5月5日の仲江間…5
(『5月5日の仲江間…4』のつづき)
●ころあいと見たのか、船頭さんが「もういい?」と声をかけてきたので、「ありがとうございました。結構です。」と返したところ、棹を突いて舟を回しにかかりました。
ほんの限られたアングルでしたが、閘門ファンとしては間近で実見してこその想いがあり、しかも水上からは10年ぶりとあって、訪ねてよかったとしみじみ。

●船首に立ったまま人道橋をくぐったところ、偶然銘板を発見! 棹を突いてゆっくり歩かせていればこそ、また閘門を通航していたら、そっちに意識が向いて気づかなかったでしょうから、これはラッキーといっていいでしょう。
無骨な無銘橋とはいえ、集落には欠かせない生活道路。竣工は1984(昭和59)年3月、佐原市によるもの。施工は永井建設株式会社、製作は川鉄鉄構工業株式会社とありました。橋自体は実用一点張りなものですが、銘板はなかなか立派ですね。
●帰路はふたたび、巨大魚が派手に水音をたてて跳ねるたびに歓声を上げ、青空の下消失点まで伸びゆく、仲江間ならではの水路風景に陶然となり‥‥と、水郷情緒(?)をしゃぶりつくすひととき。
ちょっと気になったのは、往復とも、右へ左へと何かを避けるように舵を切ることがたびたびあり、ズッ、ズッと底を擦るような軽いショックもあったこと。以前通ったときもこうだったかなあ‥‥。

●船頭さんに「以前通ったときより、浅くなった気がするんですけど‥‥」とたずねてみると、小さくうなずいて一言。
「舟が通らなくなったからねえ‥‥。」

●考えてみれば、ここは広大な田圃からの落し水を受けて、与田浦へ流す排水路。可航状態を維持するには、堆積する泥土をさらうなど、絶えざる整備が必要なのはいうまでもありません。
排水のための水深は維持されるでしょうから、舟航路として荒廃してきたということは、可航水深までさらうことが難しくなってきた、ということでしょうか。かつては観光協会主催で、佐原~仲江間~十二橋駅船着場のチャーター便があり、我々も利用させてもらいましたが、さらに浅くなったら、今後はどうなるのでしょう。少々心配な現状ではありました‥‥。
(元年5月5日撮影)
(『「水郷佐原あやめパーク」で遊ぶ』につづく)

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ほんの限られたアングルでしたが、閘門ファンとしては間近で実見してこその想いがあり、しかも水上からは10年ぶりとあって、訪ねてよかったとしみじみ。

●船首に立ったまま人道橋をくぐったところ、偶然銘板を発見! 棹を突いてゆっくり歩かせていればこそ、また閘門を通航していたら、そっちに意識が向いて気づかなかったでしょうから、これはラッキーといっていいでしょう。
無骨な無銘橋とはいえ、集落には欠かせない生活道路。竣工は1984(昭和59)年3月、佐原市によるもの。施工は永井建設株式会社、製作は川鉄鉄構工業株式会社とありました。橋自体は実用一点張りなものですが、銘板はなかなか立派ですね。

ちょっと気になったのは、往復とも、右へ左へと何かを避けるように舵を切ることがたびたびあり、ズッ、ズッと底を擦るような軽いショックもあったこと。以前通ったときもこうだったかなあ‥‥。

●船頭さんに「以前通ったときより、浅くなった気がするんですけど‥‥」とたずねてみると、小さくうなずいて一言。
「舟が通らなくなったからねえ‥‥。」

●考えてみれば、ここは広大な田圃からの落し水を受けて、与田浦へ流す排水路。可航状態を維持するには、堆積する泥土をさらうなど、絶えざる整備が必要なのはいうまでもありません。
排水のための水深は維持されるでしょうから、舟航路として荒廃してきたということは、可航水深までさらうことが難しくなってきた、ということでしょうか。かつては観光協会主催で、佐原~仲江間~十二橋駅船着場のチャーター便があり、我々も利用させてもらいましたが、さらに浅くなったら、今後はどうなるのでしょう。少々心配な現状ではありました‥‥。
(元年5月5日撮影)
(『「水郷佐原あやめパーク」で遊ぶ』につづく)

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