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萩之浦閘門跡を訪ねて…2

(『萩之浦閘門跡を訪ねて…1』のつづき)

211006.jpg高水敷に打って出られない悔しさは、かなりのものでした。冨岩運河側は私有地なので勝手に入ることはできず、こう草深いとあっては、仮に境界標があっても目視できないでしょう。

仕方なく、というと語弊がありますが、神通川の里程標が目についたので一枚。河口から0.8km、ポールに看板をつけた標識でなく、ステンレスの1本ものに表記を印字して巻いたあたり、雪国らしい堅牢さを目指したタイプというべきでしょうか。

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北側には、実にイイ雰囲気の日通倉庫が。色褪せてはいるものの、腰から上に塗り分けられた日通カラーが判別でき、妻、側それぞれのマル通マークも健在。模型のストラクチャーにはもってこいのタイプですよね。

外観から、閘門と同時代の建築に見えますが、この倉庫が建ったのは萩之浦閘門が埋められつつあったころか、埋められた後。昭和30年代末から40年代初めごろ(『富山港・知られざる閘門?!』の空中写真を参照)です。この倉庫が現役時を知らないのは確実ですが、もしかしたら、埋められながらも原形を留めていたころを、横目で見ていたかもしれません。

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日通倉庫とその南側にある、白いスレート波板の建屋の境界を見て。「『富山港・知られざる閘門』の図面が!」に掲載した図面によれば、法面の天端どうしを測った幅は19.2m。右手は波板建屋の本屋、少なくとも4分の1くらいまで達していたでしょう。

二軒の間のみ、草がこんもり盛り上がっているさますら、「閘室の埋め土の部分だから、草がよく育つのかなあ‥‥」などと、根拠薄弱な妄想のオカズになってしまうほど、悲しいくらいの手掛かりのなさ。ハイ、単に境界で草刈りがされていないからですね、ええ。

211009.jpg波板の建屋がある前の法面は、草刈りがされて間もないようでした。ここにポツリと1本だけ、気になるポールが!

ここが閘室の南側の境界線のように思えて、何の根拠がないにもかかわらず、一枚撮っていました。ブツブツつぶやいておりまするが、ここに掲載の5枚、Googleストリートビューの方がよほど写りの良い写真を見ることができます、はい(微妙に悔しい)。

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まあ、発掘すれば遺構は出てくるのでしょうが、いち道楽者としてはかなわぬ夢。今はこの地を自らの足で踏めたこと、道の曲がりと日通倉庫で、位置は特定しやすかったことをせめてもの幸いとすべきでしょう。

竣工時の記録写真くらい、あってもおかしくない施設ですから、写真が出てきたらぜひ、下瀬閘門ばりに説明板でも設けて、顕彰してあげていただきたいものですね。

(29年9月23日撮影)

(『中島閘門に寄り道…1』につづく)

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タグ : 萩之浦閘門神通川