魅惑と謎の相楽発電所閘門!
(『木曽三川公園展望タワーにて』のつづき)
●11月19日は四日市に泊まり、翌20日は関西本線大河原駅近くにある、木津川の相楽発電所閘門を訪ねました。
当時、台風21号の被害を受けた関西本線は、亀山~柘植間が不通。バスによる代行輸送はあったものの、後続列車に接続しておらず、頼みの列車も1時間に1本。たどりつくのに手間がかかりましたが、この閘門を自らの目で見たい一心で、万難を排して(大げさだな)おもむいたのであります。
通常なら、道々を含めおおむね時系列でお話するところですが、今回は閘門の観察にしぼって、1本の記事にまとめてみました。
【▼「続きを読む」をクリックしてご覧ください】
●この閘門を知ったそもそもから。昨年10月半ばのことです。ひょんなことから、オーリーエンタルのカレーェのMineko(@hydromi11)さんのツイートを拝見、下の写真とほぼ変わらない角度から撮ったものを目にして、まあ、飛び上がらんばかりに驚きました!

●おおお、ダムの閘門だ!
分厚い壁で三方を囲った閘室も、初めて見る珍しいタイプ!
●山深い谷間の小堰堤に設けられた、というロケーションも魅力をいや増すものがありましたが、表面を石組みにしたその重厚な姿に、いっぺんで惚れ込んでしまったのです。
興奮しつつも、一つ気になる点が出てきました。写真で見たかぎり、前扉室はマイタゲートであることがわかるけれど、後扉室はどうなっているんだろう? 出口がトンネルみたいにアーチになっているところを見ると、これはもしかして、国内の閘門ゲートでは極めて珍しい、天地左右の四方に戸当たりのあるゲートではあるまいか?
●ご存知のように、マイタゲートであれローラーゲートであれ、扉体は通常、左右と下の三方に戸溝なりの水密部分があって、扉体にかかる水圧を躯体に伝えるとともに、扉体と密着して水が漏れないようになっています。
ダムなどでは珍しくない、四方で水密を保つ構造も、こと閘門、しかも国内のそれに於いては希少なもの。この閘門が本当にそうなのか、ゲート形式も含めて、ゼヒ確かめてみたい欲望が湧き上がりました。

●ホンモノのGoogleマップで相楽発電所を表示
●閘門のある堰堤は、相楽発電所の取水堰だそう。うひょひょと喜悦の声をあげながら、横っ跳びにGoogleマップで見てみました。相楽郡笠置町の木津川にある発電所で、関西本線の鉄橋がすぐ下流を通り、国道163号線も間近いとはいえ、舟航施設がある堰堤としては、かなりの山深さです。
ここでも前扉室のマイタゲートは写っていますが、後扉室、すなわち下流側は閘室の壁が影になり、やはりゲートは確認できません。う~ん、もどかしい!
●次に、その道の愛好家で訪ねられている方もおられるだろうと、より詳しい情報を求めて検索。特に参考になったのは以下の記事でした。他にも、国会図書館で1件だけウェブ公開されている文献があったのですが、これは最後に紹介しましょう。
・関西電力 相楽発電所 (水力ドットコム)
・京都府 相楽郡←記事中に「相楽発電所取水口設備」の項目あり(宮様の石橋)
・相楽発電所 (関西電力 京都府) (水力発電所とダムに行ったおはなし)
●なるほど、わずか3m余りという、低落差では恐らく国内一というあたりに、相楽発電所の魅力の一つがあるみたいですね。供用開始は昭和3年、風格のある外観から見ても、納得できます。
●当然ながら、閘門そのものについて触れたデータはなく、構造物としては目立つので皆さん写真に納めてはいるものの、閘門として認識されていない方もおられる様子。何分発電所やダムそのものに関心が向いているのですから、これは致し方ありません。
橋愛好家の「宮様の石橋」さんはその中で唯一、北岸の水際まで降りられて、後扉室のアーチに肉迫した写真を撮られており、その胆力に感服したものでした。
●ともあれ、一目惚れといってよいほどその姿とロケーションに惹かれ、少しでも早く目の当たりにしたい、という気持ちは募るばかり。
存在を知ってから約1ヶ月後という、自分としては破格のスピードで訪問成ったのは、ひとえにこの、相楽発電所閘門の魅力がなせるわざでありました。
●さて、11月20日の訪問当日にお話を戻しましょう。以下の写真もGoogleマップからお借りしたものですが、相楽発電所閘門が(何とか、どうやらといったレベルも含めて!)望める、撮影地点を示したものです。番号は私が訪ねたときの時系列で、写真の掲載順とは対応していません。

●参考までに閘門から各地点までの距離をメモしておくと、①の沈下橋まで実に約540m。③の量水塔下流の砂洲まででも約360m、関西本線鉄橋の橋脚横⑥が約180m。一番近い、発電所敷地内の④が約30mです。
他は地勢が険しすぎるか、発電所の立入禁止区域になっており、対岸(南側)も地図上は道がありましたが、当日は少なくとも車輌の進入ができないことがわかり、あきらめざるを得ませんでした。半日でも時間があり、藪を漕ぐ装備でもあれば、あるいはもう少し選択肢が増したかもしれません。
●結論を一つ先にいってしまえば、最も知りたかった後扉室ゲートを確認できる、東側からの視点が全く得られませんでした。
当然、始終もどかしさ、じれったさと切なさがないまぜになったような、むずがゆい気持ちを抱えながらカメラを構えたのですが、それでも百聞は一見に如かず。深山を洗う川面の空気を吸いながら、実物を目の当たりにした感動はやはり深く、来てよかったと心から思ったものでした。

