7月22日の多摩川水門めぐり…5
(『7月22日の多摩川水門めぐり…4』のつづき)

●最奥部近くまで進んで、気になる大師線の鈑桁橋を見てみました。線路の位置からして、中路式でしょうか。送電鉄塔を兼ねていた架線柱、切断されて短くなったんだ。あっ、右端に何か白いペンキで書いてありますね。きっと塗装の記録でしょう。あれが読めれば、何かわかるかもしれません。
ズームでたぐってみると‥‥フェンス越しなので、何枚か撮ったもののピンボケになってしまいましたが、何とか読めますね。「運河橋梁」! そのものズバリの名前であることが判明。埋め立てられる前は、この下を独航艀がくぐったこともあったのでしょうか。

●右側、西岸はご覧のとおり、宇部のコンクリートプラントがあって、建材である砂を積み下ろす荷揚場になっていました(過去ログ『河港水門…2』)。‥‥が、今回見てみると、写真左にあったはずの荷役用のグラブ付きクレーンは姿を消しており、活気がありません。
●囲壁の中にてんこ盛りになっていた砂も、きれいに消え失せていました。う~ん。これは恐らく、建材の艀輸送は廃止されたのでしょうね。
私がご無沙汰している間に、実用運河としては、すでに終止符を打ってしまっていたわけか‥‥。残念ですが、澪筋をたどっていたあの独航艀の姿も、もう目にすることができなくなったようです。

●最奥部から河港水門を眺めて。古びたフェンダーが連なるコンクリートの岸壁、無骨な管橋と、ディテールはまさに工業地帯の匂いそのものながら、物流の路としての使命は終えたであろう水面。
大運河構想は潰えても、ささやかながら建材の荷揚場として活用される様子に、どこか救いに近いものを見出していたのですが‥‥。また一つ、河川舟運の終焉を目の当たりにして、何とも寂しい気持ちになったのでした。
(30年7月22日撮影)
(『7月22日の多摩川水門めぐり…6』につづく)

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ズームでたぐってみると‥‥フェンス越しなので、何枚か撮ったもののピンボケになってしまいましたが、何とか読めますね。「運河橋梁」! そのものズバリの名前であることが判明。埋め立てられる前は、この下を独航艀がくぐったこともあったのでしょうか。

●右側、西岸はご覧のとおり、宇部のコンクリートプラントがあって、建材である砂を積み下ろす荷揚場になっていました(過去ログ『河港水門…2』)。‥‥が、今回見てみると、写真左にあったはずの荷役用のグラブ付きクレーンは姿を消しており、活気がありません。

私がご無沙汰している間に、実用運河としては、すでに終止符を打ってしまっていたわけか‥‥。残念ですが、澪筋をたどっていたあの独航艀の姿も、もう目にすることができなくなったようです。

●最奥部から河港水門を眺めて。古びたフェンダーが連なるコンクリートの岸壁、無骨な管橋と、ディテールはまさに工業地帯の匂いそのものながら、物流の路としての使命は終えたであろう水面。
大運河構想は潰えても、ささやかながら建材の荷揚場として活用される様子に、どこか救いに近いものを見出していたのですが‥‥。また一つ、河川舟運の終焉を目の当たりにして、何とも寂しい気持ちになったのでした。
(30年7月22日撮影)
(『7月22日の多摩川水門めぐり…6』につづく)

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タグ : 河港水門