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新潟の川蒸気ふたたび

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久しぶりに、新潟の川蒸気たちの姿を愛でて楽しもうと、絵葉書のアルバムを繰って選んだ8点をご覧に入れます。

新潟の川蒸気史覚え書き」をアップした8年前とくらべて、ブログサービスのアップロード容量もずいぶん余裕ができたこともあり、うち2点を前回の再録とし、いずれもサイズを大きく、より堪能できる解像度とさせていただきました。

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新潟信濃川岸
宛名・通信欄比率2:1、明治40年4月~大正7年3月の発行。


旧萬代橋上から下流側、信濃川西岸の荷揚場を見た写真。下掲の「最新調査新潟市全圖」に照らすと、橋から下流へ向かって安進丸、葛塚丸の乗り場が図示されており、これは恐らく葛塚丸の桟橋と思われます。桟橋は建屋の形状と川岸の様子から考えて、浮き桟橋のようです。下流側には2檣の大型和船と思しき船影が見られ、いわば内貿埠頭ともいうべき河岸だったのでしょう。

川蒸気に注目(拡大写真:記事冒頭)すると、操舵室の妻をきついRとし、側面のガラス窓を大きく取った、軽快な感じのする暗車船です。煙突前方の屋根上には米俵らしき積み荷が見え、船尾近くの甲板室左舷には、大きな布のようなものが干されていますね。客室内の敷物でしょうか?

船首水線近く、船名が見えますが、判読できるのは頭の「第」のみ。目を引くのは、機械室側面のふくらみ。断面がちょうど、外輪カバーを寝かせたような形状の曲線を描いていることで、外観上の特徴になっています。暗車船でここに大きなスペースを持たせる理由は定かではありませんが、外輪船の一部にもみられるような、便所あるいは用具庫としての、余積をかせぐために設けられたのかも。

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新潟萬代橋(橋長四百卅間)
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。


河道を狭められる前の信濃川に架かっていた、長大な旧萬代橋を西岸下流側から望んだ、胸のすくような一枚。手前を遡上中の川蒸気(暗車船)が間近にとらえられており、ディテールが堪能できるのはありがたいですね。

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暑い時期の撮影なのか、客室、機械室とも扉を開け放っていて、船内の様子が少しですがうかがえます。客室の床面は、回廊の甲板レベルとそう差がないように見えます。機械室は当然ながら、床面はぐっと下がっているのでしょうが、中の機器類は残念ながら、煙道の一部がシルエットととして見えるのみ。開口をふさぐように立つ、板状のものは何でしょうか。

他にも、煙突頂部に備えられた火の粉止めの金網、操舵室上の屋根上に立てられた旗竿、船首の四爪錨なども判別できます。しかし、甲板室側面が結構な延長にわたって開放できる造りなのは、窓面積を大きく取ることとあわせて興味深いですね。ご当地の冬の気候を考えると、逆に扉を少なく、窓を小さくデザインしてもおかしくなさそうに思えますが、このあたり利用者の嗜好に応えたのか、船主のセンスなのか、興味を惹かれるところです。

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月光淸かなる橋畔 新潟市万代橋
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。


これは抒情派(?)というべきでしょうか、逆光でシルエットとなった橋や船たちを、水面近くから撮ったムードある写真。「月光清かなる」とありますが、夜間撮影は考えづらいですから、午前中の、雲間から差し込む陽射しをバックに、といったところでしょうね。カラーであれば、朝焼けの美しい空が目にできたかもしれません。

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川蒸気は船首側のわずかな部分のみですが、扉や開口部の枠など、甲板室表面の構造が看取できます。操舵室後ろの扉は、荷物室のそれを兼ねているのか幅広で窓面積が狭く、頑丈な印象。対して客室の扉は4段のうち3段がガラスですが、2枚ひと組の引き戸であることがわかります。開放/閉鎖時に扉が動揺で動き出さないような、ブレーキやロック機構はあったのでしょうか。

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新潟名所の一万代橋 長サ四百三十間
宛名・通信欄比率2:1、明治40年4月~大正7年3月の発行。裏面に「新潟靑木製」の銘あり。


新潟の川蒸気史覚え書き」より再録分の高解像度版。構図、鮮明さとも出色のもので、橋だけでなく人物や風光に至るまで、引き出される情報の盛りだくさんなこと、高所からの俯瞰ならではといってよいでしょう。橋がまたいでいた、河道改修前に存在した中州も、はっきりとらえられています。

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屋根上に配され、前妻をクサビ状に尖らし、ヒサシも長く伸ばした特徴ある操舵室、ほぼ半円に見える大ぶりな階段付き外輪カバー、壁を介さず連続した窓と、ディテールを拾ってゆくのは楽しいもの。機械室部分の張り出し、この船も前後は曲面でまとめられているのですね。

前回も触れたように、外輪カバーに大書きされた「*十七號」と読める船名から、25号まで存在したとされる安進丸船隊の一隻であろう、と推測しましたが、この数年で入手した絵葉書で、他のハルナンバーを冠した船にお目にかかることができました。以下に紹介しましょう。

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新潟信濃川岸
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。


