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日和山公園と山居倉庫

(『下瀬閘門を訪ねて』のつづき)

183116.jpg江戸から明治にかけて、最上川舟運がもたらした富を、内貿海運である北前航路への中継ぎをすることで栄えてきた酒田は、いわば水運によって一時代を築いた街です。

当然、往時をしのばせる史跡がいくつも残っているわけですが、今回は代表的ともいえる二つ、日和山公園と山居倉庫を訪ね、この小旅行の締めとしました。

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日和山はその名のとおり、観天望気‥‥すなわち入出港するフネブネに役立たせる天気予報をするために、港や海を見渡せる高台を整備したもので、かつて大型和船で賑わった各地の港町に残っています。いわば航海安全のための施設ですね。

高台とあって、夜間設備たる灯明台(灯台)を併設したところも少なくなく、ここ酒田の日和山もその例に漏れません。台座を持った立派な灯明台が、美しく整備されていました。塔柱には「常夜燈」と大きく刻まれ、その下には右書きで「讃 廻舩安全」とあります。説明によると、文化10(1813)年、酒田の廻船問屋と、船頭衆の寄進によって建立されたとのこと。

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灯明台を右に見て奥へ進むと、東屋のある見晴らしのよさそうな一角が。ここなら港を一望できそうと、足早に駆け寄ると‥‥。

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東屋の右側に、方角石がありました! 日和山を日和山たらしめる、いわば不可欠の施設です。江戸期の船磁石と同様、十二支で方角が刻んであるのがわかりますね。ああ、干支の方位表示っていいなあ。既製のコンパスにも、干支方位併記のものがあったら、ゼヒ我が艇に装備したい!

ここに立って観天望気をした名人は、引退した老船頭だったのでしょうか。かつて、冬季の海上交通はほぼ途絶したという日本海航路、春まだ浅い時期、ここから海を望んで、最初の入港船を待ち焦がれた旦那衆の姿もあったに違いない‥‥と妄想。

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さて、日和山の中心であるここからの眺めは如何、と手すりにもたれると、木立が少々邪魔しているものの、なかなかの眺め。写真に写っているのは、おおむね北西から真西の範囲です。

右手に見える白い灯台は、通称「六角灯台」といい、現存最古の近代木造灯台なのだとか。ここから北西39kmには離島、飛島があり、連絡船も出ているとのこと。一度訪ねてみたいものです。

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眼下に広がる港内には、フネブネの魅力的な姿が見られました。右から順番に見てゆきましょう。

「大山600-32」、これは東京港でも見られる、コンクリートケーソンを造る浮きドックですね。手前にはハーバー・タグ、「六甲丸」の姿も。

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船名はわかりませんでしたが、「株式会社 丸高」の看板を掲げたクレーン船。甲板には、可愛らしい小型曳船2隻がちょこんと積まれていました。

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おお、これは! PS-201・巡視船「つるぎ」! 最高速力40ktオーバーの韋駄天、不審船対策のために建造された、高速特殊警備船タイプのネームシップですね。日本海側ならではの船影が拝めるのは、嬉しいものです。

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木立の間を抜けて日和山のふもとに出ると、そこは気持ちのよい広場でした。斜面まで芝生が広がり、子供たちが走り回っています。

左手には泉水があつらえてあるのですが、ここに設けられているものが実に的を射ていて、「さすが日和山公園!」と、膝を叩いたものでした!

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池の真ん中に、北前型弁財船の大型模型が! 

橋が架けられていることからして、乗って遊べる遊具の一種らしいと見当がつきましたが、少なくとも外見は白木の質感や、船底の漆塗りなどもよく再現されていて、結構リアルに感じられたものです。入ってもいいのかな?

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橋の門柱には鎖が渡されていて、どうも入れないようですね。注意書きを読むと、「千石船の帆が上がっているときに乗船できます」‥‥むう、残念! しかし、帆を上げて合図するなんて、また粋なはからいをするものですね、ますます気に入った! 

