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平成元年、観艦式予行の思い出

244001.jpg昔の写真を貼ったアルバムを久しぶりに開いてみたら、平成元年に行われた、海上自衛隊の観艦式予行に便乗させていただいた際のプリントが、何枚か出てきました。ついこの間のことと思っていましたが、もう31年も経ったのですね。

何分日付の入るようなハンディカメラでしたので、写真の質はお察しですが、懐かしさもあって恥を忍んでご披露させていただきます。お目汚しまで。
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プリントに表示された日付は平成元年11月3日、このおかげで年月日がわかったのですから、写真はまずくともハンディカメラと馬鹿にはできますまい。

「世界の艦船」416号(平成2年1月号)に、観艦式を報じたグラフ記事があったので参照すると、平成元年度観艦式の本番は11月5日、場所はおなじみ相模湾、観閲官は海部俊樹首相、参加艦艇は55隻で合計t数約143,100t、航空機51機に及び、過去最大の規模だったとのこと。つまり3日のこれは、本番の予行ということになります。

3日の当日は比較的穏やかで、気温も低くなかったと記憶しています。視程は悪くなかったものの、写真のとおり薄く靄がかかっており、富士山はうっすら見える程度でした。

「世界の艦船」の記事によると、1日に行われた事前訓練は、晴天ながら大荒れで南西の風30kt、大型艦は上甲板まで盛大に波をかぶり、掃海艇など小型艦は陣列を維持するのも難しいほどだったといいますから、我々はまことにラッキーだったことになりますね。

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指定された乗艦は、掃海母艦「はやせ」でした。防楯のリベットも厳めしい、当時としても古豪兵器だった3インチ連装砲が懐かしいですね。

戦中に沈没した旧海軍の駆逐艦「梨」をサルベージし、改装した護衛艦「わかば」が装備していた砲を転用したものだそう。防楯は後日装備で、就役後しばらくは砲は露天だったことになります。

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3インチ連装砲を後ろから。この後に就役した艦はマガジンをのぞいて密閉され、曲がりなりにも砲室といえるものになりましたが、こちらは開放のまま。“防楯”の文字どおり、楯そのものでした。

「はやせ」はこの2年後、初の海外派遣となった湾岸戦争後のペルシャ湾に長躯、掃海部隊の旗艦として出動。報道写真や映像を目にして、一度きりとはいえ乗ったご縁のあるフネということもあり、心の中で応援したものでした。冷房能力を補うためでしょう、クーラーの室外機を航海艦橋前にずらりと並べていたのを見て、彼地の暑熱の厳しさが想われたものでした。

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艦橋トップから前甲板を見下ろして。基準排水量2,000tとて、今日的な目からするといかにもこじんまりとしていますね。

揚錨機が軍艦式でなく、軸の水平な商船式の電動ウインドラスなのが印象的でした。補助艦艇は予算の関係で、商船式の装備や構造を取り入れることが少なくなかった時代の就役艦ならではです。

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まったく胸のすくような、見事な単縦陣! 前述のとおり、穏やかなりに薄靄がかかって、抜けるような青空とはいきませんでしたが、陣列を見渡せるだけの視界は十分あり、快哉を叫んだものでした。相模湾は東岸近くのみながら、先代艇で巡った海域。城ケ島、亀城礁といったおなじみの島々を遠く望んで、終始ハイテンションだったのはいうまでもありません。

現在の海自のように、イージス艦やドック型輸送艦、空母型護衛艦といった華のあるタイプが登場するはるか以前でしたが、「はつゆき」型、「あさぎり」型の艦隊型護衛艦が続々と就役していたころで、今までとは違ったハイペースの充実ぶりに、いちファンとして心躍らせた時代ではありました。

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すれ違う陣列の各艦を撮ったスナップを何枚か。まずは護衛隊群のフラッグシップである、ヘリコプター護衛艦の一隻「はるな」。FRAM(近代化改装)を施されて、まだ間もないころです。今や絶滅して久しい、背負式の砲がある艦、いいですねえ。

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対空ミサイル護衛艦のはしり、長らく海自の虎の子だった「あまつかぜ」。昭和40年に就役し、当時すでに艦齢24年のベテラン。昔風とも思えた船体、特に艦首のラインが好きで、正横に来たときはときめいたものでした。

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護衛艦「みねぐも」。高校のころでしたか、ニチモから200分の1の大きなプラモデルが出ていて、模型屋さんの高いところに、いつまでも飾られていたのをよく覚えています。海自艦艇の製品が少なかったころとあって、手は出なくとも憧れたものでした。

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唯一護衛艦以外を写したのがこれ、輸送艦「みうら」。小型の輸送艇をのぞくと、この手のランディング・シップも見られなくなりましたね。やはり任務柄、収容力は護衛艦と桁違いで、たくさんの人影が甲板上に見られます。

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希少な中央船楼タイプで、異彩を放っていた護衛艦「ゆうばり」。初期のガスタービン艦で、近くを通るとき「キーン」という、ジェット機と同様の音がしたのが強く印象に残っています。

‥‥いやしかし、こうして眺めてみると、すべて退役したフネばかりですね。今さらながら30年の時の流れを実感し、しみじみ。

この前年7月、いわゆる「なだしお事件」が起こっており、バイアスのかかったひどいバッシング報道がまかり通っていたころで、海自にとっては苦しい時期だったと推察します。

実は、確か事件の翌日、7月24日の展示訓練だったと思いますが、乗艦券を入手していたのです。友人と二人で前日泊まり込みまでして、楽しみにしていたのですが、テレビをつけたら事故のニュースが。当然、以後の展示訓練はもちろん中止となって乗艦はふいとなり、仕方がないこととはいえ、落胆も大きかったのでした。

そんな体験の後だっただけに、嬉しさもひとしおだったのでしょう。機関の振動や塗料の匂い、乗り組みさんが甲板に敷いてくださった毛布の感触、「浦賀水道航路に入った!」といったような艦内放送の抑揚など、写真に写っていないことまで、昨日のことのようにありありと思い出されるのです。

(平成元年11月3日撮影)

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タグ : 護衛艦 輸送艦 相模湾