ラグーナテンボスの謎閘門…1

舟筏路のお話の途中ですが、その印象が薄れないうちに急ぎまとめてみたくなりました。長いお話になりますが、以下に垂れ流させていただきます。
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●日にちの記憶はあいまいですが、昨年末のことです。Googleマップで愛知県は三河湾の沿岸を徘徊し、水門を見つけてはストリートビューで降りて愛でたり、多くのマリーナが散在する海岸線を眺めるなどして、楽しんでいました。
蒲郡市のあたりを西から流していたとき、駅でいうと三河大塚の近くに、造成中の埋立地のような場所が目に留まりました。湾入には大規模なマリーナがあったので、興味を覚えて拡大してみたところ、マリーナは一瞬にして忘れ去られ、むしろその東にあったものに目線がひゅっと音を立てて吸い寄せられたのであります!

●ホンモノのGoogleマップで謎閘門を表示
●こここ閘門じゃないか? しかもマイタゲート!
国内では極めて珍しい双閘、つまり二組の閘門が並列して設けられたタイプであるらしいことも手伝い、まあ興奮したの何の! いうまでもなく、脳内は妄想ダダ流し状態に。
●左端、扉体の前に白い一本棒が見えるのは、建造中のため角落しをはめて、外の水が入らないよう閉塞しているのだろう、北側(上)の閘室は扉体が未設みたいだが、これも同様これから取り付けるに違いない、左の扉室はゲートが背中合わせに二組あるけれど、右の扉室が一組なのは、左端のゲートが閘門のそれでなく、単なる防潮ゲートだからじゃないか‥‥など、など。
写真から得られる情報をちゅうちゅう摂取すればするほど、脳内物質が分泌されテンションは上がる一方で、留まるところを知りません。

●ホンモノのGoogleマップでラグーナテンボス東側を表示
●閘門で出入りする水面は、横倒しにしたUの字を変形させたような屈曲水路で、ごく短いもの。閘門に気づいた時点でのGoogleマップは、水路は開鑿中で水も張られておらず、一面土色の写真が掲載されていましたが、上に掲げたものはすでに水が入り、護岸も施され一応の形は整えられたように見えますね。
●検索してゆくうち、この辺り一帯はどうやらラグーナテンボスと呼ばれる、リゾート施設の集まりらしいことがわかりました。とりあえずこの閘門を、「ラグーナテンボスの謎閘門」と仮称しておくことに。
しかし、たったこれだけの水面のために、なぜ双閘が必要だったのか、曲がりくねった水路の用途は何なのかなど、眺めているだけでも謎だらけ。私的ながら、「謎閘門」の名を進上したゆえんであります。

●ホンモノのGoogleストリートビューでラグーナゲートブリッジ上からの眺望を表示
●Googleマップではままあることではありますが、ストリートビューで閘室をまたぐ橋の上に降りてみると、荒涼たる土色の風景はすっかり失せ、更地ではあるものの緑の多い、ひととおりの整地を終えた新開地の景色が広がりました。
ちなみに閘門のことを検索していたら「最優秀賞 ラグーナゲートブリッジ」という記事がヒット、この橋の名前は「ラグーナゲートブリッジ」と判明。
●2003年の土木学会デザイン賞を受賞したと知って、閘門も橋同様、少なくとも15年前からあったことを知り、驚かされました。上の写真を撮った時点で、水路に船影はおろか桟橋の一つも見えないとなれば、閘門が未だ供用されていない可能性が濃厚ですね。
wikipedia「ラグーナテンボス」によると、平成初期から始まったリゾート開発は当初の目論見通りにゆかず、紆余曲折を経て主にトヨタ自動車の支援の元、現在の形に至っているようですが、この水路について触れられた唯一のくだりに、こうありました。
「埋立地内に人工的な水路を作り個別(註:『戸建』の誤りと思われます)別荘を建設しボート等で移動できるようにする予定であるとしているが、2015年2月現在、整備されていない」
●ははあ‥‥。恐らく、別荘一軒宛に繋留施設を備えたものが、水路沿岸に並ぶ構想だったのだろう、と想像できました。いわばポンドだったのですね。とすると閘門は、干満に関わらず、水深を一定させるための役割を担ったものと見てよいように思えました。貯木場にかつてあった閘門と、同じ伝ですね。ゲートの向きからして、内水側を常時高い水位に保つ構想だったのでしょう。
国内初の試みともいえる、純粋にレジャー目的の閘門付きポンド! これだけの舟航施設を造り上げながら頓挫してしまったとは、何とも言葉がありませんが、ストリートビューでは閘門の姿をうかがうことはできず、現状を観察することができません。
●試験通航くらいはしたにせよ、実際にプレジャーボートやヨットを迎えて稼働することもなく、15年を過ごしてしまった新造閘門‥‥。構想が華やかだったことも手伝い、そのいわくいいがたいもの悲しさに、強く、強く心をわしづかまれたのであります。ぜひ現地におもむいて、この目で見てみたい思いが、日に日につのるのを抑えられなくなるほどに。
得られる情報は少なく、いくつかの記述から類推するしかない状態が続いていたものの、この時点ですでに、細かいことは正直、どうでもよくなってきていました。謎は謎のまま、「謎閘門」でいい。ただただ、訪ねてみたい気持ちのみが肥大して、いてもたってもいられなくなっていたのです。