●東からの視点が得難そうだと、出発前に見当がついている以上、西側‥‥下流からズームで思い切りたぐってのぞき込み、少しでも自分なりの素材を増やすしかあるまいと、沈下橋の北詰から踏み出しました。
台風21号の爪痕はまだ生々しく、高水敷も草や灌木が倒れて荒れ果て、歩を進めるのも時間がかかります。関西本線のトラスも素敵なのですが、心ははるかに望む閘門へ一直線。一枚、また一枚と撮りながら、量水塔右手の砂洲まで歩いてゆきました。

●数百mを隔ててとなれば、仕上がりも荒くなってしまうのは仕方がありません(腕が悪いだけかも)。それでも記録するごとに、ディテールが少しづつ自分のものになるような気がして、楽しいものです。
いや、見事な石張りの閘室、実見するとまた、重厚さがじかに伝わってくるようで、眼福眼福。鉄道のトンネルを思わせるような、要石付きのアーチもいいですねえ。
●量水塔のある砂洲先端、③からのぞいて、わかったことは二つ。閘室の側壁内が外壁同様石張りで、閘室幅はアーチのそれとほぼ同じくらいであること。閘室の上流側、前扉室のあたりに、やはり要石を備えた浅い円弧のアーチが見え、その下はさらに奥がありそうなこと。
前扉室のマイタゲートが見えず、正体不明のアーチがのぞけたのは驚きでした! 仮に、奥のアーチが階壁(水位差分を高めた扉体の敷居)を支えるのに必要な構造としても、その下にトンネル様の空間が黒く見えるのは、いったい何でしょう?

●あきらめ切れず、発電所を離れた後で、管理道路が関西本線をアンダーパスするあたりで岩場に出て、鉄橋の橋脚にからんだ砂洲⑥より撮ったもの。う~ん、閘室が半分しか見えない!
閘室のすぐ右は魚道、そのさらに右、水が浅く流れるスロープ状の設備は、筏通しでしょうか。

●足を流れに突っ込みそうになりながら、飛び石に伝って橋脚の向こうへ顔だけ出し、何とか腕を伸ばして撮ったのがこれ。
奥のアーチの壁面は濡れて、水が滴っているのがわかりました! この上には階壁とマイタゲートがある! しかし、アーチ下のトンネル部分は? なぜコンクリートで充填せず、トンネルにしておく必要があるのか? それは発電所の敷地内から閘門を見て、一つ思い当ることがありました。後で述べましょう。

●下流側、ほぼ真正面から見た閘門。スライドゲートらしい、上流側の堰柱が目立っていますね。
もちろん後付けか、元からあったにしても近年更新されたものと思いますが、ウェブ上で初見した当初はこのゲートを、増水時にマイタゲートを保護するために設けたのだろう、と推測していました。それがどうも誤りらしいとわかったのは、発電所の敷地内より閘門を観察してからです。先の「閘室内アーチ」ともつながってくるわけですが‥‥。まずは敷地内から見た閘門、三態を掲げてからにしましょう。

●上とこの下の2枚は、発電所建屋の西、④から撮ったもの。この壁の厚さ! 「肉厚」という言葉が具現化されたような、この頼もしさ! 他の閘門にはない魅力が、このどっしりした重量感を視覚させる造作にあることは、論を待ちますまいよ!

●ほぼ正横から。川面のところどころに顔を出す岩場が、堰堤の設置に適した、地盤の確かさを感じさせます。
しかし、ダム好きな方が堰堤にカメラを向けても、ここからでは閘門が視界のほとんどを占めてしまいますね。カサはもとより外観もインパクトがあるので、閘門と認識されていない向きは、困惑された方もおられるようです。本体より舟航施設の方が目立つ堰堤! ここにも相楽発電所閘門特有の、どこかユーモラスな面白さがあるように思えます。

●発電所建屋の東側、⑤から。ここは下の写真でわかるように、厳重かつ背の高い柵があり、そのすき間に何とかカメラを差し込んで撮りました。
どうも微妙な角度で、あと少し高さがあり、また閘門の軸線に近ければ、後扉室ゲートの様子がわかったのですが‥‥。しまった、安物でよいからカメラ付きドローンを買ってくるべきだった! と大いに後悔したものの、後の祭り。いや、それ以前に飛ばしてはいけない場所なのかも‥‥。

●ここで一つ、嬉しい発見がありました。上で触れたとおり、発電所建屋の東側は、手すりのみで眺望のよい西側と異なり、目の細かく背の高い柵が設けられて、堰堤の観察にはあまり具合のよい状態ではありません。
柵のすぐ外側に通路があるので、きっと過去には釣り人さんなどの出入りなど、何か問題があったのでしょう。発見とは、この柵に掲げられていた看板の一つでした。

●何枚ものたたみかけてくる注意喚起の看板に、一枚だけ図のみのものが。近づいてよく見ると、発電所一帯の平面図でした。赤く塗った範囲で、立入禁止区域を示しているのです。
図によれば、管理用道路は立入禁止でないようだ‥‥と、ホッとしたのもつかの間。エッ!と目を皿にして、二度見することになりました。
この図、閘門の部分だけ妙に詳しくないか?

