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通運丸の複製錦絵から始まる興味深いあれこれ

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上に掲げた絵については、ご存知の方も多いでしょう。川蒸気船・通運丸を題材にした錦絵としては代表的なもので、タイトルは「東京兩國通運會社川蒸氣往復盛栄真景之圖」、明治10年代に野澤定吉という人が描いた多色刷り版画です。

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高い煙突から煙をなびかせて、大川を航走する通運丸が見事に描かれているのもさることながら、それを眺めようと両国橋(木造洋式橋の時代です)を埋める群衆、乗船客で賑わう汽船原発場の様子や、河岸にたたずむ人々の風俗まで、見るものをぐいぐいと惹きつけずにはおかない、躍動感と楽しさにあふれた錦絵です。産業系の錦絵の中でも、傑作の部類に入るのではないでしょうか。

もっともこれは本物ではなく、後世複製されたもの。出品された方からも、あらかじめ「印刷による複製品です」とのことわりがありました。なぜ印刷してまで複製品が作られたのか、ちょっと気になるところではありましたが、さておき、たとえ複製品であろうと、書籍や図録で繰り返し目にした、あこがれの錦絵であることには変わりありません。

むしろ、扱いも慎重にならざるを得ない本物より、複製の方が気楽ではあること、間口800㎜に近いという3枚組の大作である本物にくらべて、複製のサイズが天地230㎜×左右450㎜と縮小されており、部屋に飾るにはちょうどよい大きさであることから、我が家に迎えることになったのでした。

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入手直後の状態です。ご覧のとおり額縁は台紙を含め汚れがはなはだしく、木枠も破損していて、あまりよい環境になかったことが想像されました。破損のあるなしにかかわらず、額縁は新しくしようと思っていたものの、中身の絵は大丈夫かなと心配していたら、幸い絵には汚れが及んでおらず、胸をなでおろしたものです。

絵をそろそろと取り出し、新しい額縁に入れて玄関に飾ったところが、一枚目に掲げた写真というわけ。刷色の褪色もなく、鮮やかな色遣いが出かける前、帰宅直後の目を楽しませてくれています。

さて、入手前から気になっていたのが、この錦絵が複製されたいきさつでした。状態からして50年以上は経っていそうな、相当古いものですから、単に複写・印刷するだけでも相当な人出と手間がかかるでしょう。

例えば日本通運なりが企画して、何かの記念に配布したものでもないかぎり、とても個人の手には負えない品であることは明らか。現物を検分すれば、何か手掛かりが得られるだろうと期待していたら、さっそく額縁の裏に貼り付けられた、こんな紙(下写真)が目に留まりました。タイトルは「THE TSŪUNMARU, A RIVER STEAMER」とそのものズバリ。

220_003.jpg英文を拾い読みすると、陸運元会社から日本通運に至るまでのいきさつから、利根川水系の河川舟運、そして通運丸就航成った錦絵の説明と、結構な長文です。

発行者や発行年が載っていないのは、いかにも惜しい感じがしますが、ここまで書いてあれば、少なくとも何かの記念品として、配布されたものと考えるのが自然でしょう。題材が題材だけに、日本通運やその関連企業の他に、この錦絵を複製してまで配る動機のあるところは、考えづらいように思われました。

他は額縁店の銘板くらいで、手がかりになるものはこの英文のみでしたから、日通といえばやはり物流博物館と、いつもお世話になっている玉井幹司氏に写真をご覧に入れて、ご鑑定をお願いしてみることに。

玉井氏によれば、物流博物館も同じ錦絵の複製品を所蔵しており、日通が何らかの関わりを持った品であることは推測できるものの、記録がなく詳細はわからないとのことでした。

う~ん、残念。しかしその後、「通運丸の錦絵の複製といえば、こんな話があるんですよ」と、お話し下さった内容にびっくり!

通運丸の錦絵、版木から発注して原寸で完全復刻されたものもあるとのこと! その偉業を成し遂げたのは、戦前からの日通社員で、戦後は荷役研究所長として活躍された平原直氏という方だそう。

えええ、刷本から撮影して複写したとかでなく、ホンモノの版画をイチから作られた方がおられたとは! 平原直氏という方の情熱は、一方ならぬものがありますね。

入手した複製錦絵からは離れますが、平原氏と複製錦絵に、がぜん興味が湧いてきました。以下は玉井氏のご教示と、拝読させていただいた雑誌「荷役と機械」(この月刊誌も平原氏が発行されていたとのこと)1982年4月号、平原氏の連載「荷役一筋の道 その39 恩義に感じて通運資料を残らず寄贈」からまとめたものです。

日通退職後、通運関連の史料を熱心に蒐集していた平原氏、あるとき2枚の古い版画を入手しました。一つは「東京名所之内新𣘺ステンシヨン蒸滊車鉄道圖」、もう一つがお題の「東京兩國通運會社川蒸氣往復盛栄真景之圖」、いずれも三枚組の大作。これらが大変希少な版画であることを知り、焼失や散逸で後世に伝わらなくなってはことと、復刻再版を決意。

平原氏は日通の総務部へ掛け合い、社としての復刻を打診したものの却下され、それではと意地になって自費で版画としての復刻を進め、まずは「新𣘺ステンシヨン」から、当時(年代は言及なし、恐らく昭和20年代中盤)で10万の大枚を費やして成ったものの、資金的に行き詰って困窮することに。

