新砂水門の謎の穴
(『新砂水門を通る』のつづき)
●新砂水門でひとつ、以前から気になっていることがありました。右の写真中、赤い⇒で示した、ラッパ状のテーパーがついた穴…。反対側(対岸)にも、同じ穴があります。
運河側のこちらは、可動橋に信号、ゴムフェンダーとディテールが豊かで、その上本船がブチ当たったと思しき、ひしゃげた保護工も無残な姿をさらしていますから、小さな穴は埋もれがちですが、なぜか私は、この穴に吸い寄せられてしまったのです。
●荒川側にも、ご覧のとおり謎の穴が、さび色の肌を見せて、ささやかに自己主張。穴の奥は、中心と一致しておらず、上に偏っているのがわかります。
これらの用途が、今一つ見当がつかず、心のすみに引っ掛かっていたのです。排水口にしては大げさすぎるし、位置が不自然。対になっていること、扉体の内外にあるのも、何かわけがありそう。
しかもこのカタチ、どこかで見たような…。
●素朴なギモンは、昨年5月6日に訪ねた、那珂湊漁港水門(Doblog『水路をゆく』に記事があるのですが、いずれ消滅してしまうので、リンクはしません。ブログ内検索で探してみてね。)の写真を見て、氷解しました。
【撮影地点のMapion地図】
那珂湊のこれは、水門閉鎖時にチェーンが上がってきて、水門に船が衝突しないよう、通せんぼする仕組みになっているのがわかりますね。
●新砂水門の謎の穴も、恐らくこれと同じく、水門閉鎖時に穴を通してワイヤーなどを渡し、扉体を守るためのものなのでしょう。那珂湊のそれが、頻繁に閉鎖されるため、チェーンも常設で、巻上機を備えているのに対し、新砂は閉まることが少なく、あくまで緊急時のためといった位置づけなのでしょう。
どこかで見たようなカタチ、というのも、ワイヤーやチェーンを通すためとくれば、納得がいきました。本船の船首などに見られる、ムアリングホール(繋船用のロープなどを通す穴)が、ロープが擦り切れないよう、こんなラッパ型をしています。
水門のディテールも、調べてゆくと興味が尽きませんね。このあたり、国土交通省や各自治体に、水門紹介のサイトやパンフレット類の充実を、お願いしたいところです。
●そうそう、先日「新砂水門を通る」で触れた、Mapion地図上に描かれた謎の橋のような構造物ですが…。コメント欄でのがーちゃんさん(ブログ『がーちゃんフォトアルバムVol.2』)のご指摘で、Google地図でも同様に描かれていることが判明。
コメント欄ですでに書きましたが、さっそくGoogle地図を開き、近隣の水門と「謎の橋」の描かれ方をくらべてみると、どうやらコレ、橋でなく水門を描いたようなのです。
検索してみても、新砂水門前に、新たに水門を増設する話はヒットしないので、やはり謎であることには変わりはないのですが…。
●せっかくですから、航空写真と地図を見くらべてみましょう。
二つも地図を埋め込むと、ちょっと重くなりますから、まずは複写でご覧いただき、Googleへはこちらのリンクでどうぞ。

●航空写真ではもちろん、現状のとおりです。夢の島側からだけ、道の表示が水面上に伸びているのが、なんとも中途半端で、妙な感じですね。

●これが地図に表示を変えると、アラ不思議! 両岸からの張り出しと、水門らしき表示がドドンと出現。
新砂水門の、セクターゲートの形まで忠実に再現しているだけに、架空の水門が描かれていることの奇妙さが悪目立ちし、何だか、キツネにつままれたようでもあります。
●計画倒れになった水門の、まさに「夢の跡」なのか、それとも、近い将来建設される、「新・新砂水門」の姿を描いたものなのか…。はたまた、閘門バカ(もちろん私です)が随喜の涙を流す、「新砂水門閘門化計画」の完成予想図なのか…?
妄想は、とどまるところを知りません。どなたかご存知の方、ぜひご教示いただければ幸いです!
