令和元年度川走り納め…7
(『令和元年度川走り納め…6』のつづき)
●大森東避難橋が見えるところまで来ると、左手にはクレーン船がおり、奥の右手にはバージらしき2隻と、工事中の雰囲気濃厚。
なぜこちらに入ったかというと、以前、この周辺の水門たちを、廃止する方向で話が進んでいることを知り、もしかしたら‥‥と胸騒ぎを覚えておもむいたというわけ。クレーン船のいるあたりは、呑川水門があるところ。もう始まっているのか‥‥。

●ああ、やはり‥‥。
呑川水門、すでに巻上機と扉体が撤去され、堰柱にも足場がかかって、取り壊す準備が進んでいました。
もうちょっと近づいて眺めたくはあったのですが、見通しが悪く奥の状況がよく見えなかったので、ズームでたぐってスナップし、がまんすることに。ちなみにクレーン船の船名はわかりませんでしたが、甲板室に「湘南洋光建機」という社名が読めました。

●こうなると、昭和島の対面にあるいま一つの水門、貴船水門がどうなったか気になります。大森東避難橋をくぐって微速前進。
●‥‥ええ、余計なことというか、個人的な好みではありますが‥‥。大森東避難橋の字の割り付け、いかに構造の制約があるとはいえ、PCのベタ出力そのままで、すごく違和感があるんですがいかがでしょう。
せめて写植でいう平1くらいをかけて目線の流れをよくし、コンマと7の間はツメたいものだと勝手に一人ごち。橋のような恒久構造物は、向こう何十年か人目にさらされるのですから、このあたりもお気遣いをいただけると、橋への愛着も違うものになると愚考するのですが(偉そうだ)。
●土運船のかたわらをかすめながら一枚。結構な大きさですが、取り外した扉体や機器類、堰柱などの廃材を運ぶためにもやっているのでしょうか。
2隻とも、旧綾瀬川でおなじみ、伊澤造船の持ち船でした。今考えてみると、ドローンなどで高いところから見下ろせたら、呑川水門の扉体やらが積んであるのを見られたかもしれません。

●あああ、きれいさっぱり撤去済み。
というわけで、遅きに失した訪問となってしまいました。貴船水門さん、お疲れさまでした‥‥合掌。
船溜を囲繞する堤防も竣工しているようだし、ここは供養を兼ねて通航してみるとしましょう。
【撮影地点のMapion地図】
●以下、頭の中の整理も兼ねておさらいのメモ書き。
防潮堤整備にともなう水門撤去の動きについては、3年前「8月13日の川景色…2」で紹介したPDF議事録「東京港の津波・高潮対策について 質疑」(鈴木晶雅前都議会議員HPより)で知りました。この議事録で、南前堀、北前堀、呑川、貴船の各水門を地元で「港南4水門」と呼んでいることがわかったのは収穫でしたねえ。
さておき、4水門とも廃止の方向ではあるものの、北前堀は橋があり陸閘が設けられているため、この時点では少し手間取りそうな書き方で、他は防潮堤の竣工を待って順次撤去、という手順であることが判明。検索の仕方が悪いのか、これ以上詳しい情報には当たったことがありません。
貴船・呑川両水門はご覧のとおりなのでおくとして、次点の南前堀水門の今後は、と検索してみたところ、「平成30年度南前堀水門取付堤撤去設計(その2)」なる入札結果情報が。タイトルからしてどうやら、水門本体の撤去ではなさそうですが、議事録に書かれていたとおり、南前堀水門にも順番が迫ってきたことを感じさせますね。
(元年12月31日撮影)
(『令和元年度川走り納め…8』につづく)

にほんブログ村

なぜこちらに入ったかというと、以前、この周辺の水門たちを、廃止する方向で話が進んでいることを知り、もしかしたら‥‥と胸騒ぎを覚えておもむいたというわけ。クレーン船のいるあたりは、呑川水門があるところ。もう始まっているのか‥‥。

●ああ、やはり‥‥。
呑川水門、すでに巻上機と扉体が撤去され、堰柱にも足場がかかって、取り壊す準備が進んでいました。
もうちょっと近づいて眺めたくはあったのですが、見通しが悪く奥の状況がよく見えなかったので、ズームでたぐってスナップし、がまんすることに。ちなみにクレーン船の船名はわかりませんでしたが、甲板室に「湘南洋光建機」という社名が読めました。

●こうなると、昭和島の対面にあるいま一つの水門、貴船水門がどうなったか気になります。大森東避難橋をくぐって微速前進。
●‥‥ええ、余計なことというか、個人的な好みではありますが‥‥。大森東避難橋の字の割り付け、いかに構造の制約があるとはいえ、PCのベタ出力そのままで、すごく違和感があるんですがいかがでしょう。
せめて写植でいう平1くらいをかけて目線の流れをよくし、コンマと7の間はツメたいものだと勝手に一人ごち。橋のような恒久構造物は、向こう何十年か人目にさらされるのですから、このあたりもお気遣いをいただけると、橋への愛着も違うものになると愚考するのですが(偉そうだ)。

2隻とも、旧綾瀬川でおなじみ、伊澤造船の持ち船でした。今考えてみると、ドローンなどで高いところから見下ろせたら、呑川水門の扉体やらが積んであるのを見られたかもしれません。

●あああ、きれいさっぱり撤去済み。
というわけで、遅きに失した訪問となってしまいました。貴船水門さん、お疲れさまでした‥‥合掌。
船溜を囲繞する堤防も竣工しているようだし、ここは供養を兼ねて通航してみるとしましょう。
【撮影地点のMapion地図】
●以下、頭の中の整理も兼ねておさらいのメモ書き。
防潮堤整備にともなう水門撤去の動きについては、3年前「8月13日の川景色…2」で紹介したPDF議事録「東京港の津波・高潮対策について 質疑」(鈴木晶雅前都議会議員HPより)で知りました。この議事録で、南前堀、北前堀、呑川、貴船の各水門を地元で「港南4水門」と呼んでいることがわかったのは収穫でしたねえ。
さておき、4水門とも廃止の方向ではあるものの、北前堀は橋があり陸閘が設けられているため、この時点では少し手間取りそうな書き方で、他は防潮堤の竣工を待って順次撤去、という手順であることが判明。検索の仕方が悪いのか、これ以上詳しい情報には当たったことがありません。
貴船・呑川両水門はご覧のとおりなのでおくとして、次点の南前堀水門の今後は、と検索してみたところ、「平成30年度南前堀水門取付堤撤去設計(その2)」なる入札結果情報が。タイトルからしてどうやら、水門本体の撤去ではなさそうですが、議事録に書かれていたとおり、南前堀水門にも順番が迫ってきたことを感じさせますね。
(元年12月31日撮影)
(『令和元年度川走り納め…8』につづく)

にほんブログ村
- 関連記事
-
- 令和元年度川走り納め…11
- 令和元年度川走り納め…8
- 令和元年度川走り納め…7
- 令和元年度川走り納め…6
- 令和元年度川走り納め…5