鯔越水門…1
(『岡崎渡船…4』のつづき)
●大毛島に渡って東岸、県道11号線に出ました。右手はるかに鳴門海峡と淡路島、そして大鳴門橋を望みつつ北上します。
しばらく走ってから左折し、山道を越えて大毛島と島田島に囲まれた内海、ウチノ海の水際を巡る道へ。山裾がそのまま水面に落ちるような地形で、うねうねと狭い道をたどってゆくと、養殖筏が点在する美しい水面の向こうに、お目当ての水門が見えてきました。

●重畳とした緑の山並が、左右からすとんと落ち込んで谷間をつくったあたりに、小さな水門が見えるでしょうか。
山に囲まれた内海の小さな谷間に、ぽつりと在る一径間の水門‥‥。緑したたる、水あくまで澄んだ内海の奥部という、水門風景として見ても、群を抜いた美しさ! それもさることながら、堤防の切れ目でもなく、ましてや河口でもない、このタイプの水門を設ける地勢としては、かなり特異であることにまず惹かれました。

●同位置からズームでたぐって、少しアップ。飾り気のない簡素な外観の水門が、コンクリートの生地にうららかな陽を浴びて、うっそりとたたずんでいるさまが見てとれます。
10年ほど前でしたか、国内各地に今なお息づく地峡運河‥‥例えば船越運河‥‥に興味が湧きまして。Googleマップの衛星・航空写真で、地峡運河がありそうなくびれた地形の場所を、片っぱしから検分して回ったことがあったのですが、この水門の存在に気付いたのはその折でした。
その少し後になって、Googleストリートビューで見られるようになり、水門風景としての素晴らしさに驚かされ、撫養航路とともにぜひ訪ねてみたいと一人盛り上がって、今に至るというわけです。

●水門のかたわらまでたどり着きました。ほぼ同じアングルをストリートビューで見られるのですが、百聞は一見に如かず。潮の香りと草いきれがないまぜになった空気を吸いこんで、ようやくこの地に立った感動を噛みしめたものでした。
さて、地峡運河ファンとしては、ご当地が元からあった“海峡”なのか、それとも人の手で開鑿した水路なのか、現時点では確認できていないのですが、気になるところではあります。
国土変遷アーカイブの空中写真閲覧サービスで、「USA-M263-24」(昭和22年、米軍撮影)を見てみたかぎりでは、細長い水路がひょろりと伸びており、どうも人為説を採りたくなるような雰囲気ではあるのですが。かつては塩田の多い地域でしたから、海水をより多く導く必要があって濠を切ったとか、根拠のない妄想をしております。いずれ調べてみたいですね。
●もう一つの謎が、巻上機室に抜き文字で掲げられた、水門の名前です。鯔越水門‥‥ううん、何て読むのが正しいんだろう?
検索でヒットしたのが、徳島県HPの「鯔越樋門」。こちらは樋門になっていますが、なぜだかはわかりません。さておき、オフィシャルサイトなのに、読みが載っていないのが何とも。「鯔」はボラかイナのどちらかでしょうから、ボラゴエかイナゴエなのかしら?
正解は帰宅後に判明したのですが、今考えてみると、直接管理部門に電話してうかがうべきでした。お恥ずかしい‥‥。
【撮影地点のMapion地図】
(元年9月14日撮影)
(『鯔越水門…2』につづく)

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しばらく走ってから左折し、山道を越えて大毛島と島田島に囲まれた内海、ウチノ海の水際を巡る道へ。山裾がそのまま水面に落ちるような地形で、うねうねと狭い道をたどってゆくと、養殖筏が点在する美しい水面の向こうに、お目当ての水門が見えてきました。

●重畳とした緑の山並が、左右からすとんと落ち込んで谷間をつくったあたりに、小さな水門が見えるでしょうか。
山に囲まれた内海の小さな谷間に、ぽつりと在る一径間の水門‥‥。緑したたる、水あくまで澄んだ内海の奥部という、水門風景として見ても、群を抜いた美しさ! それもさることながら、堤防の切れ目でもなく、ましてや河口でもない、このタイプの水門を設ける地勢としては、かなり特異であることにまず惹かれました。

●同位置からズームでたぐって、少しアップ。飾り気のない簡素な外観の水門が、コンクリートの生地にうららかな陽を浴びて、うっそりとたたずんでいるさまが見てとれます。
10年ほど前でしたか、国内各地に今なお息づく地峡運河‥‥例えば船越運河‥‥に興味が湧きまして。Googleマップの衛星・航空写真で、地峡運河がありそうなくびれた地形の場所を、片っぱしから検分して回ったことがあったのですが、この水門の存在に気付いたのはその折でした。
その少し後になって、Googleストリートビューで見られるようになり、水門風景としての素晴らしさに驚かされ、撫養航路とともにぜひ訪ねてみたいと一人盛り上がって、今に至るというわけです。

●水門のかたわらまでたどり着きました。ほぼ同じアングルをストリートビューで見られるのですが、百聞は一見に如かず。潮の香りと草いきれがないまぜになった空気を吸いこんで、ようやくこの地に立った感動を噛みしめたものでした。
さて、地峡運河ファンとしては、ご当地が元からあった“海峡”なのか、それとも人の手で開鑿した水路なのか、現時点では確認できていないのですが、気になるところではあります。
国土変遷アーカイブの空中写真閲覧サービスで、「USA-M263-24」(昭和22年、米軍撮影)を見てみたかぎりでは、細長い水路がひょろりと伸びており、どうも人為説を採りたくなるような雰囲気ではあるのですが。かつては塩田の多い地域でしたから、海水をより多く導く必要があって濠を切ったとか、根拠のない妄想をしております。いずれ調べてみたいですね。

検索でヒットしたのが、徳島県HPの「鯔越樋門」。こちらは樋門になっていますが、なぜだかはわかりません。さておき、オフィシャルサイトなのに、読みが載っていないのが何とも。「鯔」はボラかイナのどちらかでしょうから、ボラゴエかイナゴエなのかしら?
正解は帰宅後に判明したのですが、今考えてみると、直接管理部門に電話してうかがうべきでした。お恥ずかしい‥‥。
【撮影地点のMapion地図】
(元年9月14日撮影)
(『鯔越水門…2』につづく)

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