もう一つの河川航路ガイドブック「利根川勝地案内」

194083.jpg利根川勝地案内 
伊藤省三 編・発行  
上製 284ページ
大正7年3月25日発行


‥‥という、大利根を中心に繰り広げられた関東の大水運時代が、気になって仕方がない輩としては、タイトルだけでやられそうな古書と出会うことができました。

いうまでもなく嬉しい出会いではあったのですが、そのそもそもは例によってよこしまです。以下、本書にまつわるあれこれを垂れ流させていただきます。

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194084.jpg川蒸気や高瀬舟が上り下りしていた、水運がまだ元気だった時代の河川航路が描かれた、当時発行の絵地図を手に入れて、額装して日々眺めてみたいと、かねてから思っていました。

できれば利根川・江戸川を含んだ関東一円のものがよいので、以前紹介した水郷案内のような、観光客向けのリーフレットを物色していれば、いずれ出会えるだろうと気長に構えていたのです。

幸い、それは思ったより早くに叶ったのですが、意外だったのが地図はリーフレットでなく、引札でもなく、立派な上製本の折込口絵として付いていたこと。

それがこの「利根川勝地案内」だったわけですが、航路図がついているくらいですから、内容ももちろん尋常一様(?)でなく、水運趣味のツボをゴリゴリされる本だったことは、いうまでもありません。何より川蒸気のエンサイクロペディア「川の上の近代」(過去ログ『川蒸気本の決定版』参照)にも、盛んに引用されていたくらいの本でしたから、その嬉しさたるや、例えようがありませんでした。他にも気になる部分がいくつかあったので、少し紹介させていただきましょう。

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まずは当の折込口絵、「汽船航路略啚」を掲げます。サイズの小さいスキャナーで分割して取り込み、切り貼ったので、お見苦しい点もありますがご勘弁ください。

河中の赤線が航路で、沿岸の赤丸が寄港地名。上利根など、一部は赤丸のみで航路が書かれていないところがあります。

すでに現在も盛業中の幹線鉄道がほとんど開通し、関東の中長距離水運はすでに往時の勢いは失われていたものの、利根運河経由の下利根航路はもちろん健在、上利根も思川や渡良瀬川の古河・藤岡まで、鬼怒川にも寄港地のあった、まだまだ意気盛んな時代。

特に下利根、霞ケ浦・北浦の沿岸は寄港地だらけで、両岸をあやなすように描かれた航路のさまから、橋が全く架かっていなかったこの地域の、渡船としての機能も担っていたことが感じられるでしょう。イヤ、肉筆ならではの味わいといい、風格を帯びた色合いといい、実に素晴らしい。この航路図に出会えたことに、感謝しきりです。

話は変わりますが、関東の川汽船航路を総覧できるガイドブックとしては、「利根川汽船航路案内」(明治43年4月、『氣船荷客取扱人聯合會』発行)がつとに有名です。崙書房から、昭和47年に少部数ながら復刻版が出ていることもあり、近代河川舟運のこの上ない資料として、ご存知の方も多いでしょう。

さらに脱線しますが、この筋に関心のある向きには、ホンモノより断然復刻版がオススメ。付録の小冊子「『利根川汽船航路案内』解題(高梨輝憲著)」は、リアルタイムで見た川蒸気船の貴重な証言満載で、各所に引用されているほど。一読の価値があります。‥‥閑話休題。

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さて、話を今回の「利根川勝地案内」に戻しますと、上記「航路案内」の8年後、大正7年に発行されたものです。

題名のとおり、利根川筋沿岸、寄港地周辺の名所旧跡のガイドに重点を置いており、汽船に関する諸々に軸足があるわけではないものの、寄港地毎に周辺をガイドするスタイルはよく似ていて、「航路案内」に強い影響を受けて作られたのでは、と感じられるものがありました。

「航路案内」にくらべて、写真は本文に併載せず、塗工紙の写真ページを別途設けて、「見せる」構成を心がけてはいるのですが、神社仏閣など沿岸地域の風物にスペースが多く割かれ、肝心の(私がそう思っているだけ)汽船や発着所の写真はあるものの多くはなく、水運の資料という意味では、「航路案内」に大きく譲らざるを得ない、というのが正直な感想でした。

上に掲げたのは、汽船や発着所の鮮明な写真が掲載されたページの一つ。上から、両国橋詰の原発場(始発駅、くらいの意味)と呼ばれた、最も大きな隅田川畔の発着所。もう一つのターミナルである蠣殻町の建物、明治の商家建築そのものといった感じですね。一番下は小名木川は高橋の発着所、こちらは「水駅」と呼ぶにふさわしい外観の建築で、暗車(スクリュー)船らしい小型の汽船が横付けしています。
上の他にも面白い写真があるのですが、「川の上の近代」に多数転載・収録されているので、そちらをご参照ください。

194085.jpgええ‥‥気になって仕方のない部分は、むしろ水運とはあまり関係ないところにありました。最初の序文が、硯友社のメンバーでもあった、小説家・編集者である江見水蔭、いま一つの序文を、あの宮崎滔天が4ページに渡って寄せていたからです。