ここで助け舟を出したのが、当時関東地区通運協会の会長を務められていた高木堅氏。会員会社創立十周年の記念品として贈呈したい、ついては「新𣘺ステンシヨン」だけでなく、「兩國通運會社」もともに復刻してほしいとのご注文(言及はありませんでしたが、復刻の経費は通運協会で出資したのでしょう)。ここに2点の復刻版画は日の目を見、かつ複製の配布により後世に伝えるという、当初の目的を達したのでした。

ちなみに復刻版画が配布された「関東地区統合通運会社創立十周年記念会」は、昭和28年10月15日に開催されたそう。なお2点の版木は、平原氏が蒐集した原画とともに、昭和31年に日通本社へ寄贈し、「通運史料室」に保管されたとのこと。この史料室の後身こそ、現在の物流博物館であることはいうまでもありません。

220_005.jpgこのお話で、平原氏の情熱はむしろ「新𣘺ステンシヨン」に注がれており、「兩國通運會社」は高木堅氏の依頼によって復刻成ったことがわかったわけですが、ここでアッ、と思い出されたことがありました。

私の書棚に「日通二十年」と題した、昭和33年に発行(? 奥付なし、掲載の統計などが32年度まであることから)された日通の記念冊子があるのですが、この2つの版画、確かこの本に三つ折り引き出し口絵として、掲載されていたぞ!


220_008.jpgあった! 刷色は鮮やか、描線もくっきりで、少なくとも原画をそのまま刷本撮りし、複写掲載したものでないように思えます。ルーペで見たところ、アミ点でなくすべての刷色がベタの多色刷りという贅沢さ。まさかこれも、復刻版画なのかしら?

異様に思えたのは、2枚とも引き出し口絵という大きな扱いをしているにもかかわらず、キャプションや本文での言及も一切なく、目次にすら掲載されていないことでした。発行年から、平原氏の復刻活動との関連を思わせたものの、説明がなくては、残念ながら確たることは申せません。

ちなみに、私が入手した複製版画、もしかしてこの「日通二十年」掲載のものと、同じ版下から起こしたのかしらと期待したところ、絵柄の違いが各所に認められ、少なくとも同一の版下ではないことがわかりました。

特にわかりやすい点を一つ挙げるとすれば、手前の通運丸の外輪カバー表面に書かれた船名の「丸」が、複製版画では「九」の右縦棒にチョンが付いている形で、「日通二十年」では普通の「丸」になっていることでしょう。原画では、ここはちょうど紙の継ぎ目になっており、文字が判然としないことから、どちらかが間違えて模写した可能性があります。

そうそう、「新𣘺ステンシヨン」について一つつけ加えておくと、手前の貨車の前で働いている人物のうち、こちらに背を向けた2人の法被に、「EE通EE」の紋が染め抜かれています。よく注意して眺めないと、見過ごしてしまうくらいの細かい描写ではありますよね。

平原氏がこの版画に、通運関連の史料として特に情熱を注がれたのは、荷役描写のある錦絵であることはもとより、おそらくこの「マルツー法被」にあるのかもしれないなあ‥‥と、きびきびと立ち働く彼らを見て思ったことでした。

玉井氏のお話では、この「日通二十年」掲載の2点も掲載の経緯については資料が残っておらず、やはり詳しいことはわからないとのこと。

ただ、創立20周年に当る昭和32年は、社を挙げて関連史料収集に力を入れた時期であり、物流博物館の前身「通運史料室」も昭和33年に開室、二つの版画が展示されている様子も、開室当時の記録映像に見られるそうです。平原氏の献身的な蒐集・復刻活動が、史料室の充実に力あったことは容易に想像できるところではあります。

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というわけで、私の入手した複製錦絵については謎が残ったものの、かえって日通OBの情熱の賜物ともいえる逸品が、世に存在することを知ることができて、川蒸気および通運丸愛好者としては、ご縁(?)に手を合わせたくなるようなお話でありました。ご教示、資料のお世話をいただいた玉井幹司氏、物流博物館の皆様に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

むしろ手元にあるこれらについては、ほぼ謎ばかりといっていいのがもどかしいですが、いずれそちらも解明されるような資料のご縁があることを願って(他力本願だな)。日々錦絵の通運丸を、嬉しく愛でながら過ごしたいと思います。

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(帝都交通機關)巡航船(両國橋附近)
宛名・通信欄比率2:1、明治40年4月~大正7年3月の発行。


だいぶ時代は下りますが、錦絵にも描かれた汽船原発場を写した絵葉書があったので、この機会にご紹介しましょう。左奥に遠望される新大橋は、明治45年竣工の先代橋ですので、撮影時期は少なくともそれ以降ということになります。

となれば、開業からすでに35年以上を経、もの珍しさはとうの昔に失せて、川景色の一部といってもいい過ぎでなくなったころ。

それでも、尖塔の装飾を施した桟橋の屋根は、明治のハイカラを感じさせますし、煙突を連ねてもやう3隻の通運丸のボリュームは、長距離河川航路のターミナルの貫録十分。舷側に大きく張り出した外輪カバーや回廊、船首のブルワークに横たえた2基のストックアンカーと、ディテールが鮮明なのも嬉しくなりますね。

こちらに微速で向かってくる、発動機船らしい小艇の素性が気になりますが、一銭蒸気にしては収容力に不足がありそうなので、通船でしょうか。

ともあれ、すでに盛りの時期は過ぎ去りながらも、まだまだ元気だったころの川蒸気たちを髣髴させて余りある一枚といえます。

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タグ : 通運丸 川蒸気船 隅田川 絵葉書・古写真