(21年4月5日撮影)
(この項おわり)
【21年5月2日追記】
●コメント欄にて、木場在住の大阪人さんより、謎の構造物についてご指摘をいただき、ほぼ謎が氷解しました。
詳細は、ぜひコメント欄をご参照いただきたいのですが、新砂水門竣工以前より、ここには可動橋(と、もしかしたらスイングゲート?)があり、撤去された後も、地図が描き直されていなかったことが判明。
●私は、近い将来の予定を描いたモノとばかり思い込んでいたので、過去の航空写真を検分するところまで、思いが及びませんでした。新しいとばかり思っていた埋立地にも、歴史があるのですね。
木場在住の大阪人さん、詳しいご指摘をたまわり、ありがとうございました!
う~ん、しかし、なぜ撤去されたものが、地図には残っているんだろう? お役所の台帳の上では、まだ稼働しているたてまえになっているのでは…とか、あれこれ妄想が広がってしまいます。
●と、ここまで書いて、ふと思い当たるところがあり、本棚の「水門工学」(技報堂出版)を開き、「代表的な高潮対策ゲート」という表を探しました。
あった!「新砂水門」の項目、昭和28年竣工のトラベリングゲートと、昭和50年竣工のダブルセクターゲートの、二種類が書いてありました。この28年竣工のものが、航空写真にも写っている、「旧・新砂水門」に違いない!
よく読んでいれば気づいたのに、これもうかつなことでした。お恥ずかしい。
肝心の、「トラベリングゲート」がいかなるものか、この本にはどこにも書いていないので、正確なところはわからないのですが、どうも運搬装置が扉体を運んできて、水門にはめ込む仕組みのことを指すようです。言わば、自走式角落しみたいなものでしょうか。
旋回橋も、人やクルマを渡すためのものでなく、扉体を運搬するリフト様の車輌が走るための、専用道と考えてよいのかもしれませんね…。

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運河側のこちらは、可動橋に信号、ゴムフェンダーとディテールが豊かで、その上本船がブチ当たったと思しき、ひしゃげた保護工も無残な姿をさらしていますから、小さな穴は埋もれがちですが、なぜか私は、この穴に吸い寄せられてしまったのです。

これらの用途が、今一つ見当がつかず、心のすみに引っ掛かっていたのです。排水口にしては大げさすぎるし、位置が不自然。対になっていること、扉体の内外にあるのも、何かわけがありそう。
しかもこのカタチ、どこかで見たような…。

【撮影地点のMapion地図】
那珂湊のこれは、水門閉鎖時にチェーンが上がってきて、水門に船が衝突しないよう、通せんぼする仕組みになっているのがわかりますね。
●新砂水門の謎の穴も、恐らくこれと同じく、水門閉鎖時に穴を通してワイヤーなどを渡し、扉体を守るためのものなのでしょう。那珂湊のそれが、頻繁に閉鎖されるため、チェーンも常設で、巻上機を備えているのに対し、新砂は閉まることが少なく、あくまで緊急時のためといった位置づけなのでしょう。
どこかで見たようなカタチ、というのも、ワイヤーやチェーンを通すためとくれば、納得がいきました。本船の船首などに見られる、ムアリングホール(繋船用のロープなどを通す穴)が、ロープが擦り切れないよう、こんなラッパ型をしています。
水門のディテールも、調べてゆくと興味が尽きませんね。このあたり、国土交通省や各自治体に、水門紹介のサイトやパンフレット類の充実を、お願いしたいところです。
●そうそう、先日「新砂水門を通る」で触れた、Mapion地図上に描かれた謎の橋のような構造物ですが…。コメント欄でのがーちゃんさん(ブログ『がーちゃんフォトアルバムVol.2』)のご指摘で、Google地図でも同様に描かれていることが判明。
コメント欄ですでに書きましたが、さっそくGoogle地図を開き、近隣の水門と「謎の橋」の描かれ方をくらべてみると、どうやらコレ、橋でなく水門を描いたようなのです。
検索してみても、新砂水門前に、新たに水門を増設する話はヒットしないので、やはり謎であることには変わりはないのですが…。
●せっかくですから、航空写真と地図を見くらべてみましょう。
二つも地図を埋め込むと、ちょっと重くなりますから、まずは複写でご覧いただき、Googleへはこちらのリンクでどうぞ。

●航空写真ではもちろん、現状のとおりです。夢の島側からだけ、道の表示が水面上に伸びているのが、なんとも中途半端で、妙な感じですね。

●これが地図に表示を変えると、アラ不思議! 両岸からの張り出しと、水門らしき表示がドドンと出現。
新砂水門の、セクターゲートの形まで忠実に再現しているだけに、架空の水門が描かれていることの奇妙さが悪目立ちし、何だか、キツネにつままれたようでもあります。
●計画倒れになった水門の、まさに「夢の跡」なのか、それとも、近い将来建設される、「新・新砂水門」の姿を描いたものなのか…。はたまた、閘門バカ(もちろん私です)が随喜の涙を流す、「新砂水門閘門化計画」の完成予想図なのか…?