●‥‥というわけで昨日23日午前、ようやく機会を得て、ラグーナゲートブリッジの橋詰に立つことができました。舟航可能な桁下高を得るために、道路の勾配は結構なもので、ここから眺めると丘に登ってゆくようです。
練習コースにでもなっているのか、スポーツサイクルに乗った人達が頻繁に走り去ってゆくのが見られました。あいにく雲が多いですが、微風で少し蒸し暑い中、雑草の目立つ歩道を鼻息荒く登って、謎閘門との初邂逅を目指します。

●橋の中央から東側、ポンドのある方を見下ろしてみました。想いを募らせた謎閘門との初お目見え、まずは撤去や埋戻しもされず、Googleマップの写真そのまま存在してくれていたことに安堵して、大きく息をつきました。
写真左、北側の閘室が、バイパス装置まで設備されながらゲートの設置に至っておらず、未完状態なのもGoogleマップで見たとおり。右奥は地図によると、「トヨタグループ蒲郡研修所」とのこと。こちらは別荘地構想が頓挫してから建設されたのでしょう、この研修所の地所をのぞいて、水際は護岸のみの施工で、法面も何ら加工がなく、草ぼうぼうのままです。

●さっそく閘室近くに降りようとしたものの、法面はほとんど分厚く蔦で覆われて、接近は難しそう。とりあえずズームでたぐり、気になる南側閘室のゲート周りを撮影。
周囲より一段下がったフラットに、露出状態で油圧の扉体駆動装置が置かれていました。埋設にしないのは、整備性を考えたためでしょうか。
見たかぎり、セルフ運転のための諸機器はないようでしたが、左端、戸溝の右に見えるボックス、上下に開いたスリットのような開口がありますね。わざわざ張り出して設けてあることから、レバーでも差し込んで操作する何かだったのかも、と妄想させるものが。

●北側閘室の未設ゲート周り。駆動装置が載るはずだったスペースは、鉄筋が突き出したまま空所となっているのがわかります。
北側閘室、実は通水用の開渠で閘室ではないという、道頓堀川閘門のパターンもあり得ると思っていたので、バイパス装置の存在とともに、これで閘室であることが確認ができました。やはり双閘として造られたと思って、間違いなさそうですね。

●南側閘室の北側側壁に、写真のような機器類が。一番上の横長の箱が電光掲示板、二段目が左からブザーかチャイムのホーン、スピーカー、2灯式信号でしょう。メッキの柵にきれいにまとめられ、質素ですが無骨さはなくスマートな感じで、リゾート施設として外観に気遣いがあったことを感じさせます。
気になったのは、右のポール上にあった、青ランプ付きのボックス。「舫完了スイッチ」なる表記があって、側面にはブザーか何からしい、細かい穴の開いたパネルも。用途が想像しにくいのですが、通航艇上から操作するつくりにはなっていませんから、少なくとも、そばで監視している係員のためのものでしょう。

●南側閘室ゲート、先ほどのものと対の北側の扉体をアップで。初見したときから、径間にくらべて扉体の幅が短く、また端面が斜めに落とされていないように見えて、「ちゃんと斜接するのかな?」と疑問に思えていました。拡大して眺めてみると、う~ん、やはり直角に近いような‥‥。端面には、水密材の黒いゴムが突き出ているのが見えましたが、あれだけで大丈夫なのかしら。
なお、午前中は雲が厚く、光量不足でいま一つだったため、雲が切れて晴れた午後、帰路に再度訪ねて撮りなおしました。陽が射しているのは午後に撮ったものです。以下お断りせずに使わせていただきます。