●マイタゲート、戸袋の凹みもちゃんと描いてあるし(その左右の二重線が謎ですが)、何より①、②の矢印の先にあるように、注排水用バイパス管と思しき描写まで! 本来見えないはずのものまで描いてあるということは、何か公式の図面を流用したものなのかしら?
●しかし同時に、いくつか首をかしげるというか、残念な点があることにも気づかされました。まず①のバイパス管らしき部分、②とくらべると、途中で線が切れていたりして、右側がはっきりしません。何より、③の後扉室ゲートの型式が判然としないのは、実にもどかしい思いでした。
図を素直に読めば、マイタゲートなら右手に出てくるはずの、三角形に出っ張った戸当たりが描かれておらず、直線であることから、別のゲート形式だと想像できそう‥‥というくらいでしょうか。マイタゲートなら前扉室同様の描写になるだろうし、右の隅が上下とも、角を落としたような描き方になっているのも気になります。もしかしたら、上端ヒンジフラップゲート(『福地運河の水門…4』参照)なのでしょうか?

●閘室のディテールというか諸設備を、上流側から見てみましょう。まずこの、スライドゲートと思しき堰柱その他から。
手前、ゲート下流側に管理橋が渡されているので、この桁下がクリアできる舟しか通航できないのがわかります。まあ、後扉室のアーチも高さはそうないので、小舟ならこれで十分なのでしょう。

●巻上機架台上には電線が渡っており、電灯と操作盤らしきボックスも見えます。遠隔操作ができるかどうかはさておき、モーターライズされていますね。
手すりには注意喚起の看板とともに、先ほど見た図と同じものも掲げられています。下の写真のように上流側も「あぶない近寄るな!」と、ずいぶん念が入っていますね。それもそのはず、木津川のこのあたり、実はカヤックが盛んで、堰堤の上下流ともショップがあり、一般のツアーも受け付けているほど。発電所を管理する側としても、神経質にならざるを得ない事情があるのでしょう。

●スライドゲート周りをよっく観察して、気づいたことが二つ。一つは扉体が完全に水没して、水面上には見えないこと。もう一つは、扉体を上下するスピンドル軸の軸受け。堰柱の横梁内側に黒いパーツが突き出て、上下に貫く軸を支えているあれですが、下の横梁にもあるんですよ。つまり、軸受けから上には、扉体は上がらない。閘室側壁の床面くらいまでしか、扉体の上端が上がらないということです。
先に触れたように、この時点で、マイタゲートの保護のためという推測は、外れだとわかりました。代わりに思い当ったのが、閘室奥に見えた「トンネル」のこと。あのトンネルの奥にあるのが、この沈んだ扉体だとしたら、しっくりくるように思えたのです!
●では一体、「トンネル」と扉体はどんな役目をしているのか? 閘室に注水する、バイパス装置として考えられなくもありませんが、あまりにも規模が大きすぎますし、今はともかくかつては、バイパスが別途設けられていましたから、これは×。
「トンネル」が要石のある石組みのアーチであることからも、竣工時からあったとみて間違いないでしょう。もしかしたらこの閘門、堰堤の堆砂を排出させる、土砂吐きゲートを兼ねていたのではないでしょうか? もちろん、素人の推測に過ぎませんが、見たかぎりではそう考えることが、もっとも自然に思えました。
●仮にそうだとすれば、閘門としても副次的機能を持つ、さらに希少なものという肩書(?)を加え、興味もいや増すことになりますね。土砂吐きゲート付き閘門、他にもあるでしょうか?

●その向こう、閘門の要たるマイタゲートを検分。上下の写真で、表裏のスキンプレート、構造を見てもわかるとおり、すっきりとした溶接組みで、塗装の様子からも、この数年で更新されたに違いありません。
見たかぎり、右手のフラットは痕跡も微かで、立入禁止区域の図にあった、バイパス管を開閉するための設備を思わせるものは、現存していませんでした。増水で根こそぎもぎ取られたか、すでに撤去されて久しいのでしょう。

●扉体とその周りを見ても明白ですけれど、開閉のための機械設備は、全くありません。扉体の突起に引っかかった草や枝が、台風時の大増水をしのばせますが、この突起こそ、扉体を開閉する際に押し引きするもの。
ちょうど初代牛島閘門(『富岩運河の絵葉書に…』参照)のように、先端に金輪でもつけた1本の丸棒さえあれば、扉体一枚づつなら片岸からでも押し引きができ、ゆっくりやれば一人でこなせそうですね。竣工時からこうだったのでしょうか。

●表裏とも、ロッドやスピンドルのたぐいは走っていないようだったので、扉体に注水用のゲートは備えていないとみてよいようです。
扉体が更新されたということは、通船がまだ完全に絶えたわけでないのかも‥‥と期待をしてしまいますが、どうでしょう? 後扉室のそれも同時に更新されていれば、通船可とみてよいでしょうが、今のところ確認のしようがありません。

