「富山港・知られざる閘門」の図面が!

竣工年も規模も、名前すらわからなかったこの「知られざる閘門」、最近になって、ついにその正体が詳らかになったのであります! まずはそのいきさつからお話しさせてください。
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拝読すると、な何と、あの閘門の名前がわかったとのこと! 何か新しい情報があったら、ぜひご連絡下さいとお願いしておいたのです。
●で、その名は萩浦閘門(はぎのうらこうもん)。
イヤ、「そうきたか!」とヒザを叩きましたよ。所在地から「草島閘門」と予想していたのですが、すぐ上流側に萩浦橋が架かり、岩瀬運河には岩瀬萩浦町があるのですから、富岩運河開鑿と河道改修がなされる前は、萩浦の地名に縁があった場所なのかもしれません。
●中村氏のお話は、それだけではありませんでした。閘門の名前がわかったそもそもは、松川遊覧船の代表者である中村孝一氏を訪ねてこられた、白井芳樹氏という方とのお話の中で、ご教示いただいたのだそう。
白井氏はかつて富山県の土木部長を務められ、富岩運河や中島・牛島閘門の保存にも尽力されたのだとか。同席した中村氏が、閘門の話題を出したところ、ちょうどその閘門と河川舟運の論文を執筆中だと答えられ、驚いたことが記されていました。とても素敵な出会いがあったのですね。

白井氏、実は本書でも「萩浦閘門の建設」と題した記事で、閘門に触れられていました。
いわく、昭和8年5月に着手、同10年9月に竣工、閘室の規模は幅10m、長さ36m、位置は神通川河口約1km右岸。‥‥と、データをひととおり挙げた上で「この閘門はその後埋め立てられ、今日その存在を知る人は少ない」と、「知られざる閘門」への愛惜を感じさせるコメントをされていました。
●これだけでももちろん、十分過ぎるくらいありがたい情報なのですが、数行の記事で、写真や図のたぐいが併載されておらず、全貌がつかめない点、欲深い船頭としては、いま一つ物足りない感じがしたのも正直なところです。
中村氏の「発見」のおかげで、せっかく萩浦閘門の存在と、名前や竣工年まで判明したのですから、せめて写真の一枚や簡単な図面くらいは入手してからでないと、自分の中でも納得がゆきません。
●ところが、です! お話しを中村氏からのメールに戻しましょう。メールにはいくつか添付ファイルがあって、その中の一つを開いてみました。白井氏が執筆された論文、「昭和初期の富山都市圏における土木事業と三人の土木技師」の一部をお借りしたもので、萩浦閘門の下りが含まれているとのこと。
さっそく、ありがたく拝読してみると‥‥「都市 富山の礎を築く」と内容は似ているものの、各々により詳しく言及されている論文中に、ありました、萩浦閘門が図面付きで!
図面は全体でなく部分でしたが、キャプションに「富山県立図書館蔵、内務省神通川改修事務所「神通川改修萩の浦閘門新設工事設計図一般図」設計昭和8年4月より」と、出典・所蔵元が記されている! これは何より嬉しくなりました、ありがとうございます中村専務! とるものもとりあえず、ハフハフと興奮しつつ富山県立図書館に問い合わせてみることに。
●4月7日、県立図書館調査課よりレファレンスへの返信があり、所蔵を確認したこと、データは不可でコピーのみながら、有償で複写・郵送もしていただけるとのこと! うひょひょ。原図の雰囲気を味わいたいことから、カラーコピーにて分割複写をお願いし、何度かのメールでのやり取りの後、「富山県読書推進運動協議会」の封筒に入った図面が到着したのが、4月17日。早い!
船頭の細かい注文にも、ご担当の方がきめ細かく対応してくださり、美しく分割コピーされた図面には、スキャニングがしやすいよう、面付番号まで添付される親切さ。ご担当様、懇切なご対応痛み入ります、本当にありがとうございました!
●‥‥で、分割された図面を、暇々に一枚づつスキャンしてゆき、揃ったところで微調整しながら切り貼って、何とか復元したのが以下の図面です。図書館のご担当にはこんなに早くお送りいただいたのに、スキャンや加工にたっぷり時間を食ってしまい、何とも申しわけないかぎりであります‥‥。
例によって、腕の悪さから仕上がりは見てのとおりで恐縮ですが、ご容赦いただければ幸いです。
これが「知られざる閘門」の全貌だ!

●図面の全体。左が閘門の構造まで描いた平立面図。右が背割堤上のレイアウトを示した平面図。

●閘門の平立面図を拡大、右に90°回転させて見やすくしたもの。扉体形式はマイタゲート、径間5m、前扉室・後扉室とも長さ9.5m。閘室内法長さ36m、幅10m。閘室の護岸は鋼矢板、上部は法面で、扉室の基礎杭は松丸太(間違いがあったらごめんなさい)‥‥と、素人が読み取れる情報だけ拾っても、興味深いものばかり。
注排水設備が見えませんが、扉体にスライドゲートをつけたタイプだったのでしょうか。また、前扉室(左側)に見える管理橋、高欄をのぞいた幅が1.6mと、ずいぶん狭い橋だったことがわかります。

●レイアウトの平面図拡大。上は東岩瀬港、下が神通川で、左手が下流になります。巻紙風に仕上げた囲みケイが洒落ていますね。閘室左に、何かのメモ書きらしいものがあって微笑ましいですが、何を描いたのか、見たかぎりではわかりません。
こうして見ると径間5mはずいぶん狭い感じですが、本流を上下する従来からの和船の利用がもっぱらだったでしょうから、幅員はこれで十分と判断されたのでしょう。

●図面タイトル部分の拡大。画像中のクレジットにも記したとおり、
「神通川改修萩之浦閘門新設工事設計図 一般図」が正式なお題。というわけで、閘門の名前も、ここはこの色褪せた図面に従って、
萩之浦閘門
と呼称したいのですが、いかがでしょうか?
ともあれ、中村珠太氏、白井芳樹氏、そして富山県立図書館調査課のご担当様、皆様のご尽力のおかげで、知る人ぞ知る萩之浦閘門の姿を、この目でしかと堪能することができました。改めて、厚く御礼申し上げます、ありがとうございました!

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