妄想は、とどまるところを知りません。どなたかご存知の方、ぜひご教示いただければ幸いです!
(21年4月5日撮影)
(この項おわり)
【21年5月2日追記】
●コメント欄にて、木場在住の大阪人さんより、謎の構造物についてご指摘をいただき、ほぼ謎が氷解しました。
詳細は、ぜひコメント欄をご参照いただきたいのですが、新砂水門竣工以前より、ここには可動橋(と、もしかしたらスイングゲート?)があり、撤去された後も、地図が描き直されていなかったことが判明。
●私は、近い将来の予定を描いたモノとばかり思い込んでいたので、過去の航空写真を検分するところまで、思いが及びませんでした。新しいとばかり思っていた埋立地にも、歴史があるのですね。
木場在住の大阪人さん、詳しいご指摘をたまわり、ありがとうございました!
う~ん、しかし、なぜ撤去されたものが、地図には残っているんだろう? お役所の台帳の上では、まだ稼働しているたてまえになっているのでは…とか、あれこれ妄想が広がってしまいます。
●と、ここまで書いて、ふと思い当たるところがあり、本棚の「水門工学」(技報堂出版)を開き、「代表的な高潮対策ゲート」という表を探しました。
あった!「新砂水門」の項目、昭和28年竣工のトラベリングゲートと、昭和50年竣工のダブルセクターゲートの、二種類が書いてありました。この28年竣工のものが、航空写真にも写っている、「旧・新砂水門」に違いない!
よく読んでいれば気づいたのに、これもうかつなことでした。お恥ずかしい。
肝心の、「トラベリングゲート」がいかなるものか、この本にはどこにも書いていないので、正確なところはわからないのですが、どうも運搬装置が扉体を運んできて、水門にはめ込む仕組みのことを指すようです。言わば、自走式角落しみたいなものでしょうか。
旋回橋も、人やクルマを渡すためのものでなく、扉体を運搬するリフト様の車輌が走るための、専用道と考えてよいのかもしれませんね…。

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コメント
謎の構造物
Re: 謎の構造物
>木場在住の大阪人さん
なるほど、昔あったモノが描いてあったのですね。これで謎が氷解しました!
詳しくお調べくださり、本当に嬉しいです、ありがとうございました!
さっそく記事で紹介させていただきます。
なるほど、昔あったモノが描いてあったのですね。これで謎が氷解しました!
詳しくお調べくださり、本当に嬉しいです、ありがとうございました!