●二つの閘室を分かつ背割堤(?)の東端の様子。監視カメラと信号、その下の箱はスピーカーでしょうか。北側閘室には設備されておらず、南側に向いたもののみです。
往復を二つの閘門で分離し、それぞれ一方通行で用いるとすれば、信号は点対象の配置になるはずだから、片方のみの設備なのかな? と思っていたら、少なくとも南側は東西とも設けられていました。小賢しい勘繰りだったようです。

●いよいよ西側のゲートを検分に及ぼうと、道路を渡って橋上から乗り出しました。湾入の対岸は遊園地「ラグナシア」と、アウトレット「フェスティバルマーケット」。東側より格段にディテールが豊かなだけに、興奮の度合いも桁違いです。ポンド側が高水位とすれば、こちらが後扉室になるのでしょう。
分厚い角落し、防潮用の背の高いマイタゲートが両閘室とも備えられている点は、Googleマップで見たとおり。生で目にしてわかったことが二つ。写真左、南側閘室のゲート天端に、扉体の規模からすれば大き過ぎるような、手すり付き通路が設けられていたこと、それに北側閘室は、ゲート未設のまま、同様の通路が橋渡しされていたことです。

●南側閘室、後扉室のアップ。背後の防潮ゲート、後扉室ゲートとも表裏にスキンプレートを持つ、シェル式(でいいのかな?)のようですが、手前の後扉室ゲートの傷みがずいぶん激しいですね。
うかつなことではあったのですが、特に気になっていた西側ゲート周りを確認できたことで、興奮のあまり肝心なことが目に入っていませんでした。その報いは後で、大きなショックとなって襲ってくることになります。

●せっかく来たのだから、橋上から見下ろすだけでなく、何とか水際に降りて閘門を堪能したいもの。両橋詰附近をだいぶうろうろしたものの、こんもり繁った蔦で阻まれたり、水を湛えた溝があったりして、なかなかルートが見つかりません。
探索の結果、ようやく南詰の西に、法面を降りる階段を発見。「シーサイドウォーク シャトルボートのりば」という小さい看板が立てられていましたが、手入れがさていないのか草ぼうぼうで、近づかなければわかりませんでした。

●高い柵越しながら、ようやく後扉室ゲートとお近づきに。間近にして、ゲート上通路の大げさかつ堅牢そうなさまに、二度びっくりです。パッと見、「これでゲートが開閉できるのか? 工事中断後に後付けされたのかな?」と思ったほどでした。
周囲の柵のめぐらせ方、未成の北側閘室に、同じつくりの橋を渡してしまったあたりから察して、この通路は係員だけでなく、一般の通行も考えられていたのかもしれません。ここが通れればいちいち高い橋を渡らずとも、水際のテラスを行き来できるわけです。もしそうだったとしたら、楽しいお散歩道になったことでしょうね! マイタゲートの上を普通に歩けるところなど、そうそうありませんから。

●後扉室ゲートの中央をアップで。よく見てみたら、扉体表面のこれ、スキンプレートじゃないですよ。縦の構造から3つづつベロを出し、四角い鋼板を一枚一枚ボルト留めしただけで、すき間があって水が出入りする造りじゃないですか。シェル式ゲートではないですね、お詫びして訂正します。
いわば単なるカバーで、だとすれば水圧を受けるスキンプレートは、背面にあるということになります。背後の防潮ゲートが同様の設計だとすれば、フラットで傷みが少ないように見えるのが、納得できました。
●もう一つ、扉体同士の水密ですが、のぞき込んでみると、端面から突き出したゴムの水密材が、凸同士で噛み合っているように思えたのです。過去に見てきたマイタゲートのように、端部の一面に張った木製の水密材で、べったりと面接触している方式とは、どうやら異なるやり方のようでした。