●次は後扉室‥‥といっても、閘室のせいぜい上半分に見える範囲ですけれど、二つ突き出ているスピンドルの巻上機から。どちらも赤錆びて、写真左(南側)はハンドルが失せており、右(北側)のそれはハンドル現存。
眺めてみて引っかかったのは、後付けらしい、階段3段分のコンクリートの台です。スピンドルのストローク(上下する長さ)を増すために架台を積み増し、ために作業台も高くする必要があってあつらえたのか。それとも単に、増水時に架台が持ってゆかれないよう、下流側を支える補強として付け足したのか‥‥。何か不自然な、いま一つ納得のゆかない形に見えたのです。

●この角度からだと、二つの巻上機の下流側、側壁に大きな凹部が半ばまで造ってあり、最下流部のほぼ中心線上には、小型の車地(シャチ、手動ウインチ)が備えられているなど、後扉室周りの造作や位置関係がわかります。個々の設備を観察してみましょう。

●北側の巻上機は、ベベルギヤのケーシングなし。立入禁止区域の図どおりに解釈すれば、排水用バイパス管のスライドゲート操作用のはず。

●こちらは南側、ケーシング形状や軸の位置からして、ウォーム+ホイールギヤ。なぜギヤ型式が違うのかが気になります。こちらの方が減速比を大きく取る必要があったとすれば、より重いものを巻き上げる用途だったのかしら。
位置的には、もう一つバイパスがあってもおかしくありませんが、図には管渠が描かれていません。早い時期に廃止されたのか、それとも、これは考えにくいですが、後扉室のゲートをこちらで上下させていたとか?

●この小さな車地にしたって、用途は何なのか。閘室内がのぞき込めないとあっては、妄想レベルでしかものがいえないのが悲しいところ。ちなみにウォーム+ホイールギヤ駆動。
「福地運河の水門…4」で見た上端ヒンジフラップゲートが、割と簡単な巻上装置と滑車で動かしていた(扉体自身にバランスウェイトを仕込めるため、単純な仕組みで、しかも軽い力で動かせそうですし)ことから、もし同じタイプなら、扉体の巻上機という線もあるかもと妄想。まあ、それにしては滑車のたぐいが少なすぎるような。閘室側壁の凹部、見張り台のようなスリットの入った架台の真下に、小さな滑車が見えますが、あれがこの車地と関係あるのかしら。

●もう少し食い下がってみようと、④から管理道路を少し西へ進み、木々が生い茂るすき間から何とか撮れないかと、文字通り悪あがきです。
柵によじ登って、手をいっぱいに伸ばしても‥‥ううん、ダメですね。戸袋らしい凹部がチラリと見えたのは図のとおり、扉体らしい気配はなし。巻上機の横から続く、足場のハシゴが確認できた程度。

●ピントはさっきより合ったけれど、さらにダメですねえ。後ろ髪を引かれる思いでしたが、これであきらめがつきました。
●ええ‥‥以上のような次第で、実物を目にした感動はもちろん深く、悪あがきでうろつきまわっている間も、たまらなく楽しくはあったのですが、後扉室ゲートの型式含め、今に至るも諸元は何一つ判明しておりません。
この点もどかしくはあるものの、これも閘門という、元来数の少ない構造物に魅せられた業のようなもの。いずれ良いご縁があれば、謎が判明する日も来るでしょうと、あえて読者の皆様に、ご教示は請わないでおきたいと思います。ご承知置きください。

●さて、冒頭でも触れた、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている文献を紹介して、この長いお話を〆るとしましょう。
書名は「東邦電力技術史」(東邦電力株式会社・昭和17年7月発行、請求番号:540.92-To24ウ)。相楽発電所運用開始時の電力会社が、社員から取材するなどして、さまざまな技術史的エピソードやデータをまとめたものです。ちなみに創設当時は、木津川発電所と呼ばれていました。
●「木津川發電所」の項目のうち、118ページ(コマ番号:96)の末尾に閘門の記述があり、長くはないので、ほぼ全文を引用させていただきます。なお、写真は不鮮明ながら、120ページ(コマ番号:97)に「第九圖 木津川發電所」として掲載されています。
「本發電所には(中略)、此の外に今一つの特徴がある。堰堤に於ける遊覧船航行施設としての閘門がそれである。本川流域には笠置その他の名所舊蹟散在し、顴光地帶を形成して、春秋の遊覧季節には木津川下りまた盛んに行はれ、閘門を通過する舟は、一日一〇〇隻にも及ぶことがある。閘門は一度に二隻を収容し得、一回の滿水に約十五分を要し、人夫が手動により閘門の開閉を行ふのである。ところが、この閘門開閉の都度、放水路側水位に著しき變動を及ぼし、ドラフト チユーブの有效落差を減じて出力に影響を及ぼすのである。これは放水路と閘門とが接近し、且つ放水路岸壁の削除不足によるものであつて最近之が削除を計畫中である。」
●閘室への注水レベルで、発電に悪影響が及ぶ時期があったとは。「低落差日本一(?)」の特異性が際立つようなエピソードではあります。発電の話題はさておき、閘門についての下りを一読して、ああなるほど、と気持ちよく得心したことがありました。あの、表裏とも石張りを施した閘室です。
舟遊びが盛んで、シーズンには1日当たり100隻の通航量となれば、外観には意を用いざるを得ないでしょう。ちょうど水郷十六島の加藤洲閘門が、タイル張り風にあつらえて化粧したように、観光地の閘門にふさわしい装いが、閘室内外の石張りだったのだろうと‥‥。
華やかだった昭和戦前の木津川にも想いを馳せながら、山稜奥深く息づく石をまとった閘門に、ますます魅せられたことではありました。
(29年11月20日撮影)
(この項おわり・もしかしたらつづく)

