新川河口の謎通船施設…3
(『新川河口の謎通船施設…2』のつづき)

●謎施設に上流側から近づいて。側壁はごく薄いもので、閘室を形成するには役不足であることは明らか。マイタゲートの戸袋になる凹部など、かつて閘門だった痕跡があるかしらと淡い期待を抱いてもいたのですが、もちろんそれも全くなし。竣工時から、見たままのつくりだったことは間違いないでしょう。
スロープはコンクリートで、見たかぎり陥没やクラックもなく、悪くない状態。乗り越し式の通船施設だとすれば、重量のかかる部分ですから基礎がしっかり造られたものと思われます。
水際からだいぶ離れたところに、Googleマップでも認められた線路みたいなものが見えますね。鉄道に使われているような、I 形のレールが敷いてあるのでしょうか。

●堰柱の横、水平にあつらえた区間に近づいて。レールは予想に反して、単なるアングルでした。このことから、ここを上架される舟艇も台車も、ごく軽量のものだったことが推察されますね。
軽いもののみにしても、まさか人力で押し上げたとも思えません。エンドレスロープとまでいかなくとも、簡単な巻き上げ機くらいは備えていたことでしょう。最低でも、小型エンジン付きの車地(シャチ)のたぐいがあったでしょうから、痕跡を探したのですが、草生したフラットはゴミが散乱しているばかり。
時間を取って中をうろつければ、あるいは機械の残骸かボルト穴くらいは、発見できたかもしれませんね。しかし本来立入禁止のエリアで、しかも雨のぱらつく中となれば、はばかられるのはいうまでもありません
●水平区間の下流側を見て。右端、スロープの始まり近くに、ロープのガイドであるローラーらしき(本当に『らしき』で、単なるゴミかも)ものが。
アングルの板厚や敷設の仕方、レールが曲面を介さずカクンと下るあたりを見ても、床面の堅牢な造りとはうらはらに、ごく簡素な施設であったことが感じられました。小さなマリーナの上架施設の方が、よほど手厚く造られているように思えます。

●下流側スロープ。レールはすっかり錆びて消滅し、ボロボロになった先端がわずかに残るばかり。水防上から見れば、手入れを欠かすと漏水や破損の憂いがある扉体より、ガッチリとコンクリートで固めた土堤の方が、メンテナンスフリーでかつ安全であることは論を待ちません。
しかし、通船施設としては、えらく使い勝手の悪いものだったであろうことは、素人目にも明らかです。恐らく、竣工からさほどを経ずして使われなくなり、さらに舟艇の大型化が決定打となって、放置に至ったのでは‥‥と妄想しています。
●帰宅後、検索の文言を変えてみたところ、一言だけですが、謎施設に言及した記事が見つかりました。「【新潟】内外エンジ・ナルサワJVに/新川河口自然排水樋門実施設計/北陸農政局」(地方建設専門紙の会)の記事中に、
「洪水吐ゲート2門、舟通し1門を有している」
舟通し! とりあえず、通船施設であることは最低限の裏付けがされて、嬉しいようなホッとしたような(笑)。
●まあ、これまで変わった舟通しをいくつか目にしてきましたが、新川のこれは間違いなく、チープさともの悲しさでは最右翼でしょう。とはいえ貶める気はさらさらなく、この形に至ったいきさつをあれこれ妄想するとともに、存在を記憶にとどめたいと思うことしきりであります。
この珍物も樋門とともに、間もなく撤去されると思えば、訪ねられたタイミングに妙なご縁を感じるものが。ほんのわずかな時間ながら、消える前の姿を目の当たりにできたのは、通船施設好きとして幸せなことではありました。
(令和2年10月25日撮影)
(『弥彦山のりもの三昧』につづく)

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●謎施設に上流側から近づいて。側壁はごく薄いもので、閘室を形成するには役不足であることは明らか。マイタゲートの戸袋になる凹部など、かつて閘門だった痕跡があるかしらと淡い期待を抱いてもいたのですが、もちろんそれも全くなし。竣工時から、見たままのつくりだったことは間違いないでしょう。
スロープはコンクリートで、見たかぎり陥没やクラックもなく、悪くない状態。乗り越し式の通船施設だとすれば、重量のかかる部分ですから基礎がしっかり造られたものと思われます。
水際からだいぶ離れたところに、Googleマップでも認められた線路みたいなものが見えますね。鉄道に使われているような、I 形のレールが敷いてあるのでしょうか。

●堰柱の横、水平にあつらえた区間に近づいて。レールは予想に反して、単なるアングルでした。このことから、ここを上架される舟艇も台車も、ごく軽量のものだったことが推察されますね。
軽いもののみにしても、まさか人力で押し上げたとも思えません。エンドレスロープとまでいかなくとも、簡単な巻き上げ機くらいは備えていたことでしょう。最低でも、小型エンジン付きの車地(シャチ)のたぐいがあったでしょうから、痕跡を探したのですが、草生したフラットはゴミが散乱しているばかり。
時間を取って中をうろつければ、あるいは機械の残骸かボルト穴くらいは、発見できたかもしれませんね。しかし本来立入禁止のエリアで、しかも雨のぱらつく中となれば、はばかられるのはいうまでもありません

アングルの板厚や敷設の仕方、レールが曲面を介さずカクンと下るあたりを見ても、床面の堅牢な造りとはうらはらに、ごく簡素な施設であったことが感じられました。小さなマリーナの上架施設の方が、よほど手厚く造られているように思えます。

●下流側スロープ。レールはすっかり錆びて消滅し、ボロボロになった先端がわずかに残るばかり。水防上から見れば、手入れを欠かすと漏水や破損の憂いがある扉体より、ガッチリとコンクリートで固めた土堤の方が、メンテナンスフリーでかつ安全であることは論を待ちません。
しかし、通船施設としては、えらく使い勝手の悪いものだったであろうことは、素人目にも明らかです。恐らく、竣工からさほどを経ずして使われなくなり、さらに舟艇の大型化が決定打となって、放置に至ったのでは‥‥と妄想しています。

「洪水吐ゲート2門、舟通し1門を有している」
舟通し! とりあえず、通船施設であることは最低限の裏付けがされて、嬉しいようなホッとしたような(笑)。
●まあ、これまで変わった舟通しをいくつか目にしてきましたが、新川のこれは間違いなく、チープさともの悲しさでは最右翼でしょう。とはいえ貶める気はさらさらなく、この形に至ったいきさつをあれこれ妄想するとともに、存在を記憶にとどめたいと思うことしきりであります。
この珍物も樋門とともに、間もなく撤去されると思えば、訪ねられたタイミングに妙なご縁を感じるものが。ほんのわずかな時間ながら、消える前の姿を目の当たりにできたのは、通船施設好きとして幸せなことではありました。
(令和2年10月25日撮影)
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タグ : 新川(新潟市)新川河口自然排水樋門