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加賀須野橋…1

(『旧吉野川河口堰…4』のつづき)

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旧吉野川河口堰を離れてさらに南下、今切川北岸、松茂町浜ノ須(Mapion地図)で河畔に立ちました。ここはちょっと特別な場所なのですが、その件は後でお話しましょう。真新しい堤防や砕石がまばゆく、施工されてまだ日が浅いことを示しています。

さらに南へ屈曲してゆく下流側は、橋の姿が全く見えません。少し右手へ目線を移して、対岸を見てみると‥‥。

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天井クレーンを備えた大きな建屋や、背の高いクレーン‥‥造船所がありますね。神例造船徳島工場とのこと。造船所があるとなれば、橋を架けるのははばかられるでしょう。‥‥そう、ここ今切川は、本船航路なのです!

239078.jpg数年前に入手した、阿波の橋めぐり(坂本 好著、平成11年、㈱アルス製作所創立50周年記念誌刊行会発行)。徳島県下の131橋を収録した、上製箱入りの立派な橋梁写真集です。

弊ブログで徳島周辺の橋について云々するときは、ほぼこの本一冊に依っているわけですが、今回訪ねた加賀須野橋を知ったのも、本書の記事でした。

239079.jpgもっとも、掲載されていたのは単葉跳開式の先代橋。現橋竣工後もしばらく在ったようですが、残念ながらすでに撤去され、見ることはかないませんでした。

この先代加賀須野橋、昭和29年に3代目として竣工した後、上流に日清紡績と東亜合成化学の工場が誘致され、本船の通航が求められたため、追加工事で跳開橋の径間を設けたという、変わった経歴の橋だったそう。

現在も二社の工場の間には、共栄橋という橋がありますが、この先代橋も旋回式の可動橋だったとのこと。かつての徳島は、二つの可動橋がある町だったのですね!

加賀須野橋の記事中で最も興味を覚えたのは、17mという可動橋径間が船舶の大型化に対応できなくなったのか、通航船の衝突事故が何度かあったという下り。衝突は昭和51年から平成3年まで実に5回を数え、そのたびに長期通行止めとなるため、果てには復旧を迅速化しようと、何と予備の桁まで造って備えたそうです。

事故を面白がるようで失礼ではありますが、可動橋に関するこの手の記録に触れるのは初めてで、興味深く拝読したものです。そして、それほどまで本船航路の河川として輻輳していたこと、さらに新橋も可動橋が必要とされたご当地の環境は、大いに興味をそそるものがありました。

加えて本船が結構な距離を遡上する河川は、国内に数えるほどしかないというのも手伝って、閘門たちとともにぜひ訪ねておきたいと思ったのです。

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さて、同じ場所から上流側へ向き直れば、青空を背負ってそびえる加賀須野橋の雄姿が。

平成26年8月、竣工当時の様子を伝える「加賀須野橋が供用開始」(建通新聞)によると、全長237m、可動橋径間の航路幅37m。可動橋の重量約450t、4本ある主塔に各100tのカウンターウェイトを備え、13mの高さを1分40秒(片道と思われます)で上下させるとのこと。

可動橋の径間は、先代橋の17mから37mへと、倍以上に拡幅されたのですね。ちなみに、カメラを構えたこの場所、旧加賀須野橋が架かっていたところ。護岸回りがまだ新しいのも納得できます。かつての橋に至る道路がそのまま残っているのは、地図をご覧になればおわかりでしょう。

(元年9月14日撮影)

(『加賀須野橋…2』につづく)

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タグ : 今切川 加賀須野橋