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当時、台風21号の被害を受けた関西本線は、亀山~柘植間が不通。バスによる代行輸送はあったものの、後続列車に接続しておらず、頼みの列車も1時間に1本。たどりつくのに手間がかかりましたが、この閘門を自らの目で見たい一心で、万難を排して(大げさだな)おもむいたのであります。
通常なら、道々を含めおおむね時系列でお話するところですが、今回は閘門の観察にしぼって、1本の記事にまとめてみました。
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●この閘門を知ったそもそもから。昨年10月半ばのことです。ひょんなことから、オーリーエンタルのカレーェのMineko(@hydromi11)さんのツイートを拝見、下の写真とほぼ変わらない角度から撮ったものを目にして、まあ、飛び上がらんばかりに驚きました!

●おおお、ダムの閘門だ!
分厚い壁で三方を囲った閘室も、初めて見る珍しいタイプ!
●山深い谷間の小堰堤に設けられた、というロケーションも魅力をいや増すものがありましたが、表面を石組みにしたその重厚な姿に、いっぺんで惚れ込んでしまったのです。
興奮しつつも、一つ気になる点が出てきました。写真で見たかぎり、前扉室はマイタゲートであることがわかるけれど、後扉室はどうなっているんだろう? 出口がトンネルみたいにアーチになっているところを見ると、これはもしかして、国内の閘門ゲートでは極めて珍しい、天地左右の四方に戸当たりのあるゲートではあるまいか?
●ご存知のように、マイタゲートであれローラーゲートであれ、扉体は通常、左右と下の三方に戸溝なりの水密部分があって、扉体にかかる水圧を躯体に伝えるとともに、扉体と密着して水が漏れないようになっています。
ダムなどでは珍しくない、四方で水密を保つ構造も、こと閘門、しかも国内のそれに於いては希少なもの。この閘門が本当にそうなのか、ゲート形式も含めて、ゼヒ確かめてみたい欲望が湧き上がりました。

●ホンモノのGoogleマップで相楽発電所を表示
●閘門のある堰堤は、相楽発電所の取水堰だそう。うひょひょと喜悦の声をあげながら、横っ跳びにGoogleマップで見てみました。相楽郡笠置町の木津川にある発電所で、関西本線の鉄橋がすぐ下流を通り、国道163号線も間近いとはいえ、舟航施設がある堰堤としては、かなりの山深さです。
ここでも前扉室のマイタゲートは写っていますが、後扉室、すなわち下流側は閘室の壁が影になり、やはりゲートは確認できません。う~ん、もどかしい!
●次に、その道の愛好家で訪ねられている方もおられるだろうと、より詳しい情報を求めて検索。特に参考になったのは以下の記事でした。他にも、国会図書館で1件だけウェブ公開されている文献があったのですが、これは最後に紹介しましょう。
・関西電力 相楽発電所 (水力ドットコム)
・京都府 相楽郡←記事中に「相楽発電所取水口設備」の項目あり(宮様の石橋)
・相楽発電所 (関西電力 京都府) (水力発電所とダムに行ったおはなし)
●なるほど、わずか3m余りという、低落差では恐らく国内一というあたりに、相楽発電所の魅力の一つがあるみたいですね。供用開始は昭和3年、風格のある外観から見ても、納得できます。
●当然ながら、閘門そのものについて触れたデータはなく、構造物としては目立つので皆さん写真に納めてはいるものの、閘門として認識されていない方もおられる様子。何分発電所やダムそのものに関心が向いているのですから、これは致し方ありません。
橋愛好家の「宮様の石橋」さんはその中で唯一、北岸の水際まで降りられて、後扉室のアーチに肉迫した写真を撮られており、その胆力に感服したものでした。
●ともあれ、一目惚れといってよいほどその姿とロケーションに惹かれ、少しでも早く目の当たりにしたい、という気持ちは募るばかり。
存在を知ってから約1ヶ月後という、自分としては破格のスピードで訪問成ったのは、ひとえにこの、相楽発電所閘門の魅力がなせるわざでありました。
●さて、11月20日の訪問当日にお話を戻しましょう。以下の写真もGoogleマップからお借りしたものですが、相楽発電所閘門が(何とか、どうやらといったレベルも含めて!)望める、撮影地点を示したものです。番号は私が訪ねたときの時系列で、写真の掲載順とは対応していません。

●参考までに閘門から各地点までの距離をメモしておくと、①の沈下橋まで実に約540m。③の量水塔下流の砂洲まででも約360m、関西本線鉄橋の橋脚横⑥が約180m。一番近い、発電所敷地内の④が約30mです。
他は地勢が険しすぎるか、発電所の立入禁止区域になっており、対岸(南側)も地図上は道がありましたが、当日は少なくとも車輌の進入ができないことがわかり、あきらめざるを得ませんでした。半日でも時間があり、藪を漕ぐ装備でもあれば、あるいはもう少し選択肢が増したかもしれません。
●結論を一つ先にいってしまえば、最も知りたかった後扉室ゲートを確認できる、東側からの視点が全く得られませんでした。
当然、始終もどかしさ、じれったさと切なさがないまぜになったような、むずがゆい気持ちを抱えながらカメラを構えたのですが、それでも百聞は一見に如かず。深山を洗う川面の空気を吸いながら、実物を目の当たりにした感動はやはり深く、来てよかったと心から思ったものでした。