●こちらにもひと揃え備えられていた、通航艇向けの機器類。ちなみに「舫完了スイッチ」ですが、写真のように側壁の凹部に沿わせて、壁から浮かせる形で設けられたポールと一体になっており、このセットがズラリと、5組並んでいることがわかりました。
ポールは明らかに、通航艇がもやいを「行って来い」で通して繋留し、水位が変動してもロープを通したまま、艇を固定しておけるようにするためのもの。
とすると、もやいをポールに回した時点で青ランプがつき、ちょうど電車のドア灯のように、複数の通航艇の安全を確認できる装置なのでしょうか。自艇他艇を問わず、私が通航した閘門では見たことがありませんでしたが、どこか設備しているところはあるのでしょうか。
●あと、左手に見える、恐らくフェンダー一体構造と思われるハシゴ、すごく気に入りました! ツライチにされていないステンや鉄製のハシゴの場合、接舷時に艇を傷つけないよう、ずいぶん気を遣いますから、東京の各閘門も、コレに替えてくれれば助かるのですが!
●‥‥さて。先ほど触れた大きなショックですが、閘室内を堪能して、そろそろ角落しの閉塞状況でも眺めてやろうと、テラスを西側の端まで歩き、やおら振り返った瞬間に襲ったのでした。

●角落しじゃないよ、コンクリ塊だよ!
継ぎ目一つなく、側壁との間にすき間も見られない、どこからどう眺めても恒久構築物。
仮締切なんて生やさしい雰囲気の毛ほども感じられない、完全閉塞を果たすべく築造されたモノであることを、瞬時に悟ったのであります。
●橋上から眺めたときの分厚さに、不審の念を抱くべきだったと、今さらながら後悔の念が襲ってくるのを、留めることができませんでした。
この壁、いつからあるんだろう‥‥。恐らく「別荘地ポンド構想」が挫折した時点と思われますが、その後ポンドが単なる「お庭の泉水」に姿を変えて竣工する間、すでに形を成していた閘門のみが長きに渡って、将来運用される希望もなく、完全閉塞のまま放置されてきたとすれば、あまりにも、あまりにも悲しすぎます。
●つい最近ですが、謎閘門について検索していたところ、「博多湾を散歩」というブログの一エントリーがヒットしました。
その文中に「蒲郡市のラグーナ蒲郡のラグーン閘門(私が設計担当しました)」というくだりが。
嗚呼!
●真偽は未確認ですが、本当にこの方が設計者であれば、閘門への仕打ちを知らないはずはないでしょうから、さぞ無念だったことと思います。
普段の自分なら、ぜひ詳しいお話を伺おうと欲を出すところが、今回に限って、まったくその気が起きませんでした。現地に立って現状をつぶさにすれば、ここに至ったいきさつは察することができましたし、何より、こんなにもの悲しさが漂う閘門は初めてで、胸が一杯になってしまったからです。
(30年9月23日撮影)
(『ラグーナテンボスの謎閘門…2』につづく)

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蒲郡市のあたりを西から流していたとき、駅でいうと三河大塚の近くに、造成中の埋立地のような場所が目に留まりました。湾入には大規模なマリーナがあったので、興味を覚えて拡大してみたところ、マリーナは一瞬にして忘れ去られ、むしろその東にあったものに目線がひゅっと音を立てて吸い寄せられたのであります!

●ホンモノのGoogleマップで謎閘門を表示
●こここ閘門じゃないか? しかもマイタゲート!
国内では極めて珍しい双閘、つまり二組の閘門が並列して設けられたタイプであるらしいことも手伝い、まあ興奮したの何の! いうまでもなく、脳内は妄想ダダ流し状態に。
●左端、扉体の前に白い一本棒が見えるのは、建造中のため角落しをはめて、外の水が入らないよう閉塞しているのだろう、北側(上)の閘室は扉体が未設みたいだが、これも同様これから取り付けるに違いない、左の扉室はゲートが背中合わせに二組あるけれど、右の扉室が一組なのは、左端のゲートが閘門のそれでなく、単なる防潮ゲートだからじゃないか‥‥など、など。
写真から得られる情報をちゅうちゅう摂取すればするほど、脳内物質が分泌されテンションは上がる一方で、留まるところを知りません。

●ホンモノのGoogleマップでラグーナテンボス東側を表示
●閘門で出入りする水面は、横倒しにしたUの字を変形させたような屈曲水路で、ごく短いもの。閘門に気づいた時点でのGoogleマップは、水路は開鑿中で水も張られておらず、一面土色の写真が掲載されていましたが、上に掲げたものはすでに水が入り、護岸も施され一応の形は整えられたように見えますね。
●検索してゆくうち、この辺り一帯はどうやらラグーナテンボスと呼ばれる、リゾート施設の集まりらしいことがわかりました。とりあえずこの閘門を、「ラグーナテンボスの謎閘門」と仮称しておくことに。
しかし、たったこれだけの水面のために、なぜ双閘が必要だったのか、曲がりくねった水路の用途は何なのかなど、眺めているだけでも謎だらけ。私的ながら、「謎閘門」の名を進上したゆえんであります。

