神田川分水路まつり…11
(『神田川分水路まつり…10』のつづき)
●目に入ってくるコンクリートの肌は、すでに通った二本の分水路とさほど変わらないものの、頭上にのしかかるこの「重さ」は予想以上。今まではほんの序の口で、この区間こそが、水道橋分水路の本性(?)であることを、思い知らされた気分でした。
D君たちも次第に無口になり、ドロナワ式にかき集めたライト群のおかげで、明かりにだけはこと欠かなそうな我が艇上も、だんだん重苦しい雰囲気が漂ってきました。
●ここで初めて、マンホールに遭遇。足場の数が、前に見たマンホールより露骨に少ない…天井の低さが実感できました。
水道橋の橋台部はとっくにかわしたはずですから、白山通りはもうくぐったことでしょう。水道橋橋詰近くの、歩道あたりに出るのでしょうか。
●さらに進むと、右側に2径間の開口部が見えてきました。一見したところ、先ほどのものと違い、隣に分水路が平行しているわけではなさそうです。
幅も極めて狭いもので、もちろん艇が通れる幅ではありません。1径間の幅は、およそ1.5mほどでしょうか。
●のぞき込んでみると、分水路には角度をつけて、はすに合流しているのがわかりました。奥の右側には、マンホールがあり、外の明かりが差し込んでいます。
このあたり、昔は小石川という川があり、神田川に合流していたので、その名残の暗渠化河川なのかもしれないな…などと、土木的妄想をめぐらしてしまいました。
●開口部のすぐ上流で、懸案事項だった銘板の撮影に成功! ピンボケではありますが、トリミングしてご覧に入れます。
「1984年8月 神田川整備水道橋分水路工事(その5) ←延長200M 東京都 清水 笹島建設共同企業体 施工」
銘板というより、工区を示す看板ですね。完成して、もう25年の年月を経ているわけです。竣工後、この看板を目にした人は、何人いたのでしょうか。
(21年5月3日撮影)
(『神田川分水路まつり…12』につづく)

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D君たちも次第に無口になり、ドロナワ式にかき集めたライト群のおかげで、明かりにだけはこと欠かなそうな我が艇上も、だんだん重苦しい雰囲気が漂ってきました。

水道橋の橋台部はとっくにかわしたはずですから、白山通りはもうくぐったことでしょう。水道橋橋詰近くの、歩道あたりに出るのでしょうか。

幅も極めて狭いもので、もちろん艇が通れる幅ではありません。1径間の幅は、およそ1.5mほどでしょうか。

このあたり、昔は小石川という川があり、神田川に合流していたので、その名残の暗渠化河川なのかもしれないな…などと、土木的妄想をめぐらしてしまいました。

「1984年8月 神田川整備水道橋分水路工事(その5) ←延長200M 東京都 清水 笹島建設共同企業体 施工」
銘板というより、工区を示す看板ですね。完成して、もう25年の年月を経ているわけです。竣工後、この看板を目にした人は、何人いたのでしょうか。
(21年5月3日撮影)
(『神田川分水路まつり…12』につづく)

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