●東からの視点が得難そうだと、出発前に見当がついている以上、西側‥‥下流からズームで思い切りたぐってのぞき込み、少しでも自分なりの素材を増やすしかあるまいと、沈下橋の北詰から踏み出しました。
台風21号の爪痕はまだ生々しく、高水敷も草や灌木が倒れて荒れ果て、歩を進めるのも時間がかかります。関西本線のトラスも素敵なのですが、心ははるかに望む閘門へ一直線。一枚、また一枚と撮りながら、量水塔右手の砂洲まで歩いてゆきました。

●数百mを隔ててとなれば、仕上がりも荒くなってしまうのは仕方がありません(腕が悪いだけかも)。それでも記録するごとに、ディテールが少しづつ自分のものになるような気がして、楽しいものです。
いや、見事な石張りの閘室、実見するとまた、重厚さがじかに伝わってくるようで、眼福眼福。鉄道のトンネルを思わせるような、要石付きのアーチもいいですねえ。
●量水塔のある砂洲先端、③からのぞいて、わかったことは二つ。閘室の側壁内が外壁同様石張りで、閘室幅はアーチのそれとほぼ同じくらいであること。閘室の上流側、前扉室のあたりに、やはり要石を備えた浅い円弧のアーチが見え、その下はさらに奥がありそうなこと。
前扉室のマイタゲートが見えず、正体不明のアーチがのぞけたのは驚きでした! 仮に、奥のアーチが階壁(水位差分を高めた扉体の敷居)を支えるのに必要な構造としても、その下にトンネル様の空間が黒く見えるのは、いったい何でしょう?

●あきらめ切れず、発電所を離れた後で、管理道路が関西本線をアンダーパスするあたりで岩場に出て、鉄橋の橋脚にからんだ砂洲⑥より撮ったもの。う~ん、閘室が半分しか見えない!
閘室のすぐ右は魚道、そのさらに右、水が浅く流れるスロープ状の設備は、筏通しでしょうか。

●足を流れに突っ込みそうになりながら、飛び石に伝って橋脚の向こうへ顔だけ出し、何とか腕を伸ばして撮ったのがこれ。
奥のアーチの壁面は濡れて、水が滴っているのがわかりました! この上には階壁とマイタゲートがある! しかし、アーチ下のトンネル部分は? なぜコンクリートで充填せず、トンネルにしておく必要があるのか? それは発電所の敷地内から閘門を見て、一つ思い当ることがありました。後で述べましょう。

●下流側、ほぼ真正面から見た閘門。スライドゲートらしい、上流側の堰柱が目立っていますね。
もちろん後付けか、元からあったにしても近年更新されたものと思いますが、ウェブ上で初見した当初はこのゲートを、増水時にマイタゲートを保護するために設けたのだろう、と推測していました。それがどうも誤りらしいとわかったのは、発電所の敷地内より閘門を観察してからです。先の「閘室内アーチ」ともつながってくるわけですが‥‥。まずは敷地内から見た閘門、三態を掲げてからにしましょう。

●上とこの下の2枚は、発電所建屋の西、④から撮ったもの。この壁の厚さ! 「肉厚」という言葉が具現化されたような、この頼もしさ! 他の閘門にはない魅力が、このどっしりした重量感を視覚させる造作にあることは、論を待ちますまいよ!

●ほぼ正横から。川面のところどころに顔を出す岩場が、堰堤の設置に適した、地盤の確かさを感じさせます。
しかし、ダム好きな方が堰堤にカメラを向けても、ここからでは閘門が視界のほとんどを占めてしまいますね。カサはもとより外観もインパクトがあるので、閘門と認識されていない向きは、困惑された方もおられるようです。本体より舟航施設の方が目立つ堰堤! ここにも相楽発電所閘門特有の、どこかユーモラスな面白さがあるように思えます。

●発電所建屋の東側、⑤から。ここは下の写真でわかるように、厳重かつ背の高い柵があり、そのすき間に何とかカメラを差し込んで撮りました。
どうも微妙な角度で、あと少し高さがあり、また閘門の軸線に近ければ、後扉室ゲートの様子がわかったのですが‥‥。しまった、安物でよいからカメラ付きドローンを買ってくるべきだった! と大いに後悔したものの、後の祭り。いや、それ以前に飛ばしてはいけない場所なのかも‥‥。

●ここで一つ、嬉しい発見がありました。上で触れたとおり、発電所建屋の東側は、手すりのみで眺望のよい西側と異なり、目の細かく背の高い柵が設けられて、堰堤の観察にはあまり具合のよい状態ではありません。
柵のすぐ外側に通路があるので、きっと過去には釣り人さんなどの出入りなど、何か問題があったのでしょう。発見とは、この柵に掲げられていた看板の一つでした。

●何枚ものたたみかけてくる注意喚起の看板に、一枚だけ図のみのものが。近づいてよく見ると、発電所一帯の平面図でした。赤く塗った範囲で、立入禁止区域を示しているのです。
図によれば、管理用道路は立入禁止でないようだ‥‥と、ホッとしたのもつかの間。エッ!と目を皿にして、二度見することになりました。
この図、閘門の部分だけ妙に詳しくないか?

