の橋は昭和7年竣工、全長23.2m。

262017.jpgくぐる直前に桁側面のアップを一枚。褪色のみならず、塗面の剥落が始まっていますね。ちなみにGoogleストリートビューで道路側の桁側面を見たら、錆色の下地が露出し、悲壮感漂う状態でした。

塗装の記録表記を取り忘れたのですが、塗色や橋名の書体から、以前の茂森橋同様、最後の塗装は平成7年前後なのではないでしょうか。26年ともなれば、傷みも進んでこようというものです。

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くぐりざま桁裏を何枚か撮ったうちの一枚。梁に開けられた管路用の開口まで、リベットで補強の枠が取り付けられた、この時代の橋ならではの造作をかいま見るのは楽しいもの。

梁下端面に泥の付着が見られますね。路盤のスラブから剥落した粉塵や、砂塵が雨滴の流れとともに溜まったのかしら。もしくは茂森橋同様、高潮位時には冠水しているのでしょうか。桁下高はA.P.+2.8mなので、増水や吹き寄せのない通常の大潮であれば、水に浸ることはないとは思うのですが。

262019.jpg南側に出て、陽光を浴びる桁を眺めて。こちらはテラスの張り出しがないので、プレートガーダーの全容を見ることができます。

隣接して水管橋が複数本架かっているのは、江東の橋のお約束ではありますが、手前の桁を覆っている蔦が、弁天橋をも浸食(?)しつつあるのが気になりますね。鋼橋の保全上、決してよいことではありませんから‥‥。

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流速に抗しつつ、後進のままふたたび接近して、橋名部分をアップで。ああ、いいなあ、接手部分のリベットみっちりぶり。
中路式といってよいのでしょうか、路面が構造の中ほどより下にあり、両側面の鈑桁がそのまま高欄を兼用。一切の装飾を排し、親柱も略されているという、鋼橋の中で最も簡素な型式‥‥。

震災復興世代の橋もだいぶ架け替えが進み、可航河川に架かるこのタイプの鈑桁橋では、希少な生き残りとなった弁天橋。永くここに在ることを、祈らずにはおられません。
撮影地点のMapion地図

(令和3年3月14日撮影)

(『3月14日の大横川…3』につづく)

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タグ : 大横川南支川橋の裏側