●ホンモノのGoogleストリートビューでラグーナゲートブリッジ上からの眺望を表示
●Googleマップではままあることではありますが、ストリートビューで閘室をまたぐ橋の上に降りてみると、荒涼たる土色の風景はすっかり失せ、更地ではあるものの緑の多い、ひととおりの整地を終えた新開地の景色が広がりました。
ちなみに閘門のことを検索していたら「最優秀賞 ラグーナゲートブリッジ」という記事がヒット、この橋の名前は「ラグーナゲートブリッジ」と判明。
●2003年の土木学会デザイン賞を受賞したと知って、閘門も橋同様、少なくとも15年前からあったことを知り、驚かされました。上の写真を撮った時点で、水路に船影はおろか桟橋の一つも見えないとなれば、閘門が未だ供用されていない可能性が濃厚ですね。
wikipedia「ラグーナテンボス」によると、平成初期から始まったリゾート開発は当初の目論見通りにゆかず、紆余曲折を経て主にトヨタ自動車の支援の元、現在の形に至っているようですが、この水路について触れられた唯一のくだりに、こうありました。
「埋立地内に人工的な水路を作り個別(註:『戸建』の誤りと思われます)別荘を建設しボート等で移動できるようにする予定であるとしているが、2015年2月現在、整備されていない」
●ははあ‥‥。恐らく、別荘一軒宛に繋留施設を備えたものが、水路沿岸に並ぶ構想だったのだろう、と想像できました。いわばポンドだったのですね。とすると閘門は、干満に関わらず、水深を一定させるための役割を担ったものと見てよいように思えました。貯木場にかつてあった閘門と、同じ伝ですね。ゲートの向きからして、内水側を常時高い水位に保つ構想だったのでしょう。
国内初の試みともいえる、純粋にレジャー目的の閘門付きポンド! これだけの舟航施設を造り上げながら頓挫してしまったとは、何とも言葉がありませんが、ストリートビューでは閘門の姿をうかがうことはできず、現状を観察することができません。
●試験通航くらいはしたにせよ、実際にプレジャーボートやヨットを迎えて稼働することもなく、15年を過ごしてしまった新造閘門‥‥。構想が華やかだったことも手伝い、そのいわくいいがたいもの悲しさに、強く、強く心をわしづかまれたのであります。ぜひ現地におもむいて、この目で見てみたい思いが、日に日につのるのを抑えられなくなるほどに。
得られる情報は少なく、いくつかの記述から類推するしかない状態が続いていたものの、この時点ですでに、細かいことは正直、どうでもよくなってきていました。謎は謎のまま、「謎閘門」でいい。ただただ、訪ねてみたい気持ちのみが肥大して、いてもたってもいられなくなっていたのです。

●‥‥というわけで昨日23日午前、ようやく機会を得て、ラグーナゲートブリッジの橋詰に立つことができました。舟航可能な桁下高を得るために、道路の勾配は結構なもので、ここから眺めると丘に登ってゆくようです。
練習コースにでもなっているのか、スポーツサイクルに乗った人達が頻繁に走り去ってゆくのが見られました。あいにく雲が多いですが、微風で少し蒸し暑い中、雑草の目立つ歩道を鼻息荒く登って、謎閘門との初邂逅を目指します。

●橋の中央から東側、ポンドのある方を見下ろしてみました。想いを募らせた謎閘門との初お目見え、まずは撤去や埋戻しもされず、Googleマップの写真そのまま存在してくれていたことに安堵して、大きく息をつきました。
写真左、北側の閘室が、バイパス装置まで設備されながらゲートの設置に至っておらず、未完状態なのもGoogleマップで見たとおり。右奥は地図によると、「トヨタグループ蒲郡研修所」とのこと。こちらは別荘地構想が頓挫してから建設されたのでしょう、この研修所の地所をのぞいて、水際は護岸のみの施工で、法面も何ら加工がなく、草ぼうぼうのままです。