一番上に掲げた同タイトルの「新潟信濃川岸」からは、少し時代が下った時点の撮影であるようです。背景の河岸に、和船、洋船を含めた帆船がもやっているのは同様ながら、材木が大量に積み上げられているあたり、荷扱い量の増大を感じさせるものがあります。

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さて、手前の外輪船のハルナンバーに注目。「十九號」! ほぼ同一仕様の船体が、複数存在していたことがわかり、嬉しくなりました。しかも川蒸気としては大型の外輪船とくれば、信濃川筋の少なくない需要が想われて、“川蒸気王国・新潟”の印象を、ますます深めた(これだけで、といわれれば、まあそれまでですが)のでした。

気になったディテールを少し。点検か修理か、外輪カバーの頂部を開けて、作業をしている人がいること。「川蒸気の屋根の上」で、ここに“点検ブタ”があるのでは、というお話をしましたが、まさにそれが実証された形ですね。

人物背後のモニターの高さは腰くらいまであり、明かり取りだけでない、ベンチレーターの役割も兼ね備えたものと推察します。新潟の川蒸気、入手した絵葉書で見たかぎりですが、他所のものではよく見かけるキセルの雁首タイプのベンチレーターを、なぜか揃って設けておらず、地域的な特徴とみてよいように思っているのですが、いかがでしょうか。

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新潟萬代橋 橋長四百卅間
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。


萬代橋をタイトルとしながら、川蒸気3隻が写り込んでいるという、今回最も濃厚(?)な一枚。いずれも全容でなく部分なのが惜しいところですが、最初に目を奪われたのは、いうまでもなく手前の1隻です。

手前、修理中なのか、浮子(アバ)に乗った二人が何やら作業中。回廊の高欄が一部取り外してあるので、その修繕でしょうか。煙突も外して、屋根上にごろりと寝かせてあります。船尾、水面上に顔をのぞかせる舵の羽板の形状も、大いに興味をそそられますね。舵頭から操舵索が伸びているのも見えます。この船も、窓のガラス部分まあ大きいこと。室内はさぞ明るかったことでしょう。

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‥‥で、手前に意識を吸い取られ、しばらくしてから気づかされたのが奥の外輪船。あっ、またこのタイプの船だ! しかも「二十一號」! これで略同型、3個体が確認できたことになりますね! イヤ、同一船体でハルナンバーの変更もありうるから、いちおう保留としておいた方が無難かしら‥‥。

遡上中なのでシャッタースピードが追いついておらず、ブレて不鮮明なのは惜しいですが、それでも操舵室横に載った自転車、船室内が混んでいるのか、回廊上にも何人かの人影が見られ、操舵室後ろにも3人が立っておりと、人いきれの感じられる賑わいは嬉しいものが。たまたま写った風ながら、ザーザーとパドルのたてる水音が聞こえてきそうな、躍動感のある姿が残されたのは何よりでした。

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(報時塔上よりの萬代橋)報時塔より俯瞰したる萬代橋 蜿々たる白蛇東西新潟の要路
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。
切手欄に「NIIGATA AOKI PRINTING CO.」の銘あり


時代はさらに下って、現萬代橋が竣工した、昭和4年以降の俯瞰。対岸、中洲があった線まで埋め立てたものの、まだ建物も見えない新開地の雰囲気ですね。高所から見下ろしたおかげで、手前の荷揚場の様子が観察できるのもそそるところ。板囲いした中に盛られたものは、石炭でしょうか、または砂利でしょうか。整然と積み上げられた材木、林場に立てられた木の棒材か竹材と、扱っている物資は建材や燃料など、かさ高なものを主としているのがわかります。

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この写真の川蒸気は、最末期であることを象徴するような、ごく小さく風景の一部として、たまたま入っていたにすぎません。しかし、高いところから撮っただけあって、旋回中のウェーキを見事にとらえており、下航から着桟姿勢に入った瞬間が記録されたのは、収穫といってよいでしょう。

最後まで残った2船社、「白根曳船」は昭和10年、「安進社」は昭和13年にそれぞれ航路を廃止しましたが、華やかな萬代橋竣工の影で数年のうちに、ひっそりと消えていった川蒸気たちの寂しげな姿を、思い起こさせるような一枚ではあります。

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最新調査新潟市全圖
宛名・通信欄比率2:1、明治40年4月~大正7年3月の発行。


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最後の一枚、こちらも再録です。せっかく細部まで面白そうな書き込みがある地図なのに、サムネイルをクリックしても小さいままとは、アップロードの容量がタイトだったとはいえ、失敗でした。自分でクリックしてイラついたものです(笑)。前回同様、川蒸気ファンとしては外せない、萬代橋詰の船着場表記をトリミングしたものも大きなサイズで。

朱墨を思わせる、薄橙の刷色が目に快いですよね。前回も触れたとおり、発行は大正元年~7年と推定していますが、すでに群小船社同士の過当競争の時代は過ぎ去り、そろそろ衰退期に入ろうとするころ。いわば、まだ川蒸気が存在感のあった時代、舟運近代化の尖兵として、輝きを放っていた最後の時代といえるかもしれません。

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タグ : 信濃川川蒸気船絵葉書・古写真