さっそく記事で紹介させていただきます。
Re: 謎の構造物
>外輪太郎さん
木場在住の大阪人です。
お役に立てて何よりです。
「自宅に居ながら、過去の航空写真が見られるとは、便利になったものだ。。」と「謎の構造物」の謎を解明(?)した満足感に浸りつつ、引続き、国土交通省のWebサイトをウロウロしていると(普段はこんなに官公庁のサイトを見る事は無いのですが…)、国土地理院のサイトで更に過去の航空写真を公開していました。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/
そこで、昨日の続きで「謎の構造物」=「旧・新砂水門」の更に昔の航空写真を。。。
<昭和38年(1963年)の航空写真>
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=MKT636&courseno=C10&photono=26
ずいぶん、水面の多い時代で、逆に「旧・新砂水門」の存在が際立っています。
このサイトで更に過去の写真もあったのですが、水門どころか、埋立前で陸地がありませんでした。(^_^;)
(旧新砂水門が昭和28年(1953年)竣工との事なので、本当は年代的に写っている写真があっても良いと思うのですが、、、)
>う~ん、しかし、なぜ撤去されたものが、地図には残っているんだろう?
まったく同感です。どんどん妄想が広がります。
木場在住の大阪人です。
お役に立てて何よりです。
「自宅に居ながら、過去の航空写真が見られるとは、便利になったものだ。。」と「謎の構造物」の謎を解明(?)した満足感に浸りつつ、引続き、国土交通省のWebサイトをウロウロしていると(普段はこんなに官公庁のサイトを見る事は無いのですが…)、国土地理院のサイトで更に過去の航空写真を公開していました。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/
そこで、昨日の続きで「謎の構造物」=「旧・新砂水門」の更に昔の航空写真を。。。
<昭和38年(1963年)の航空写真>
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=MKT636&courseno=C10&photono=26
ずいぶん、水面の多い時代で、逆に「旧・新砂水門」の存在が際立っています。
このサイトで更に過去の写真もあったのですが、水門どころか、埋立前で陸地がありませんでした。(^_^;)
(旧新砂水門が昭和28年(1953年)竣工との事なので、本当は年代的に写っている写真があっても良いと思うのですが、、、)
>う~ん、しかし、なぜ撤去されたものが、地図には残っているんだろう?
まったく同感です。どんどん妄想が広がります。
No title
おおお、過去のものでしたか。
それに気がつかれたのはすごいですね。
ちなみにうちにある印刷の地図(アルプス社2004年発行)にも書かれていました。
ベースとしている地図に書かれているのでしょうね。そのままいつまで載っているか見守るのも面白そう。あはは
そうそう、国土地理院の2万5千分の1の地形図には載っていませんでした。
それに気がつかれたのはすごいですね。
ちなみにうちにある印刷の地図(アルプス社2004年発行)にも書かれていました。
ベースとしている地図に書かれているのでしょうね。そのままいつまで載っているか見守るのも面白そう。あはは
そうそう、国土地理院の2万5千分の1の地形図には載っていませんでした。
Re: Re: 謎の構造物
>木場在住の大阪人さん
重ねてお調べくださり、ありがとうございました。お知らせいただいた航空写真を見ていると、砂町北運河が、貯木場として使われていたりするのが見られ、興味深く拝見しました。埋立地にも歴史アリということを痛感させます。
今回ご指摘いただいて、改めて「旧・新砂水門」に興味がわいてきました。機会があったらぜひ、地上から撮ったこの水門の写真を見てみたいですね。土地柄、一般の人が写した可能性は低いですから、旧建設省の竣工写真などが、ウェブ上などに公開されない限り、なかなか難しいかもしれません。
竣工年については、私もほかに資料がないので、何とも申し上げられません。埋め立て開始以前の竣工となれば、誤植という可能性も出てきますが、さて、真相はいかがでしょうか…。
重ねてお調べくださり、ありがとうございました。お知らせいただいた航空写真を見ていると、砂町北運河が、貯木場として使われていたりするのが見られ、興味深く拝見しました。埋立地にも歴史アリということを痛感させます。
今回ご指摘いただいて、改めて「旧・新砂水門」に興味がわいてきました。機会があったらぜひ、地上から撮ったこの水門の写真を見てみたいですね。土地柄、一般の人が写した可能性は低いですから、旧建設省の竣工写真などが、ウェブ上などに公開されない限り、なかなか難しいかもしれません。
竣工年については、私もほかに資料がないので、何とも申し上げられません。埋め立て開始以前の竣工となれば、誤植という可能性も出てきますが、さて、真相はいかがでしょうか…。
Re: No title
>がーちゃんさん
がーちゃんさんの調査報告(笑)を受けて、私も見てみました。
航行時にハンディマップとして愛用している、文庫版の区分地図「東京23区プラス」(人文社・01年)を開いてみると…。
描いてありませんでした!