ちなみにこの北前船模型(約2分の1縮尺だそう)、西回り航路の開発者、河村瑞賢を顕彰して造られ、池は北前船の活躍した日本海を、手前の花壇は寄港地のあった本州・北海道の形を模しているのだそう。いや、面白い! 和船趣味の遊具なんて、そうそうあるものではありません。

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日和山公園と並ぶ、いま一つの水運趣味スポットは、山居(さんきょ)倉庫です。「下瀬閘門跡を訪ねて」でも触れた、酒田の中心的河岸地である、新井田川畔に設けられた木造米穀倉庫群。

うち南側2棟が、飲食店を併設した物産館ということもあり、かなりの賑わいを見せていました。ここで遅い昼食をとることに。

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こちらは西側、河畔から見れば川裏ということになります。炭化処理したのでしょうか、ずらりと並ぶ墨色の板壁は圧巻。冬の強い季節風を防ぐために植えられた、がっしりと頼もしいケヤキ並木と合わせ、各所で紹介されている光景なので、ご存知の方も多いでしょう。

もちろん修復はされているとはいえ、この木造倉庫群が、明治26(1893)年築というのですから驚きです。また、物産館として開放されている南側2棟と、資料館である北側1棟を除き、米倉庫としては今なお現役(舟運ではなく、トラック輸送ですが!)と聞いて、2度ビックリ! 明治の大型木造建築が現役だなんて、素晴らしいことじゃないですか。

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何しろ河川舟運全盛期の建築とあって、トラック化された今も、往時の面影をそこここに残しているのが、水運趣味者としてはタマランものがあるわけであります。上の写真もその一つ。

こちらからでは陰になっているので、単なる川表に開いた路地のように見えるでしょう。これを河畔側から眺めると‥‥。

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見事な石畳のスロープ! これが立ち入り禁止でなく、自由に歩いて堪能できるのも素晴らしい。ちなみに水際も、ちょうど基礎護岸のように石材で固められていて、往時を彷彿するに余りあるものがあります。

ちなみに現役時は、倉庫からここまで、木造の屋根が渡り廊下風に設けられていたとのこと。作業性と品質の維持を考えに入れた、今風にいえば全天候型の優れた施設だったのでしょう。

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石畳のスロープは2つあり、もう1本はかつて米の輸送に活躍した和船、小鵜飼舟の実物が小屋掛けされて展示してありました。箱造りの船尾、大きさのわりに深い喫水、下瀬閘門の絵葉書に写っていた舟は、これだったのですね。

帆走もできますが舵はなく、櫂で操船したそうで、関東の川舟とは違った古様を残しているところに興味を惹かれます。最上川下流部では、明治になってから主に用いられたとのことで、下瀬閘門の写真にも登場しているくらいですから、舟運最末期まで現役だったのでしょう。

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北側の1棟にある、「庄内米歴史資料館」も駆け足で見学させてもらいました。その名のとおり、山居倉庫が集め、送り出してきた庄内米についての展示が主力ですが、何より船頭的に惹かれたのは、竣工間もないころの山居倉庫を再現した大型情景!

米俵を満載し、はるばる最上川の各地から下ってきた小鵜飼や艜(ひらた)が、先ほど見たスロープに横付けし、続々と荷揚げする活気にあふれた河岸風景、まさに圧巻! これだけで(他の展示をろくに見なくてごめんなさい‥‥)、入館した甲斐があったというものです。

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資料館から出ると、人道橋・山居橋が架かっているのが見えました。鋼桁橋ながら、木造風に装飾して、倉庫と違和感のないよう気遣ったデザインです。

下を流れる新井田川には、河畔に多くの釣船や屋形船がもやい、今なお可航河川として活用されているのが見てとれました。舟運で倉庫に米を搬入した時代は、遠く過ぎ去りましたが、船影濃い川景色を目にして、何か救われたような気分になったものです。
撮影地点のMapion地図

(27年11月22日撮影)

(この項おわり)

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タグ : 酒田港巡視船和船日和山公園山居倉庫新井田川

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