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松川の舟通しと和船のことなど

(『松川遊覧船ふたたび…5』のつづき)

175176.jpg松川遊覧船の中村珠太専務にうかがったお話と、著書「神通川の河川文化~川魚漁と川舟から~」を参考に、気になる松川舟通しをはじめ、松川で見たご当地の和船について、以下にまとめさせていただきました。

松川舟通し! いやもう、想像をはるかに超えた、驚異の舟航施設(?)といってもいい過ぎではありませんでした!
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私の感想は後にして、まずは舟通しの件を箇条書きにまとめてみましょう。

イ)松川舟通しの構造について
1)前扉(松川側扉体)のみ、リモコンで舟上から開閉操作ができる。後扉(神通川側扉体)は機側操作のみ。
2)前扉は下げることで開く。下の写真の状態は半ば閉じた状態で、全閉するともう少し上がる。

ロ)松川舟通しの運用について
1)通常は前扉のみ下げて通航する。面倒なので下げずに乗り越すこともあり。同様の理由で後扉もほとんど操作しない。
2)本来は前扉をもっと上げて、松川の流量を確保しなければならないが、やはり面倒なのでそのまま。

ハ)高水敷の水路について
1)舟を押すなり、ロープで引くなりして出入りしている。水深や段差の点は、舟が軽量なので問題でない。
2)かつては現在のように曲流しておらず、もっと直線に近い流路で、神通川の上流に向けて伸びていた。


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いやもう、何が驚いたって、一番びっくりしたのはイ-2! 
このゲート、下げて開くんだ!

こういった造りの扉体を、何と呼んだらよいのでしょう? 水面下に沈むことで開く扉体といえば、大阪で見た閘門のサブマージブル・ラジアルゲート(『東横堀川閘門…1』参照)が思い出されましたが、この伝でいくと、「サブマージブル・スライドゲート」とでも呼ぶべきなのでしょうか。

いや、起伏ゲートやライジングセクターゲートなど、「沈んで開放する」構造の水門はいくつもあるものの、ローラーゲート・スライドゲートのように、一枚板が上下するタイプで実見したのは初めてだったので、驚かされたのです。

そうなると、「富山の極小閘門! 松川舟通し水門…4」で、「呑口の洗掘を防ぐためか、鋼矢板の基礎護岸が追加されて」と書いたのは、大いなるカン違いだったことになります。下がった扉体が収まるだけの、いわば戸袋の深さを確保するためのものと、見てよいでしょう。階壁(『超狭小閘門! 西天竜頭首工舟通し…2』参照)の一種といってもよいかもしれません。

しかし、閘門などの舟航施設で、下げて開放する扉体って、全国にどのくらいあるのでしょう。通航時に扉体から降ってくる滴に悩まされない、という意味では、閘門に適したタイプともいえそうです。全没が常態なのは、メンテナンスの面から見ると難がありますが、ローラーゲートやスライドゲートなら、堰柱を高めに造っておき、水面上に引き上げられるようにすることで、解決できそうですね。以上、妄想でした‥‥。

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ロ-1と2、閘門としてほぼ運用されていない、というお話には、閘門ファンだけに正直がっかりしましたが、それを補って余りある(?)のが、「面倒だから」操作をほとんどせず、扉体すらも乗り越えてしまう、というところ! 失礼ながら笑ってしまったのですが、ここ、実は大事なところではないでしょうか。

つまり、設備を造った側と使う側に、認識の隔たりがあったということでしょう。ままあることではありますが、難しいものですね。それにしても、松川の漁舟が軽量かつ頑丈であることには驚かされます。浅瀬の多い神通川に出漁する中で、長年に渡り改良が加えられてきた、その結果の船型なのでしょうか。

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NJ-53-5-16(昭和45年5月22日撮影・国土地理院・空中写真閲覧サービス

上げたままの扉体もゴリゴリ乗り越えるくらいなら、あの浅い、がっちり固められた高水敷の水路を舟曳きで引きずって歩くくらい、想定内ということになります。ハ-2のお答えで、元から屈曲させていたのでは、という予想は外れたものの、水位差解消のため水路を長く取っていたのは、今と同様であったことがわかりました。

実際に見てみたくなり、国土変遷アーカイブの空中写真をお借りして、確かめてみたところ‥‥本当だ! 神通川上流(画面下)に向かって、うねうねと出入りのための水路が伸びている! 下に再掲したGoogleマップのそれ(『富山の極小閘門! 松川舟通し水門…3』より)とくらべると、180度の大屈曲の半ばあたりから上流側に向かっており、今より少し長い感じがします。

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ホンモノのGoogleマップで松川舟通し水門付近を見る(上は単なる画像)

高水敷の水路延長で、水位差をできるだけ小さくする‥‥。「沈む扉体」と並び、改めて、舟航施設としての特異さが感じられる部分ではありました。他にもあるのかなあ‥‥。

「神通川の河川文化」によれば、神通川の河床低下でかつてより出入りが大変になり、最近では、トラックで舟を神通川まで運ぶ漁師さんもおられる、という記事がありました。浅瀬や落差もものともしない堅固さがあるとはいえ、やはり松川からの出漁は難儀ではあるようです。

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さて、松川に多数もやわれていた、FRP和舟の件です。「神通川の河川文化」は、この舟たちについて、多くのページを割いていました。

