旧4区の絵葉書にも涙したい

207061.jpgもう5年前になりますが、「深川区の絵葉書に涙する」で、旧深川区の地図絵葉書を紹介しました。その折にも触れたように、同時に入手していたシリーズものの地図絵葉書を並べて、悦に入ってみたいと思います。

シリーズは旧市域の15区がありましたが、何分可航水路バカのこととて、選んだのは堀割や河川が多い、大川流域の4区。前回も触れたとおり、発行年代は大正初めごろと推定、発行所は中村商店です。
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日本橋區全圖
宛名・通信欄比率2:1、明治40年4月~大正7年3月の発行(以下同じ)。


ほぼ中央に位置する東堀留川・西堀留川が、濃厚な存在感を放つ街場の中の街場。個人的に惹かれる水路は、神田区との境界をなし、日本橋川(外濠)と浜町川を結ぶ竜閑川、小伝馬町から中洲まで一直線に走る浜町川。

いずれも商いの便をはかるため、あらたに開鑿された堀割ですが、もし、可航状態を維持、整備されつつ現存していたら、狭くて護岸の高い、それこそ白子川のような、探索し甲斐のある水路になっていただろうなあ、と妄想してしまいます。

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京橋區全圖

ここに描かれている水路のほとんどが、道路をはじめとする他の用途に転じられ、姿を消しているのはご存じのとおり。現在の築地市場の場所は海軍経理学校、佃島・月島との間にはまだ橋のない時代で、4本の渡船が描かれているのも目を引きます。

また日本橋区と京橋区は、町名一覧から独立して、河岸一覧が設けられている点がさすが。他の地域とくらべて河岸が多く、町の構成上重きをなしていたことがうかがえ、興味深いものが。この時代の商工業活動は、水路なくしては語れなかった証左でありましょう。

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本所區全圖

大横川北端部と源森川が一体となっており、まだ終端駅だった両国駅(明治37年開業)構内には、江戸時代の御竹蔵の入堀が一部残り、右手には本所停車場(現錦糸町駅)と並行して南割下水も見えるなど、今とはだいぶ違った墨東の姿。

源森川から東の北十間川、またその北に伸びる曳舟川とも、重要な河川にもかかわらずなぜかごっそり塗り分けが落ちており、ちょっと異様ではあります。隅田川を横切る渡船の数も、図中にあるだけで実に6本、橋の少なかった時代、渡船がいかに重要な交通機関だったかが実感できますね。

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神田區全圖

そして神田区。やはり目線が吸い寄せられるのは、明治23年に竣功した、地上線時代の秋葉原貨物駅(図では『秋葉停車場』)に引き込まれた船溜。水路をまたぐ橋の名前は、神田川畔の物揚場・佐久間河岸にちなんで名付けられたのでしょう、佐久間橋といって、現在も水路跡を利用した小公園に名を留め、親柱も保存されています。

中央線は、甲武鉄道によって明治37年に開通した御茶ノ水まで。松住町架道橋も聖橋もない時代ですが、路面電車網は流域他区部とくらべても充実しており、発展ぶりがうかがわれますね。美倉橋と和泉橋の間の南岸には、日本橋区でも触れた浜町川が接続し、区境には竜閑川が見えます。

まあ、いいたいことはおおむね「深川区の絵葉書に涙する」に書いてしまったので、今回はあまり騒がず(5年もあっため過ぎたということもあり)、ただただ、コロタイプと刷り色が織りなす滋味を噛み締めたいと思います。

河岸名が町名と並び称される時代、すなわち小廻し水運が意気盛んだった時代に刷られたものを前にしているというだけで、もうそれは楽しく、妄想が限りなく広がるひとときであるのですから。

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タグ : 絵葉書・古写真 隅田川 神田川 竪川 築地川 日本橋川

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