●マイタゲート、戸袋の凹みもちゃんと描いてあるし(その左右の二重線が謎ですが)、何より①、②の矢印の先にあるように、注排水用バイパス管と思しき描写まで! 本来見えないはずのものまで描いてあるということは、何か公式の図面を流用したものなのかしら?
●しかし同時に、いくつか首をかしげるというか、残念な点があることにも気づかされました。まず①のバイパス管らしき部分、②とくらべると、途中で線が切れていたりして、右側がはっきりしません。何より、③の後扉室ゲートの型式が判然としないのは、実にもどかしい思いでした。
図を素直に読めば、マイタゲートなら右手に出てくるはずの、三角形に出っ張った戸当たりが描かれておらず、直線であることから、別のゲート形式だと想像できそう‥‥というくらいでしょうか。マイタゲートなら前扉室同様の描写になるだろうし、右の隅が上下とも、角を落としたような描き方になっているのも気になります。もしかしたら、上端ヒンジフラップゲート(『福地運河の水門…4』参照)なのでしょうか?

●閘室のディテールというか諸設備を、上流側から見てみましょう。まずこの、スライドゲートと思しき堰柱その他から。
手前、ゲート下流側に管理橋が渡されているので、この桁下がクリアできる舟しか通航できないのがわかります。まあ、後扉室のアーチも高さはそうないので、小舟ならこれで十分なのでしょう。

●巻上機架台上には電線が渡っており、電灯と操作盤らしきボックスも見えます。遠隔操作ができるかどうかはさておき、モーターライズされていますね。
手すりには注意喚起の看板とともに、先ほど見た図と同じものも掲げられています。下の写真のように上流側も「あぶない近寄るな!」と、ずいぶん念が入っていますね。それもそのはず、木津川のこのあたり、実はカヤックが盛んで、堰堤の上下流ともショップがあり、一般のツアーも受け付けているほど。発電所を管理する側としても、神経質にならざるを得ない事情があるのでしょう。

●スライドゲート周りをよっく観察して、気づいたことが二つ。一つは扉体が完全に水没して、水面上には見えないこと。もう一つは、扉体を上下するスピンドル軸の軸受け。堰柱の横梁内側に黒いパーツが突き出て、上下に貫く軸を支えているあれですが、下の横梁にもあるんですよ。つまり、軸受けから上には、扉体は上がらない。閘室側壁の床面くらいまでしか、扉体の上端が上がらないということです。
先に触れたように、この時点で、マイタゲートの保護のためという推測は、外れだとわかりました。代わりに思い当ったのが、閘室奥に見えた「トンネル」のこと。あのトンネルの奥にあるのが、この沈んだ扉体だとしたら、しっくりくるように思えたのです!
●では一体、「トンネル」と扉体はどんな役目をしているのか? 閘室に注水する、バイパス装置として考えられなくもありませんが、あまりにも規模が大きすぎますし、今はともかくかつては、バイパスが別途設けられていましたから、これは×。
「トンネル」が要石のある石組みのアーチであることからも、竣工時からあったとみて間違いないでしょう。もしかしたらこの閘門、堰堤の堆砂を排出させる、土砂吐きゲートを兼ねていたのではないでしょうか? もちろん、素人の推測に過ぎませんが、見たかぎりではそう考えることが、もっとも自然に思えました。
●仮にそうだとすれば、閘門としても副次的機能を持つ、さらに希少なものという肩書(?)を加え、興味もいや増すことになりますね。土砂吐きゲート付き閘門、他にもあるでしょうか?

●その向こう、閘門の要たるマイタゲートを検分。上下の写真で、表裏のスキンプレート、構造を見てもわかるとおり、すっきりとした溶接組みで、塗装の様子からも、この数年で更新されたに違いありません。
見たかぎり、右手のフラットは痕跡も微かで、立入禁止区域の図にあった、バイパス管を開閉するための設備を思わせるものは、現存していませんでした。増水で根こそぎもぎ取られたか、すでに撤去されて久しいのでしょう。

●扉体とその周りを見ても明白ですけれど、開閉のための機械設備は、全くありません。扉体の突起に引っかかった草や枝が、台風時の大増水をしのばせますが、この突起こそ、扉体を開閉する際に押し引きするもの。
ちょうど初代牛島閘門(『富岩運河の絵葉書に…』参照)のように、先端に金輪でもつけた1本の丸棒さえあれば、扉体一枚づつなら片岸からでも押し引きができ、ゆっくりやれば一人でこなせそうですね。竣工時からこうだったのでしょうか。

●表裏とも、ロッドやスピンドルのたぐいは走っていないようだったので、扉体に注水用のゲートは備えていないとみてよいようです。
扉体が更新されたということは、通船がまだ完全に絶えたわけでないのかも‥‥と期待をしてしまいますが、どうでしょう? 後扉室のそれも同時に更新されていれば、通船可とみてよいでしょうが、今のところ確認のしようがありません。

●次は後扉室‥‥といっても、閘室のせいぜい上半分に見える範囲ですけれど、二つ突き出ているスピンドルの巻上機から。どちらも赤錆びて、写真左(南側)はハンドルが失せており、右(北側)のそれはハンドル現存。
眺めてみて引っかかったのは、後付けらしい、階段3段分のコンクリートの台です。スピンドルのストローク(上下する長さ)を増すために架台を積み増し、ために作業台も高くする必要があってあつらえたのか。それとも単に、増水時に架台が持ってゆかれないよう、下流側を支える補強として付け足したのか‥‥。何か不自然な、いま一つ納得のゆかない形に見えたのです。