こうしてチェックしてゆけば、各社のウェブ地図が原典としているものが、わかってしまいそうですね。
おっしゃるとおり、私も生暖か~く(笑)見守ることにします。
がーちゃんさんの調査報告(笑)を受けて、私も見てみました。
航行時にハンディマップとして愛用している、文庫版の区分地図「東京23区プラス」(人文社・01年)を開いてみると…。
描いてありませんでした!
こうしてチェックしてゆけば、各社のウェブ地図が原典としているものが、わかってしまいそうですね。
おっしゃるとおり、私も生暖か~く(笑)見守ることにします。
砂町水門について
初めまして!
70年代の特撮番組のロケ地についてのブログを運営している者ですが、
砂町水門について調べていたのですが、
外輪太郎様のこちらの記事を参考にさせていただき、
無事自分なりの記事にまとめることができました。有り難うございました。
番組からのキャプチャ画像ではありますが、当時の砂町水門が映っています。
もし興味がございましたら!
http://looking4locations.blogspot.com/2012/02/3.html
70年代の特撮番組のロケ地についてのブログを運営している者ですが、
砂町水門について調べていたのですが、
外輪太郎様のこちらの記事を参考にさせていただき、
無事自分なりの記事にまとめることができました。有り難うございました。
番組からのキャプチャ画像ではありますが、当時の砂町水門が映っています。
もし興味がございましたら!
http://looking4locations.blogspot.com/2012/02/3.html
Re: 砂町水門について
>MGGさん
おおお、持ち上げられたトラベリングゲートがバッチリ写っていますね!
扉体の色もわかりますし、本当に貴重な映像です!
わざわざお知らせいただき、ありがとうございました!
おおお、持ち上げられたトラベリングゲートがバッチリ写っていますね!
扉体の色もわかりますし、本当に貴重な映像です!
わざわざお知らせいただき、ありがとうございました!
コメントの投稿
数年前に大阪から江東区木場に引っ越してきて、近所にある扇橋閘門の事を調べていたらこのサイト(正確にはDoblogの方ですが(^_^;))を見つけました。
以来、時々拝見しています。
謎の構造物の事をみて、私も興味を持ったので、色々調べてみると、「国土交通省Webマッピングシステム」というものがあり、ここで昔(歴代)の航空写真を閲覧できることがわかりました。
http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/index.html
そこで時代をさかのぼると、
<昭和59年の航空写真>
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CKT-84-3&PCN=C13C&IDX=5
>>ほぼ現在の姿です。
<昭和54年の航空写真>
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CKT-79-4&PCN=C13B&IDX=20
>>ありますっ!!謎の構造物が!!(゜o゜) そして、、
<昭和49年の航空写真>
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CKT-74-15&PCN=C32&IDX=50
>>新砂水門がありません!!(新砂水門は昭和51年竣工・・港湾局Webによる)
そして問題の謎の構造物の場所には、水門(可動橋?)らしきものが!?
とりあえず、調べたのはここまでです。(余計謎が深まったのかも知れませんが)
ここからは想像ですが、新砂水門を建設したことで、元の水門(可動橋?)を撤去したのだと思います。(昭和49年の写真をよく見ると、謎の構造物の左上の水面上で工事している場所あり、最近の写真と比較すると、ここが後に新砂水門のセクターゲートになる場所の様です。)
そして、MapionやGoogleの地図は、未来の地図ではなく、なぜか過去の地形が消えずに残っていると思いますが。
残念ながら、閘門化計画ではなかったようです。(^_^;)
追伸、Doblogの件、ご愁傷様です。