「水都号」が気になる!

川や運河を走るフネブネの姿をとらえた絵葉書を、惹かれるままに集めているのは相変わらずなのですが、意外とご縁がないのが、大阪の川舟たちや水路風景を題材にした絵葉書です。

国内を代表する水路の街であることを、自他ともに認めてきた大阪のことですから、その手の絵葉書が少ないはずはなく、単に私が見落としているか、ご縁が薄いだけなのだと思いますが、それでも何枚かの川景色やフネブネを写した絵葉書が、手元に集まってきました。中でも気になったのが、以下の3枚に写っていた船のことです。

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中央公会堂の重厚な姿と、美しく整備成った水辺をバックに快走する、純白の船。遠いのでディテールは判然としませんが、どこかつるりとした、スマートなデザインの船であることは写真からも見て取れます。

キャプションには「観光艇」‥‥。これだけでは何とも、素性のわかりようがありません。しかし、昭和戦前の大阪の川で、格好のよい観光用の船が就航していたことを知って、楽しい気分になったのでした。

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次に見つけたのは上の絵葉書。あっ、この間も見た船だ! 背後のテラスには「観光艇のりば」と書かれた看板が掲げられ、船着場に達着中であることがわかりますね。今度はだいぶ近寄って撮られたものだったため、ディテールがかなり判別できます。

全体に丸みをおびた、当時流行の流線形を意識したと思しき外観です。操舵室は客室より一段高く造られ、後ろにもスリット状の窓が設けられているあたり、曲線を取り入れた窓の形と調和して、なかなか斬新な感じ。後部はキャンバスオーニングを張った露天甲板と、レイアウトは現代の水上バスに近く、流線形スタイルとともに、80年近く前とは思えない近代味を感じさせますね。

他地方の河川では、まだ曳船に客用艀というパターンが幅を利かせていた時代、この船は時代を先取りどころか、抜きん出た存在だったのではないでしょうか。いや、すっかり気に入ってしまいました。

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最後に入手したのが、航走中の姿を前方からアップでとらえたもの! これには嬉しくなりました。しかも、キャプションには「観光艇『水都』號」とあり、船名が「水都号」であることも判明。

迫りくる姿を見ると、まさに「流線形時代の寵児」と、大時代なフレーズで呼んでこそしっくりくるようなスタイルが一目瞭然! タートルバックの船首甲板、流れるようなラインと、それに合わせて配された五枚の前面窓など、魅力満載の角度といってもいい過ぎでないでしょう。

さて、こうなると「水都号」の素性が、ますます気になってくるところ。何冊か本をひっくり返しても記述に当たらず、しばらく忘れて過ごしていたら、ある日ふと開いた「写真で見る大阪市100年」(編集・発行・財団法人大阪都市協会、平成元年)に、小さいものの写真と、かなり詳しいキャプションが載っていたのにようやく気付き、小躍りしました。

掲載されていた写真は、堂島川を下る「水都号」の姿と、豪華な船内、そして女性乗務員「マリンガール」のポートレートの3枚。以下、キャプションを抜粋してみましょう。

商都大阪の繁栄を広く内外に紹介するため、昭和11年6月に就航した。コースは淀屋橋-土佐堀川-天神橋-堂島川-安治川-大阪港-木津川-土佐堀川-淀屋橋。料金は大人1円、子供50銭であった。
長さ15m、幅4.5m、31.4tの『水都』は流線形の船体にサロン式のキャビンを持つ豪華船。
ボーイッシュな帽子、白いリボンのついたセーラー服でフレッシュな案内が好評であった。

コースに料金のみならず船体寸法に加え、女性乗務員の存在や夏冬の制服の写真までと、小粒ながらも至れりつくせりの内容に、もうすっかりご満悦。当時のモダン大阪の最先端シーンを演出した、重要な船だったことが記事からも伝わってきました。

「水都号」はその後、どうなったのでしょう。水上観光の看板船として、戦後も元気に大阪の川を走っていたのでしょうか。鳴り物入りで就航した豪華船となれば、さぞ目立ったことでしょうから、もし戦後も活躍していたのなら、記憶されている方も少なくないに違いありません。晩年の姿を記録した本や記事があったら、ぜひ拝見してみたいものです。

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タグ : 水上バス 大阪水上バス 絵葉書・古写真

コメント

水都号の映像

外輪太郎様、かなりごぶさたをしております。

「水都号」の晩年の姿というのは存じ上げないのですが、
活躍していた頃の映像は見たことがあります。
昭和12年制作の「大大阪観光」というフィルムです。
https://www.youtube.com/watch?v=fM8r9pFb75I

上記はダイジェスト版ですが、本編には動く「水都号」が出ていました。

「中之島からは観光艇「水都」に乗船し、中之島周辺の中央公会堂などを臨みながら周遊し、安治川筋の工場群を見て産業のありさまを知る。さらに木津川筋を経て、肥後橋に戻り下船する。」という映像があります。
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000008967.html

このDVD、販売もされています。

このフィルムに関して展覧会が開かれたことがあり、図録も出ています。
ただ、今手元にないので、また確認してみます。

Re: 水都号の映像

>びんみんさん
ご無沙汰しております、興味深い情報をお寄せいただき、ありがとうございました!
ダイジェスト版、面白く拝見しました。本編には水都号の航行している映像だけでなく、水上生活者の暮らしも記録されているそうで、興味をそそられます。機会があったらDVDを入手してみようと思います。

水都号のその後

外輪太郎様、こんばんは。

「映画「大大阪観光」の世界-昭和12年のモダン都市-」という図録に、観光艇「水都」についての項目があります。

水都就航の目的は、「「大大阪活動躍進の実況」を来訪者に伝えること」だったのですが、「乗客は市民が多く」、「水都は、産業観光推進の切り札であったが、期待ほどの効果はあげられなかったといえる。その運航は、開始から四年余り経った昭和十五年に中止となった」
と残念ながら戦前に既に運航が中止されていたようです。

図版なども載っていますので、図書館などでご覧になられたらと思います。

Re: 水都号のその後

>びんみんさん
お調べいただき、ありがとうございました! 水都号が戦時下を生き延びて、戦後もどこかで活躍していたら‥‥と妄想しています。
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