鹿瀬ダムにインクラインがあった!
(『鹿瀬ダム拝見』のつづき)
●鹿瀬ダムに興味がわいてきて、昔の絵葉書を物色していたところ、幸いイイ感じのもの数枚に出会うことができました。用紙、印刷の雰囲気とも似ていることから、セットものだったのかもしれません。ちなみに、宛名・通信欄比率は全て1:1です。
●まず目に入ったのは、放水中のゲートをアップでとらえた一枚。今とは異なる、竣工当初のディテールがわかりますね。
巻上機室の上屋がなく、露天だったこと、扉体も現行のものと違って、裏側にもスキンプレート様の板が張られているようです。扉体を上下するチェーンの一つ一つまで、明瞭に写っていますね。遊覧船から見たかぎりでは、今のはワイヤーだったように見えましたが、更新時に造り替えられたのでしょうか。
穏やかに眺められたのはここまで、次を眺めた瞬間、狼狽(?)することになりました。

●えっ。 「インクライン機械室」!?
インクラインの単語を見て脊髄反射的に想像してしまうのは、もちろん舟航施設としてのそれ。
「イヤイヤイヤ、インクラインといっても船を通すそれとは限るまい、単なる貨物用ケーブルカーかもしれないし。これは船頭をぬか喜びさせる甘い罠に違いない!」
最終段らしい巨大なスパーギヤ、並列するブレーキドラムと思しき何か、手前に頭をのぞかせる原動機といった、らしいディテールを味わいながらも、後でがっかりさせられたらたまらんわいと、独りかたくなになっておりました。
が‥‥‥‥。

●あばばばばばばばばば(←周章狼狽するさまをひょうげん)
こっここれ舟航用インクラインじゃないの?!
前回、「このくらいの堤体高さだと、『閘門があれば、通船ができそうだな!』と、あらぬ方に妄想が及」んだやつがれでありましたが、現実は妄想の斜め上を行っていたことが判明、イヤもうたまげるやら嬉しいやら。30m超の水位差を克服し、通船させるダムが国内にあったなんて! この絵葉書を見るまで、全く存じませんでした、はい。
●興奮も少しさめてから写真を検分すると、周囲に資材が散らかっているところから見て、建造中の様子を写したものと思われます。台車は写真のようにフラットなままだと、水没したとき舟の目標になるものがなく、位置決めしづらいでしょうし、強度的にも不安な感じがしますから、蹴上のそれのように、両脇にトラス構造を設けた姿が完成形と考えたのですが、いかがでしょうか。
さて、この台車が上り下りする、線路が敷かれた位置は、どのあたりだったのでしょうね。今回対岸に見えた、鹿瀬発電所の向こうか、現在第二発電所のある、西岸のどこかだったのか‥‥。ここでもう一枚を眺めてみたら、左の隅にそれらしきものが!

●西岸のこれ(⇒)だよね?
30m超を乗り越すとあって、最高点付近で東へ大きく屈曲した、結構な線路延長です。見たかぎりでは、蹴上や伏見のような複線でなく、単線のようですね。切通し区間には、細い跨線橋らしきものが2か所あり、下流側の船溜には、斜めに浮いている舟らしき姿も見えます。
●この写真を目にすればいやでも、思い描かざるを得ません。20門のゲートが織りなす、人工の大瀑布の轟音を耳にし、間近に望みながら、「舟、山に登る」を体現するひととき!
想像するだに身震いするような、素晴らしい舟航風景が展開されていたことでしょう! そして、このような巨大ダムが建設されてなお、無視しえなかった通船量が当時はあった、というあたりにも、胸を熱くしてしまうのです!
●残念ながら、鹿瀬ダムのインクラインについて述べた資料を未見のため、諸元についてはわかりません。今はただただ、ここに大規模な舟航施設がかつてあった、それを写真で知り得たということがたまらなく嬉しく、とり急ぎ、垂れ流させていただいた次第です。
(28年5月28日撮影)
(『道の駅「阿賀の里」に向かう』につづく)

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●まず目に入ったのは、放水中のゲートをアップでとらえた一枚。今とは異なる、竣工当初のディテールがわかりますね。
巻上機室の上屋がなく、露天だったこと、扉体も現行のものと違って、裏側にもスキンプレート様の板が張られているようです。扉体を上下するチェーンの一つ一つまで、明瞭に写っていますね。遊覧船から見たかぎりでは、今のはワイヤーだったように見えましたが、更新時に造り替えられたのでしょうか。
穏やかに眺められたのはここまで、次を眺めた瞬間、狼狽(?)することになりました。

●えっ。 「インクライン機械室」!?
インクラインの単語を見て脊髄反射的に想像してしまうのは、もちろん舟航施設としてのそれ。
「イヤイヤイヤ、インクラインといっても船を通すそれとは限るまい、単なる貨物用ケーブルカーかもしれないし。これは船頭をぬか喜びさせる甘い罠に違いない!」
最終段らしい巨大なスパーギヤ、並列するブレーキドラムと思しき何か、手前に頭をのぞかせる原動機といった、らしいディテールを味わいながらも、後でがっかりさせられたらたまらんわいと、独りかたくなになっておりました。
が‥‥‥‥。

●あばばばばばばばばば(←周章狼狽するさまをひょうげん)
こっここれ舟航用インクラインじゃないの?!
前回、「このくらいの堤体高さだと、『閘門があれば、通船ができそうだな!』と、あらぬ方に妄想が及」んだやつがれでありましたが、現実は妄想の斜め上を行っていたことが判明、イヤもうたまげるやら嬉しいやら。30m超の水位差を克服し、通船させるダムが国内にあったなんて! この絵葉書を見るまで、全く存じませんでした、はい。
●興奮も少しさめてから写真を検分すると、周囲に資材が散らかっているところから見て、建造中の様子を写したものと思われます。台車は写真のようにフラットなままだと、水没したとき舟の目標になるものがなく、位置決めしづらいでしょうし、強度的にも不安な感じがしますから、蹴上のそれのように、両脇にトラス構造を設けた姿が完成形と考えたのですが、いかがでしょうか。
さて、この台車が上り下りする、線路が敷かれた位置は、どのあたりだったのでしょうね。今回対岸に見えた、鹿瀬発電所の向こうか、現在第二発電所のある、西岸のどこかだったのか‥‥。ここでもう一枚を眺めてみたら、左の隅にそれらしきものが!


30m超を乗り越すとあって、最高点付近で東へ大きく屈曲した、結構な線路延長です。見たかぎりでは、蹴上や伏見のような複線でなく、単線のようですね。切通し区間には、細い跨線橋らしきものが2か所あり、下流側の船溜には、斜めに浮いている舟らしき姿も見えます。
●この写真を目にすればいやでも、思い描かざるを得ません。20門のゲートが織りなす、人工の大瀑布の轟音を耳にし、間近に望みながら、「舟、山に登る」を体現するひととき!
想像するだに身震いするような、素晴らしい舟航風景が展開されていたことでしょう! そして、このような巨大ダムが建設されてなお、無視しえなかった通船量が当時はあった、というあたりにも、胸を熱くしてしまうのです!
●残念ながら、鹿瀬ダムのインクラインについて述べた資料を未見のため、諸元についてはわかりません。今はただただ、ここに大規模な舟航施設がかつてあった、それを写真で知り得たということがたまらなく嬉しく、とり急ぎ、垂れ流させていただいた次第です。
(28年5月28日撮影)
(『道の駅「阿賀の里」に向かう』につづく)

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