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走る通運丸、二題

通運丸の航行するシーンをとらえた絵葉書を、2枚選んでみました。いずれも遠景で、船単体のディテールを観察するには少し難がありますが、川蒸気が生き生きと躍動していたころの雰囲気を味わうには、十分過ぎる情報量が写し込まれています。

再現性の高いコロタイプならではの特徴を生かして、要所を拡大しディテールを愛でてみましょう。なお、煙突の白線が1本であることから、3隻とも通運丸船隊のどれかと判断しました。

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水郷趣味 大船小舟の往來
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。


おそらく常陸利根川北岸から、ポプラが点在する十六島を望んだ、フネブネのゆきかう川景色。帆船は見たかぎり9反帆で、微風を受けて右手、霞ヶ浦方へ上航していますが、船体が黒くつぶれており船種はわかりません。

絵柄の中心に据えられた通運丸は、外輪後端から派手に水しぶきを上げ、すでに結構な速度に達しているようです。撮影地が潮来だとすれば、桟橋を離れて間もない瞬間を撮ったのでしょう。これから鹿島の大船津へ向かうのでしょうか。拡大してみましょう。

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外輪カバーに書かれた船名の上にあるはずの、番号が判読できず個体を特定できないのがもどかしいところですが、威風堂々の航進ぶりがよい角度でとらえられていて、心躍るものが。船首尾から船体中心に向かって、凹んだ形にゆるく反った甲板のラインもよくわかります。

屋根上には3人の人影が見え、船首寄りの一人は長大な竿を持っているようです。離岸直後の撮影であれば、解䌫後にこの竿で桟橋を突いて、船首を沖へ向ける作業をしたことでしょう。煙突からの煙が全く出ていませんが、修正されたのか、それとも燃焼状態が極めてよいからでしょうか。

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潮來の風趣 北利根川より稻荷山公園を望む(敬文館發行)
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。


潮来の写真というと、水際に接して建つ大きな旅館を写したものが思い出されますが、これは背後の稲荷山(だとすれば、ですよ)の位置からして、それより西を撮ったものでしょうか。桟橋と水駅らしい建物を挟んで、外輪と暗車、2隻のタイプが異なる通運丸が写っているという、珍しいものです。

桟橋状には多くの人影が見られ、その左、軒下には俵らしい荷が山積みされて、人荷ともに集散が盛んなことが見て取れ、航路の賑わいが感じられてよいものですね。何しろ、左の外輪船ときたら‥‥。

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屋根の上に人があふれかえっている!

座っているのはまだましで、立っている人も結構いますね。船室横と後ろの回廊にも、大荷物をはみ出させているのが見え、中も恐らくぎゅう詰めなのが想像できます。和装でカンカン帽をかむった人が多いのも、時代を感じさせますね。

面白いのは、外輪より後ろに人が集中しているせいでしょう、船首の喫水がすっかり上がって、アップトリムになっていること。そういえば、船体も心なしか人の重みで、船尾が逆に反っているようにも見えます。お祭りでもあった後なのか、日常の光景だったのかはわかりませんが、川蒸気ファンとしては思わず目尻が下がるような、ほほえましい写真ではないですか。

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右の通運丸はもやった状態で、罐の火も落としているようですね。暗車だけに舷側がフラットなことから、外輪より幾分スマートな印象を受けます。船体が手前側に傾いており、屋根の上には解いた荷らしきものや人影が見えることから、荷役中なのかもしれません。

前後の船室とも、いくつかの窓が開いている様子から、落とし込み式の窓であることが見て取れます。機械室側面の開口部から、しゃがんで中をのぞき込んでいる人物は上半身裸に見えますが、火夫でしょうか。

人声に満ちた河港の賑わいと、外輪が水をかく音が聞こえてくるような写真。日時や船体の詳細は分からなくとも、この時代の雰囲気を無心に楽しめる佳さがあるように思えます。川蒸気が元気だったころの、水運時代の素敵な川景色! これからも出会えるといいなあ。

【2月14日追記】
書棚の整理がついて、本が引っ張り出せるようになったので追記させていただきます。
2枚目の絵葉書「潮來の風趣‥‥」ですが、月刊「世界の艦船」の読者なら、「あっ、これ見たことあるぞ!」とお気づきになったことと思います。同誌第629集(2004年8月号)の51ページに、「珍しいツーショット発掘、潮来河岸の外輪船とスクリュー船」(所蔵:迫口充久氏)と題して、同じ原版から起こしたと思しき絵葉書が掲載されていたからです。以下、興味深い部分を抜き書きしてみましょう。

同記事のキャプションによれば、外輪船を「第七号通運丸」と断定しているのがまず印象的でした。ディテールの分析など、特に理由に触れていないということは、写真で判読できたということに他なりません。私の手持ちの絵葉書と違い、印刷が鮮明だったのでしょう。

また、北利根川(常陸利根川)が拡幅前であること、服装や河岸の様子から、撮影が明治末から大正初期と推定されることにきちんと言及しているあたり、さすが「世界の艦船」。文末ではさらなる分析を読者に向けて呼びかけていましたが、早くも第635集(2004年12月号)の読者交歓室欄で、長崎県の西口公章氏から投稿があったのです。

西口氏は「水郷汽船史」や各年代の「船名録」、「石川島重工108年史」、「船舶史稿 第17巻」を参考資料に、右にもやう暗車船を「第二十五号通運丸」か、「第二十六号通運丸」と推定され、また両船が内国通運より東京湾汽船に移籍した年代などから、写真の撮影年を、明治20年から22年の約3年の間であろうと絞り込まれていました(『川の上の近代』によれば、両船の移籍は明治24年より)。

西口氏の分析が正しいとすれば、裏面から推定される絵葉書の発行年代と、少なくとも30年近い隔たりがあることになります。同じ版を使った絵葉書が、信じられないほどのロングセラーとして重版をかけつつ販売されていたのか、それとも何かのきっかけで、昔の風景に商品価値が出てリバイバルされたのかはわかりませんが、この時代の絵葉書が決して近い過去ばかりを写した存在ではないことに、注意をしておく必要はあるかもしれません。

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タグ : 川蒸気船通運丸常陸利根川絵葉書・古写真水郷