●さっそく閘室近くに降りようとしたものの、法面はほとんど分厚く蔦で覆われて、接近は難しそう。とりあえずズームでたぐり、気になる南側閘室のゲート周りを撮影。
周囲より一段下がったフラットに、露出状態で油圧の扉体駆動装置が置かれていました。埋設にしないのは、整備性を考えたためでしょうか。
見たかぎり、セルフ運転のための諸機器はないようでしたが、左端、戸溝の右に見えるボックス、上下に開いたスリットのような開口がありますね。わざわざ張り出して設けてあることから、レバーでも差し込んで操作する何かだったのかも、と妄想させるものが。

●北側閘室の未設ゲート周り。駆動装置が載るはずだったスペースは、鉄筋が突き出したまま空所となっているのがわかります。
北側閘室、実は通水用の開渠で閘室ではないという、道頓堀川閘門のパターンもあり得ると思っていたので、バイパス装置の存在とともに、これで閘室であることが確認ができました。やはり双閘として造られたと思って、間違いなさそうですね。

●南側閘室の北側側壁に、写真のような機器類が。一番上の横長の箱が電光掲示板、二段目が左からブザーかチャイムのホーン、スピーカー、2灯式信号でしょう。メッキの柵にきれいにまとめられ、質素ですが無骨さはなくスマートな感じで、リゾート施設として外観に気遣いがあったことを感じさせます。
気になったのは、右のポール上にあった、青ランプ付きのボックス。「舫完了スイッチ」なる表記があって、側面にはブザーか何からしい、細かい穴の開いたパネルも。用途が想像しにくいのですが、通航艇上から操作するつくりにはなっていませんから、少なくとも、そばで監視している係員のためのものでしょう。

●南側閘室ゲート、先ほどのものと対の北側の扉体をアップで。初見したときから、径間にくらべて扉体の幅が短く、また端面が斜めに落とされていないように見えて、「ちゃんと斜接するのかな?」と疑問に思えていました。拡大して眺めてみると、う~ん、やはり直角に近いような‥‥。端面には、水密材の黒いゴムが突き出ているのが見えましたが、あれだけで大丈夫なのかしら。
なお、午前中は雲が厚く、光量不足でいま一つだったため、雲が切れて晴れた午後、帰路に再度訪ねて撮りなおしました。陽が射しているのは午後に撮ったものです。以下お断りせずに使わせていただきます。

●二つの閘室を分かつ背割堤(?)の東端の様子。監視カメラと信号、その下の箱はスピーカーでしょうか。北側閘室には設備されておらず、南側に向いたもののみです。
往復を二つの閘門で分離し、それぞれ一方通行で用いるとすれば、信号は点対象の配置になるはずだから、片方のみの設備なのかな? と思っていたら、少なくとも南側は東西とも設けられていました。小賢しい勘繰りだったようです。

●いよいよ西側のゲートを検分に及ぼうと、道路を渡って橋上から乗り出しました。湾入の対岸は遊園地「ラグナシア」と、アウトレット「フェスティバルマーケット」。東側より格段にディテールが豊かなだけに、興奮の度合いも桁違いです。ポンド側が高水位とすれば、こちらが後扉室になるのでしょう。
分厚い角落し、防潮用の背の高いマイタゲートが両閘室とも備えられている点は、Googleマップで見たとおり。生で目にしてわかったことが二つ。写真左、南側閘室のゲート天端に、扉体の規模からすれば大き過ぎるような、手すり付き通路が設けられていたこと、それに北側閘室は、ゲート未設のまま、同様の通路が橋渡しされていたことです。

●南側閘室、後扉室のアップ。背後の防潮ゲート、後扉室ゲートとも表裏にスキンプレートを持つ、シェル式(でいいのかな?)のようですが、手前の後扉室ゲートの傷みがずいぶん激しいですね。
うかつなことではあったのですが、特に気になっていた西側ゲート周りを確認できたことで、興奮のあまり肝心なことが目に入っていませんでした。その報いは後で、大きなショックとなって襲ってくることになります。

●せっかく来たのだから、橋上から見下ろすだけでなく、何とか水際に降りて閘門を堪能したいもの。両橋詰附近をだいぶうろうろしたものの、こんもり繁った蔦で阻まれたり、水を湛えた溝があったりして、なかなかルートが見つかりません。
探索の結果、ようやく南詰の西に、法面を降りる階段を発見。「シーサイドウォーク シャトルボートのりば」という小さい看板が立てられていましたが、手入れがさていないのか草ぼうぼうで、近づかなければわかりませんでした。