宮崎の序文を読むと、大陸にも数回同行したという「拾數年来の同志」香取の松本君なる人物が、「勝地案内」著者の伊藤省三氏の知人らしく、松本・伊藤両氏を訪ねて、水郷に遊ぶ下りがありました。

この交友関係の凄さ、気にならない方がおかしいというものでしょう。伊藤省三氏とはいかなる人物なのか、ちょっと興味が湧いてきたのでした。右に掲げた奥付をめくってみると、編集・発行とも伊藤氏で、版元名がありません。

こんなに立派な本なのに、まさかの個人出版物? これも驚きでしたが、奥付に手掛かりになりそうな部分を発見。印刷所が伊東氏の住所に近い、佐原町内の伊能印刷所、印刷者は伊能淸! あの伊能忠敬の伊能家と、ご親戚筋なのかしら?

というわけで、11月6日に佐原を訪ねた際、伊能忠敬記念館を見学がてら、本書を持参して、学芸員の方にうかがってみました。

学芸員さんによれば、所番地でかつて印刷所があったところはわかるものの、現在は印刷所はない。また佐原町内に住む伊能姓の人物であっても、伊能本家とはまったく血縁のない例もあるので、こちらも記念館で調べるのは難しいとのことでした。う~ん、何か手掛かりになるかと思いましたが、残念。不躾な質問にも親切にご対応いただき、ありがとうございました。

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まあ、生意気にあれこれものいいをつけた形にはなりましたが、水運時代が生み出した貴重な記録の一つであり、伊藤省三氏の利根川流域に対する郷土愛のなせるわざといっても、いい過ぎではないでしょう。特に、個人出版物としてこれだけの立派な本を、しかも佐原町内から発信し得たことは、偉業といってさしつかえありますまい。まさに、もう一つの河川航路ガイドであります。

以下、水運時代の雰囲気を味わうべく、巻末に掲げられた汽船航路別の時刻表を垂れ流し。上はメインラインたる、東京~銚子間の時刻表。蠣殻町発18時と22時の2便あり、それぞれ銚子には翌日12時20分、16時20分着。もし自分がこの時代に生きていたら、流山あたりで夜明けを迎え、早朝の利根運河を眺められる、第二便を選びたいところです。

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右は土浦~鹿島間、銚子~土浦間、左は銚子~佐原~鉾田間、銚子~高浜(次ページに続く)間と、霞ケ浦・北浦を含む下利根を網羅する航路。両ページとも各方面の汽船と、鉄道の乗り換え接続が欄外に注記されています。銚子から土浦までおおむね9時間半、何と長閑な船旅だったことでしょう。

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霞ケ浦各航路の続きと、左下は江戸川を全区間走破し、上利根は栗橋、支流筋の藤岡・古川に至る上川航路。

江戸川流頭部にある関宿水閘門は、まさにこの本が発行された大正7年に着工され、昭和2年の竣工。つまり、このころはまだ関宿棒出し(江戸川への流量を制限するため、人為的に川幅を狭めた一種の堰)の急流を越えて、川蒸気が利根川へと入っていた時代! いや~、それを思うだけで血沸き肉踊りますわ! 
上航が18時間15分、下航が10時間38分というあたり、河川航路らしいというか、江戸川の航路としての厳しさも感じられて、興味深いものがありますね。

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最後に、利根川・江戸川の分流点(正確には、二河川が直接接していない時代ですが)を控え、水陸の結節点として栄えた河港、境~両国間航路と、汽船取扱人のリスト冒頭。

たびたび触れてきましたが、「青べか物語」に「高品柾三氏」として登場する、作中でいう「浦粕」は蒸気河岸の汽船発着所経営者、高梨正三氏の高梨家が取扱人となっていた浦安、堀江が載っていなくて、ちょっとがっかり(過去ログ『川蒸気本の決定版』、『映画「青べか物語」を見て』参照)。

一瞬、内国通運が汽船事業から撤退した関係かしら、と思ったのですが、「川の上の近代」で確かめると、東京通船への売却がこの本が出た翌年、大正8年でしたから、関係はなさそうです。これに限らず、巻末のデータ編は、「航路案内」にくらべると料金表を欠くなど略式で、ここも題名どおり汽船より名勝に重きを置いた感があります。

ちなみに、山本周五郎が浦粕‥‥ならぬ浦安に住まっていたのは、昭和3年の夏から翌4年の秋にかけて(『山本周五郎の浦安』木村久爾典著より)だそうですから、東京通船の時代ということになりますね。

最後に‥‥。この「利根川勝地案内」、国立国会図書館デジタルコレクションで、全文を閲覧することができます! お好きな向きはぜひご覧あれ。

ただし、版が違う(奥付の印刷・発行月が3月から4月へ、発行日が25日から20日に、不自然に訂正されているのが妙ではある)のか、はたまた取りこぼしなのかはわかりませんが、江見水蔭の序文がなく、また航路図は収録されていません。

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タグ : 利根川勝地案内 川蒸気船

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