広島の水上バス…6
(『広島の水上バス…5』のつづき)
●下路式の橋が少ない、などとこぼしていたら、下路式の橋が出現…。ポニートラスの本川橋です。
現在、平和公園のある中島町一帯は、かつて広島随一の繁華街で、この橋の創架も安土桃山時代に遡り、当初は猫屋橋と呼ばれていたとのことです。
●近づいてみると、石張りの装飾が施された橋脚、リベット組みのトラスと、星霜を感じさせる外観…。
Wikipedia「本川橋」によると、なんと橋脚は明治30年竣工の先代橋のものを、そのまま使っているとのこと。爆心地から近いだけに被爆損傷し、現在のトラスは戦後、昭和24年に架けられたものだそうです。
●びっしりともやった繋留船の列を横目に、昨日渡った丁字形の橋、相生橋に近づくと、いよいよ本川ともお別れ。船員さんの話に耳を傾けつつ、写真を撮ったりしていたので、本当にあっという間の遡上でした。
ここで船はぐっと面舵を切り、元安川に入るのです。
●これも昨日眺めた分流点の突端、「滋仙寺鼻」の丸みのある護岸を右に見ながら、180度近い回頭で、元安川に進入。
右へ左へと、澪筋をたどる下流部もスリリングな面白さがありましたが、分流点を実感しながらぐるりと回るここも、ある種この航路のハイライトとも言えるのではないでしょうか。
●滋仙寺鼻を回り切ると、目前に原爆ドームの姿が広がりました。
干潮時なので、昨日見た川の様子とはだいぶ表情が異なり、岸辺には長々と砂洲が露出して、石垣が美しい護岸も、ずいぶんと高く見えます。
おや、ドーム前の石段下には、舟が一艘もやっていますね。何だろう?
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月5日撮影)
(『広島の水上バス…7』につづく)

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現在、平和公園のある中島町一帯は、かつて広島随一の繁華街で、この橋の創架も安土桃山時代に遡り、当初は猫屋橋と呼ばれていたとのことです。

Wikipedia「本川橋」によると、なんと橋脚は明治30年竣工の先代橋のものを、そのまま使っているとのこと。爆心地から近いだけに被爆損傷し、現在のトラスは戦後、昭和24年に架けられたものだそうです。

ここで船はぐっと面舵を切り、元安川に入るのです。

右へ左へと、澪筋をたどる下流部もスリリングな面白さがありましたが、分流点を実感しながらぐるりと回るここも、ある種この航路のハイライトとも言えるのではないでしょうか。

干潮時なので、昨日見た川の様子とはだいぶ表情が異なり、岸辺には長々と砂洲が露出して、石垣が美しい護岸も、ずいぶんと高く見えます。
おや、ドーム前の石段下には、舟が一艘もやっていますね。何だろう?
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月5日撮影)
(『広島の水上バス…7』につづく)

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