●高い柵越しながら、ようやく後扉室ゲートとお近づきに。間近にして、ゲート上通路の大げさかつ堅牢そうなさまに、二度びっくりです。パッと見、「これでゲートが開閉できるのか? 工事中断後に後付けされたのかな?」と思ったほどでした。
周囲の柵のめぐらせ方、未成の北側閘室に、同じつくりの橋を渡してしまったあたりから察して、この通路は係員だけでなく、一般の通行も考えられていたのかもしれません。ここが通れればいちいち高い橋を渡らずとも、水際のテラスを行き来できるわけです。もしそうだったとしたら、楽しいお散歩道になったことでしょうね! マイタゲートの上を普通に歩けるところなど、そうそうありませんから。

●後扉室ゲートの中央をアップで。よく見てみたら、扉体表面のこれ、スキンプレートじゃないですよ。縦の構造から3つづつベロを出し、四角い鋼板を一枚一枚ボルト留めしただけで、すき間があって水が出入りする造りじゃないですか。シェル式ゲートではないですね、お詫びして訂正します。
いわば単なるカバーで、だとすれば水圧を受けるスキンプレートは、背面にあるということになります。背後の防潮ゲートが同様の設計だとすれば、フラットで傷みが少ないように見えるのが、納得できました。
●もう一つ、扉体同士の水密ですが、のぞき込んでみると、端面から突き出したゴムの水密材が、凸同士で噛み合っているように思えたのです。過去に見てきたマイタゲートのように、端部の一面に張った木製の水密材で、べったりと面接触している方式とは、どうやら異なるやり方のようでした。

●こちらにもひと揃え備えられていた、通航艇向けの機器類。ちなみに「舫完了スイッチ」ですが、写真のように側壁の凹部に沿わせて、壁から浮かせる形で設けられたポールと一体になっており、このセットがズラリと、5組並んでいることがわかりました。
ポールは明らかに、通航艇がもやいを「行って来い」で通して繋留し、水位が変動してもロープを通したまま、艇を固定しておけるようにするためのもの。
とすると、もやいをポールに回した時点で青ランプがつき、ちょうど電車のドア灯のように、複数の通航艇の安全を確認できる装置なのでしょうか。自艇他艇を問わず、私が通航した閘門では見たことがありませんでしたが、どこか設備しているところはあるのでしょうか。
●あと、左手に見える、恐らくフェンダー一体構造と思われるハシゴ、すごく気に入りました! ツライチにされていないステンや鉄製のハシゴの場合、接舷時に艇を傷つけないよう、ずいぶん気を遣いますから、東京の各閘門も、コレに替えてくれれば助かるのですが!
●‥‥さて。先ほど触れた大きなショックですが、閘室内を堪能して、そろそろ角落しの閉塞状況でも眺めてやろうと、テラスを西側の端まで歩き、やおら振り返った瞬間に襲ったのでした。

●角落しじゃないよ、コンクリ塊だよ!
継ぎ目一つなく、側壁との間にすき間も見られない、どこからどう眺めても恒久構築物。
仮締切なんて生やさしい雰囲気の毛ほども感じられない、完全閉塞を果たすべく築造されたモノであることを、瞬時に悟ったのであります。
●橋上から眺めたときの分厚さに、不審の念を抱くべきだったと、今さらながら後悔の念が襲ってくるのを、留めることができませんでした。
この壁、いつからあるんだろう‥‥。恐らく「別荘地ポンド構想」が挫折した時点と思われますが、その後ポンドが単なる「お庭の泉水」に姿を変えて竣工する間、すでに形を成していた閘門のみが長きに渡って、将来運用される希望もなく、完全閉塞のまま放置されてきたとすれば、あまりにも、あまりにも悲しすぎます。
●つい最近ですが、謎閘門について検索していたところ、「博多湾を散歩」というブログの一エントリーがヒットしました。
その文中に「蒲郡市のラグーナ蒲郡のラグーン閘門(私が設計担当しました)」というくだりが。
嗚呼!
●真偽は未確認ですが、本当にこの方が設計者であれば、閘門への仕打ちを知らないはずはないでしょうから、さぞ無念だったことと思います。
普段の自分なら、ぜひ詳しいお話を伺おうと欲を出すところが、今回に限って、まったくその気が起きませんでした。現地に立って現状をつぶさにすれば、ここに至ったいきさつは察することができましたし、何より、こんなにもの悲しさが漂う閘門は初めてで、胸が一杯になってしまったからです。
(30年9月23日撮影)
(『ラグーナテンボスの謎閘門…2』につづく)

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