戸田漕艇場のあたり…1

漕艇場は西端を笹目川、東端を菖蒲川と、荒川の支流二河川に挟まれた形で広がっていますが、訪ねたのは東端、菖蒲川との接続部分。水位を管理された堤内地の水面らしく、川と接するここには水門が設けられていました。

●柵の間から水門を見上げて。規模のわりに大ぶりな螺旋階段が、一元管理された遠隔操作でなく、つどゲート上に上がって扉体を運転する、機側操作の水門であることを伝えています。

この近くの旧地名から取った名前(戸田市南町8にも『曲尺手遊園地』あり)と思われますが、宿場町であった戸田らしい地名で、面白く思ったものです。

●うららかな陽を浴びて、たたずむ水門を南側から。ひたひたの低い護岸と、枯れた芝生の法面がいい感じ。扉体はブルー、巻上装置はスピンドルで電動です。
手前にはアルミ製のささやかな管理橋と、可愛らしいテルファー(クレーン)が備えられていました。ゴミよけのフェンスか何か、重量物の上げ下ろしに使うのでしょう。

●水門の横に、漕艇場の水面を一望できる場所がありました。実業団や大学の艇庫と桟橋が並ぶ右手前から、漕艇場と競艇場を分かつ戸田公園大橋を遠望でき、さらにはるか彼方の山並までうっすら望めて、直線的な気持ちのよい水辺風景です。
東西の長さ、およそ2500m。当初、昭和15年に開催されるはずだった、東京オリンピックのための施設の中で、戦前に一応の竣工を見たのは、芝浦の自転車競技場とここ、戸田漕艇場だけだったのだとか(参考:『幻の1940年計画』指南役・著)。自転車競技場も姿を消して久しいそうですから、戸田漕艇場がいわば唯一の、「幻の第12回東京大会」の忘れ形見、ということになるのですね。
【撮影地点のMapion地図】
(27年2月3日撮影)
(『戸田漕艇場のあたり…2』につづく)

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