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旧吉野川河口堰…4

(『旧吉野川河口堰…3』のつづき)

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閘門から離れて、堰の周囲で見たものを少し。堰と閘門の航路を分かつフェンスの、先端に位置する標識ブイ。直方体のものを4つ、アルミのアングルで作った枠で組んだもの。東京近辺では見たことのない形で、まだ新しいのかきれいなのも手伝って、すごく几帳面な印象でした。

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閘門のある東詰から少し上流側に歩いた、三角形の土地(Mapion地図)には旧吉野川河口堰操作所があり、柵前には上の写真のような、ご案内が掲げられていました。

ウェブ上で公開されている内容と略同ですが、ゲートの操作や閘門の通航方法まで載っており、カラフルで楽しげなデザインと、わかりやすいレイアウトが好ましく感じられました。

239072.jpg敷地の北側、三角形の先端は小公園風のつくりで、柵内に入れるようになっていました。真ん中には右写真のような、ヒゲをたくわえた紳士の胸像が。この人物の顕彰スペースといったところですね。堰の建造に関係がある人なのでしょうか?

裏に回ってみると(下右写真)、碑文がありました。人物は三木與吉郎という名前で、この碑文は昭和24年11月に書かれたとのこと。

碑文を要約すると、吉野川流域の水田は昔から塩害がはなはだしく、三木與吉郎氏が多年奔走した結果、「今切川だむ」、そして今年「松茂だむ」が竣功したものの、三木氏は完成を見ることなく逝去したと。

239073.jpg時系列がいま一つあいまいな碑文ですが、貴族院議員正六位勲二等との記述と、碑文建立時すでに故人だったことを考えると、Wikipediaにある「三木与吉郎(12代)」(昭和13年没)と思われるのですが、いかがでしょうか。

碑文に書かれた、両河口堰の成り立ちについては、「潮止め樋門の設置と河口堰の建設」にありますが、それによれば現在の河口堰の先代に当たる、今切川潮止樋門(今切川ダム)は昭和11年、旧吉野川潮止樋門(松茂ダム)は昭和24年にそれぞれ竣工したそう。

これで時系列がわかりました。故人の目標であった“松茂ダム”の竣工を待って、胸像が立てられたのですね。今切川ダムの竣工年が載っていないのは、三木氏の尽力を知っている人たちにとって、自明のことだったからに違いありません。藍商の名家として、代々襲名するほどの地元を代表する人物、皆までいわずとも、の気持ちが表れているように感じられたものでした。

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離れる前に、ずらりと並んだ堰柱のいいお顔を一枚。側面に振られた番号が、ピリッと引き締まった雰囲気を醸しています。

地元の悲願ともいうべき、塩害防止を実現した“ダム”の後を襲い、今なお重責を担う旧吉野川河口堰。閘門に惹かれて訪ねたのですが、思わぬところで堰成立の歴史を知ることができて、興味もいや増すものがありました。

(元年9月14日撮影)

(『加賀須野橋…1』につづく)

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タグ : 旧吉野川河口堰 旧吉野川