●この角度からだと、二つの巻上機の下流側、側壁に大きな凹部が半ばまで造ってあり、最下流部のほぼ中心線上には、小型の車地(シャチ、手動ウインチ)が備えられているなど、後扉室周りの造作や位置関係がわかります。個々の設備を観察してみましょう。

●北側の巻上機は、ベベルギヤのケーシングなし。立入禁止区域の図どおりに解釈すれば、排水用バイパス管のスライドゲート操作用のはず。

●こちらは南側、ケーシング形状や軸の位置からして、ウォーム+ホイールギヤ。なぜギヤ型式が違うのかが気になります。こちらの方が減速比を大きく取る必要があったとすれば、より重いものを巻き上げる用途だったのかしら。
位置的には、もう一つバイパスがあってもおかしくありませんが、図には管渠が描かれていません。早い時期に廃止されたのか、それとも、これは考えにくいですが、後扉室のゲートをこちらで上下させていたとか?

●この小さな車地にしたって、用途は何なのか。閘室内がのぞき込めないとあっては、妄想レベルでしかものがいえないのが悲しいところ。ちなみにウォーム+ホイールギヤ駆動。
「福地運河の水門…4」で見た上端ヒンジフラップゲートが、割と簡単な巻上装置と滑車で動かしていた(扉体自身にバランスウェイトを仕込めるため、単純な仕組みで、しかも軽い力で動かせそうですし)ことから、もし同じタイプなら、扉体の巻上機という線もあるかもと妄想。まあ、それにしては滑車のたぐいが少なすぎるような。閘室側壁の凹部、見張り台のようなスリットの入った架台の真下に、小さな滑車が見えますが、あれがこの車地と関係あるのかしら。

●もう少し食い下がってみようと、④から管理道路を少し西へ進み、木々が生い茂るすき間から何とか撮れないかと、文字通り悪あがきです。
柵によじ登って、手をいっぱいに伸ばしても‥‥ううん、ダメですね。戸袋らしい凹部がチラリと見えたのは図のとおり、扉体らしい気配はなし。巻上機の横から続く、足場のハシゴが確認できた程度。

●ピントはさっきより合ったけれど、さらにダメですねえ。後ろ髪を引かれる思いでしたが、これであきらめがつきました。
●ええ‥‥以上のような次第で、実物を目にした感動はもちろん深く、悪あがきでうろつきまわっている間も、たまらなく楽しくはあったのですが、後扉室ゲートの型式含め、今に至るも諸元は何一つ判明しておりません。
この点もどかしくはあるものの、これも閘門という、元来数の少ない構造物に魅せられた業のようなもの。いずれ良いご縁があれば、謎が判明する日も来るでしょうと、あえて読者の皆様に、ご教示は請わないでおきたいと思います。ご承知置きください。

●さて、冒頭でも触れた、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている文献を紹介して、この長いお話を〆るとしましょう。
書名は「東邦電力技術史」(東邦電力株式会社・昭和17年7月発行、請求番号:540.92-To24ウ)。相楽発電所運用開始時の電力会社が、社員から取材するなどして、さまざまな技術史的エピソードやデータをまとめたものです。ちなみに創設当時は、木津川発電所と呼ばれていました。
●「木津川發電所」の項目のうち、118ページ(コマ番号:96)の末尾に閘門の記述があり、長くはないので、ほぼ全文を引用させていただきます。なお、写真は不鮮明ながら、120ページ(コマ番号:97)に「第九圖 木津川發電所」として掲載されています。
「本發電所には(中略)、此の外に今一つの特徴がある。堰堤に於ける遊覧船航行施設としての閘門がそれである。本川流域には笠置その他の名所舊蹟散在し、顴光地帶を形成して、春秋の遊覧季節には木津川下りまた盛んに行はれ、閘門を通過する舟は、一日一〇〇隻にも及ぶことがある。閘門は一度に二隻を収容し得、一回の滿水に約十五分を要し、人夫が手動により閘門の開閉を行ふのである。ところが、この閘門開閉の都度、放水路側水位に著しき變動を及ぼし、ドラフト チユーブの有效落差を減じて出力に影響を及ぼすのである。これは放水路と閘門とが接近し、且つ放水路岸壁の削除不足によるものであつて最近之が削除を計畫中である。」
●閘室への注水レベルで、発電に悪影響が及ぶ時期があったとは。「低落差日本一(?)」の特異性が際立つようなエピソードではあります。発電の話題はさておき、閘門についての下りを一読して、ああなるほど、と気持ちよく得心したことがありました。あの、表裏とも石張りを施した閘室です。
舟遊びが盛んで、シーズンには1日当たり100隻の通航量となれば、外観には意を用いざるを得ないでしょう。ちょうど水郷十六島の加藤洲閘門が、タイル張り風にあつらえて化粧したように、観光地の閘門にふさわしい装いが、閘室内外の石張りだったのだろうと‥‥。
華やかだった昭和戦前の木津川にも想いを馳せながら、山稜奥深く息づく石をまとった閘門に、ますます魅せられたことではありました。
(29年11月20日撮影)
(この項おわり・もしかしたらつづく)

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