私が目にしたものはFRPのみでしたが、元はもちろん木造で、「ササブネ」と総称される、ご当地特有の船型だそうです。戸立ての船首に、舷側を一階造りにするスタイルは、木造・FRPとも変わりないようで、もっぱら棹と櫂で操船し、艪は用いないのが特色の一つでした。

このササブネ、漁舟だけでなく輸送用タイプもあり、オオブネ、チュウブネ、コブネといった具合に、サイズによって呼び方と用途が変わったのだそう。ちなみに川魚漁には主にコブネを用い、砂利やお米などを運ぶのはオオブネ。

長さはそれぞれ約7.8m~8.2mと、あまり変わらないものの、最大幅は約1m~1.8mと差がついており、長さ/幅比によって使い分けていたことがわかります。オオブネは帆装もあって、岩瀬から神通川を遡上する際は、帆を掲げたとのことでした。地域輸送の主役でもあった舟なのですね。諏訪湖の泥舟(『諏訪湖の船溜と泥舟』参照)を思い出させるものがあります。

そうそう、松川水門下流で見た上の写真の舟ですが、中村氏によるとまだ現役で、月に一回、松川の清掃に使用されているとのことでした。露天繋留にしては、舟の中に雨水が溜まっていなかったので、もしやと思ったら、やはり使われていたのですね。

中村氏のお話では、安野屋橋や松川橋の下にもやってあるササブネ群は、ほとんど使われておらず、舟通しを通る舟も、今やほんの数隻だろう、とのこと。帰宅後に頂戴したメールでは、
「松川にこれだけのササブネがもやわれた状態というのも、いつまで続くかわかりません。近い将来消えて無くなってしまうでしょう。とても寂しいですね。」とのコメントがありました。

私も8年前にお世話になった、松川遊覧船の棹舟を操っていた船頭さんは、引退したササブネの漁師さんだったとのことですから、お気持ちは察するに余りあります。松川で長年仕事をされてきた、中村氏ならではの言葉と思いました。

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平成18年9月27日・中村孝一氏撮影

中村氏には、富山市の水辺観光の黎明期より関わってきた船社ならではの、貴重な写真をいくつも拝見させていただいたのですが、ここでお送りいただいた写真の中から、特に興味深かったものを一枚、紹介させていただきます。
富岩運河を走る「滝廉太郎Ⅱ世号」から撮った、水面貯木の筏! これ、見てみたかったんですよねえ‥‥。

8年前に中島閘門を訪ねた際、下流に筏を遠望したこともあって、今回、富岩水上ラインに乗れば、筏が見られると期待したのですが‥‥。すでに紹介したとおり時すでに遅し、水面貯木は廃止されていたというお粗末。せめてお借りした写真で、貯木場として活用されていたころの運河を、偲ばせていただきましょう。

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(富山名勝)富岩運河と立山連峯
宛名欄・通信欄比率1:1。

これは本記事のお題と関係ありませんが、手元にある中で、今のところ唯一の富岩運河を写した絵葉書なので、ついでに掲げさせていただきます。
水面の広さと、護岸や法面の様子からして、船溜(現環水公園)のどこかであることは間違いなさそうです。立山連峰が見えるので、北側からほぼ南西側からほぼ東を見たことわかりますが、厳密な位置はどうでしょう、右手の階段が決め手になりそうですね。

白く陽光を反射し、まだ真新しそうな護岸のコンクリートには、フェンダーがズラリと取り付けられています。法面には道らしいものもなく、建物もまばらで、いかにも竣工間もない新開地といった雰囲気。目立つのは左に見える「ケロリン」の看板のみというのが、何とも富山らしい感じがします。


8年ぶりの富山、念願かなって富岩運河で船に乗れたのはもちろん、ハートわしづかみのディープな諸々と出会えて、芯から堪能させていただきました。

特に舟通しとササブネの群れは、予想だにしなかっただけに嬉しさも一層で、新たな魅力に目覚めた思いすらしたものです。さらに中村氏のご教示のおかげで、楽しさがいや増し、さらに印象深いものになったのは、いうまでもありません。船頭の不躾な質問やお願いを、快く聞き届けてくださった中村氏に、この場を借りて改めて御礼申し上げます!

(27年6月20日撮影)

(この項おわり)


【9月2日追記】
中村珠太氏より、追加の情報とご指摘がありました。つい先日、引退された川漁師さんにうかがったお話だそうです。
扉体が自動復帰式に改良されたというところが、特に興味を惹かれますね。
ご丁寧にご教示いただき、ありがとうございました!

(松川舟通しについて)
・近年前扉の改修があり、主な改修点は以下のとおり。
1)改修前は、写真の状態よりもう少し扉体が上げられたが、現在は写真の位置が全閉。
2)改修前は動作が悪いことがたびたびあり、そのため扉体を下げずに乗り越すことがあった。
3)扉体は下げてから一定時間経過すると、自動的に復帰して上がる仕組みになった。

・なお、「富山の極小閘門! 松川舟通し水門…4」で触れた扉体上端のゴム引きシートは、全開時も生じるわずかな段差を覆って、船底を傷つけずに滑らせるため設けられている。

(富岩運河の絵葉書について)
・撮影地点は、牛島閘門の運河側出入口の水路があるところ。
・階段は水面にアクセスするための雁木で、かつてはササブネの荷揚場として使われていた。
・雁木は環水公園の整備時に撤去された。

・あと一つ、これは私の間違い。立山連峰は富山市街地から見てほぼ東側でした、ごめんなさい。お詫びして訂正します。

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タグ : 松川富岩運河松川舟通し絵葉書・古写真

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